超人烈伝 — 2014年6月29日 at 6:50 PM

野田隼平「僕が走りつづける理由(わけ)」

力走する野田選手=関東選手権(2013年)【撮影:越智貴雄】

力走する野田選手=関東選手権(2013年)【撮影:越智貴雄】

■ぜったいに記録に残す

 左脚義足のランナー、野田隼平が初めて公式の陸上競技大会に出場したのは2011年5月。大分陸上の100mレースだった。横に並ぶ6人の選手には目もくれず、野田は「ぜったいに走り切る」とだけ考えていた。

 パンッ! 号砲とともに飛び出した選手たちは、タタタタタタ……。一歩、出遅れた野田のリズムは、タ、タタン、タ、タタン、タ、タタン……。ライバルたちの背中はどんどん遠くなっていく。フィニッシュラインまで約30m地点で義足の先が躓き、バランスを崩した。両手をついたが、かろうじて転倒は逃れた。

 立て直して再び走り出しだし、なんとかフィニッシュした。電光掲示板の一番下には名前の横に31秒57。タイムには全く満足できなかったが、ほっとした。タイムでも順位でもなく、「完走して記録を残すこと」がこの日の目標だったからだ。

 野田は股関節離断(りだん)という障害をもつ。左脚を股関節から切断しており、「股義足(こぎそく)」と呼ばれる義足をつけている。この日、出場した選手のなかに、股義足は野田ひとりだけ。実は現在、世界でも股義足で試合に出場している選手は野田以外おらず、過去にもほとんどいない。だから、野田の記録は「股義足選手が残した記録」のきわめて貴重な一つになったわけだ。

 股義足の選手が少ないのは、股義足では走ることはおろか、歩くことさえ簡単ではないからだ。一般的な義足は切断した脚の先端部分(断端)に義足をつけ、断端を動かすことで義足を操る。だが、股義足の場合は断端がないので腰にベルトで巻きつけて装着し、骨盤の前傾や後傾、重心の移動によって義足を操作しなければならない。

 さらに義足の膝にあたる部分には「ヒザ継手」という部品が使われていて、正しい角度で着地しないと、歩いていても膝がカクッと折れる「ヒザ折れ」が起こりやすく、転んでしまうこともある。走るとなれば、ヒザ折れの可能性は高まり、転倒の危険も増す。そもそも「走ろう」と考える股義足ユーザーはほとんどいないし、義足でなく、車いす生活を選ぶ人も少なくないのが現状だった。

 「僕が記録を残せば、『股義足でも走れる』という証明になる。そうすれば、股関節離断の人やその家族が、『何にでも挑戦できる。諦めることはない』と思ってくれるかもしれない。だから、記録を残すことにこだわったんです」

■義足でだって、ほとんどのことはできる

野田隼平【撮影:越智貴雄】

野田隼平【撮影:越智貴雄】

 野田が股義足をつけることになったのは2008年の冬。地元の大阪で30歳を迎え、仕事にもプライベートにも全力投球で充実の日々を送っていたある晩、帰宅途中に駅のホームから転落し、電車にひかれた。九死に一生を得たものの、病院のベッドで目覚めたときには、急性くも膜下出血で開頭手術を受け、右脚の膝下は重傷を負い、左脚はすでに太腿の途中から切断されていた。そのまま絶対安静がつづき、なかなか癒えない左脚の断端は後日、再手術によって股関節から切り落とされた。

 事故から3カ月、股義足をつけてのリハビリが始まった。脚があったときは骨盤の動きなど意識したことすらなかったから、感覚をつかむまでは大変だった。平行棒の中を何十回、何百回とただひたすら往復し、体に覚えこませた。人一倍の努力と持ち前の運動神経のおかげで、杖をつけば一人でもある程度の移動はできるようになった。

 「股義足をもっと実践的に使いこなしたい」と思った野田は、義足専門のリハビリを行う東京の鉄道弘済会義肢装具サポートセンターへの転院を決める。センターのことは知人を介して知り合った同じ左股関節離断の女性から紹介されたからだが、結果的にこの転院は野田にとって大きな転機となった。

 センターでの入院初日、リハビリ担当の理学療法士の助言で、あっという間に杖なしで歩けるようになって驚いた。また、義足の調整の担当になった義肢装具士は臼井二美男で、スポーツ用義足の第一人者としても知られ、切断者の陸上クラブ「ヘルスエンジェルス」も主宰していた。「一度、練習会においでよ」と誘われた野田は、そのときは「走りたいとも走れるとも思わなかった」が、義足で走る仲間たちには興味を覚えた。

 次の練習会に出かけてみると、雨模様にもかかわらず数十人もの義足ユーザーがトラックを生き生きと走り、笑顔あふれる光景が広がっていた。気軽に話しかけてくれる人も多く、「脚がないだけで普通の人」たちと交流するうちに、野田の心には自信が湧いてきた。「義足でだって仕事や日常生活でできないことなんてほとんどない。きっと昔と変わらない生活ができる」

 野田の思いを見透かすように、臼井が声をかけた。「走ってみなよ」。ごく自然な言葉の響きに、見学だけのつもりだった野田は不思議とやる気になった。健足で思い切って地面を蹴り、義足で着地してみると、それまで経験したことのない衝撃が地面から返ってきた。

 ほんの数メートル走ったところで濡れたトラックに滑って転んだ。はたから見たら、走っているとはいえないスピードだったかもしれない。でも、野田はその時、確信したのだ。「大丈夫、いつか走れるようになる」

■他に誰もいない今は、僕がやるしかない

ゴール後、笑顔の野田選手=ジャパンパラ(2013年)【撮影:越智貴雄】

ゴール後、笑顔の野田選手=ジャパンパラ(2013年)【撮影:越智貴雄】

 センターでの予定のリハビリを終えて大阪に戻った野田は、無事に職場復帰を果たした。その後、東京転勤を機に、「ヘルスエンジェルス」に参加して、陸上練習を本格的に開始。2010年秋のことだ。

 股義足で走る仲間はクラブにも全国を見渡してもほんの数人。まして競技として真剣に取り組もうとしているのは野田だけだった。だから、股義足の使い方やフォームなどは真似しようにもお手本はなく、どう走れば正解なのかも分からない。試行錯誤の連続だった。だが、真摯な努力は裏切らない。100mのタイムは2年間で24秒台にまで伸びていた。

 2013年の春には、国際パラリンピック委員会(IPC)公認の「国際クラス分け」を取得するため、アラブ首長国連邦(UAE)まで遠征した。「クラス分け」とは障害者スポーツの特徴のひとつで、競技を公平に行うために障害の程度によって選手をグループ化する制度のことだが、取得するには専門医による診断や機能テストなど一連の審査を受検し、クラスの指定を受けなければならない。

 陸上競技の義足のクラスは切断箇所や機能の違いにより、T42(股関節離断を含む、大腿切断など)、T43(両下腿切断など)、T44(片下腿切断など)の3クラスに区分されている。野田はすでに日本国内ではT42と指定されていたが、IPC公認の「国際クラス分け」は未取得だった。国際クラス分けを取得すれば、記録は国際記録として公認され、世界ランキングの対象選手の資格を得られるのだ。

 UAEで無事に国際クラス分けを取得した野田は、帰国後にIPC公認大会である関東選手権(東京都町田市)に出場し、100mで23秒30の自己ベストをマークした。この結果、T42クラスの2013年最終の世界ランキングに「Noda, Jumpei」がランクインした。31位とクラス最下位ではあったが、股義足ランナー野田は、確かに歴史に名前を刻んだのだ。

 新たな夢も生まれている。「股義足のクラスをつくること」だ。現行の基準では、野田はT42クラスに区分され、大腿切断の選手と競っているが、実際のところ、股義足と大腿義足の走力には大きな差があり、勝負にはならない。

 「実際、UAEでは、IPC関係者や外国人選手から、『股義足で走る人を初めて見た』『信じられない』『どうやって動かすんだ』などと、すごく注目されました。世界的にも股義足ユーザーは少ないのだと思う。でも、僕が走りつづけることで、『走ってみよう』と思う股義足ユーザーが出てくるかもしれないし、もし選手が増えれば、股義足のクラスだってできるかもしれない。そう信じて、走っています」

 2014年春、大阪に転勤になり、いろいろ落ち着くまでに時間がかかった。特に練習場所の確保には苦労した。スパイクシューズを履いて走れるトラックを備え、週末に一般開放している陸上競技場が大阪にはほとんどなかったのだ。友人の紹介で、ある大学のトラックを利用できることになり、やっと練習のメドがついたが、自宅からは片道2時間もかかり、一緒に走る仲間もいない。だが、陸上を辞めるつもりはない。

 「股義足で走るという歴史をつなげていきたいんです。今、僕が辞めたら途切れてしまうので、日本人でも外国人でも誰か次の選手がでてくるまでは辞められません。他に誰もいないから、僕がやるしかない。それに、誰もやっていないことに挑戦することは面白いし……。とにかく、世界ランクに名前を載せつづけたいですね」

 また、1年ほど前から始めたブログ、『それいけ股義足』(http://hdjunpeee.blogspot.jp/)も大きなやりがいになっている。忙しい合間を縫い、股義足での生活や陸上競技のことなどを綴っているが、原動力は「少しでも誰かの役に立てば」という思い。野田自身がリハビリ中に、股義足に関する情報がなく不安を抱えて過ごした時期を経験していたからだ。

 ブログの読者は徐々に増え、股義足当事者や家族から質問や前向きなコメントも届くようになった。直接会って相談にのることもある。つい最近も、ブログを見たという母親が股関節離断の1才の男児を連れてやってきたという。

 「ブログを通して僕の思いが届いているという手ごたえがあります。男の子が陸上をやるかは分からないけど、いつか僕が走っている姿は見せてあげたい。『何でもできるよ』って。だから、彼がもう少し大人になるまで、あと10年は頑張らないと」

 股義足ランナー、野田隼平のフィニッシュラインは、まだずっと先のようだ。

(取材・文:星野恭子)

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野田隼平(のだ・じゅんぺい)
1978年大阪出身。2008年12月、列車事故に遭い、左足を股関節から切断。リハビリ中に陸上競技と出会い、10年後半から本格的に練習を始める。11年春、公式レースに初出場。13年末現在、IPC公認記録と世界ランクは100mが23秒30で世界31位、200mは49秒18で同24位。ブログ『それいけ股義足』(http://hdjunpeee.blogspot.jp/)。
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