超人烈伝 — 2015年7月28日 at 10:56 PM

鳥海連志「車椅子バスケ界のホープ」

鳥海連志選手/第43回車椅子バスケットボール日本選手権(撮影:越智貴雄)

鳥海連志選手/第43回車椅子バスケットボール日本選手権(撮影:越智貴雄)

 彼を初めて見た時のことは今も鮮明に覚えている。2014年5月、東京体育館で行われた日本車椅子バスケットボール選手権、私はある一人の選手に目を奪われた。コートの中を縦横無尽に駆け回り、キレのあるチェアスキル(車椅子操作の技術)を披露する姿に圧倒されたのだ。巧さや安定感というのではなく、彼のプレーには躍動感があった。

「こんな選手がいたんだ・・・」

 衝撃にも似た感情が溢れ、試合後、しばらく彼のプレーが脳裏に焼き付いて離れなかった。
 鳥海連志、16歳。今、男子車椅子バスケットボール界で最も成長著しい若きプレーヤーである。

鳥海選手/第43回日本車椅子バスケットボール日本選手権大会(撮影:越智貴雄)

鳥海選手/第43回日本車椅子バスケットボール日本選手権大会(撮影:越智貴雄)

負けず嫌いから始まったバスケ人生

 鳥海が車椅子バスケを始めたのは、中学1年の夏だ。それまでは特にこれといってスポーツはしていなかった。きっかけは、彼が通っていた中学校の女子バスケ部を指導していたコーチから車椅子バスケの存在を聞いたことだった。
「『車椅子バスケという競技があるから、やってみたらどうかな?』、と言われたんです。初めて、そんな競技があることを知りました」

 しかし、はじめは断っていたという。とはいえ、バスケに興味がなかったわけではなかった。実は1つ上の兄がバスケ部に所属しており、よく好きで見ていた。では、なぜ断ったのか。その理由は「自分がプレーするなんて、想像できなかった」からだった。幼少時代に先天性の障がいで両脚を切断し、ものごころついた時から義足で生活を送ってきた鳥海にとって、それまでスポーツは「見る」ものであり、自分で「する」ものではなかったのだ。

 しかし、何度もコーチに車椅子バスケの話をもちかけられるうちに一度、練習を見学に行くことにした。それが、すべての始まりだった――。

 地元にある佐世保バスケットボールクラブの練習に見学に行った鳥海が、まず最初に驚いたのは競技用の車椅子だった。自分が普段乗っている車椅子とは異なり、車輪がハの字になっていた。選手から勧められ、実際に乗ってみると、操作が難しく、真っすぐ前に進もうとするだけでも、ひと苦労だった。周囲を見ると、自在に操っている。さらに、選手たちは車椅子に座った状態から、一般と変わらない高さのゴールに次々とシュートを入れていく。その光景に驚きを隠せなかった。と同時に、何もできない自分が悔しかった。

「何でこんなにできないんだろう……。自分もあんなふうにできるようになりたい」
 もともとの負けず嫌いな性格が端を発して、鳥海は車椅子バスケの虜となっていった。

鳥海選手/第43回日本車椅子バスケットボール日本選手権大会(撮影:越智貴雄)

鳥海選手/第43回日本車椅子バスケットボール日本選手権大会(撮影:越智貴雄)

15歳で開かれた代表候補への扉

 5年前、車椅子バスケを始めたばかりの頃の目標は「試合に出場すること」だった。それが「日本選手権出場」「ジュニア選抜入り」と徐々に変化してきた。だが、つい1年前までは世界最高峰の舞台、パラリンピックのことは考えてはいなかった。自分にはまだまだ遠い世界だと思っていたのだ。しかし、昨夏からはパラリンピック出場を目指す代表候補の合宿に呼ばれ、今年に入ってからは海外遠征のメンバー12名にも名を連ねている。この1年で、彼をとりまく環境も、彼自身の意識もガラリと変わった。

 転機となったのは、昨年7月に行われた、のじぎく杯だった。鳥海擁する長崎県選抜は順当に勝ち進み、決勝へとコマを進めた。相手は、日本選手権で準優勝3度の強豪NO EXCUSEだった。結果的に長崎県選抜は44-58で敗れたが、この時のプレーが日本代表の指揮官でもあるNO EXCUSEの及川ヘッドコーチ(HC)の目に留まったのだ。

「長崎県選抜はずっとプレスをかけてきたのですが、鳥海のボールへのプレッシャーは抜群でした。以前から彼のことは知っていましたが、改めて体幹が使えるという自分の身体的な強みを軸に据えた、いいプレーをする選手だなと思ったんです」

 鳥海自身もまた、その試合での自分に納得していた。
「相手のセンター陣に対して激しくプレッシャーをかけたり、パスカットも積極的に狙いにいきました。負けはしましたが、ディフェンス面で、自分らしいプレーを出すことができたかなと思っています」

 その1カ月後、鳥海は初めて代表候補の合宿に召致された。及川HCは言う。
「将来の可能性を考えてのことではなく、即戦力として欲しい選手だと思ったんです」
 そんな指揮官の期待に今、鳥海はしっかりと応えている。

鳥海選手/第43回日本車椅子バスケットボール日本選手権大会(撮影:越智貴雄)

鳥海選手/第43回日本車椅子バスケットボール日本選手権大会(撮影:越智貴雄)

天才的な成長のスピード

 鳥海は先天性の障がいが原因で、3歳の時に両脚をヒザ下から切断している。そのため、足の踏ん張りが効かない。だが、体の軸となる体幹に障がいはなく、自在に体を動かすことができる。もともとの身体能力が高いのもあって、チェアスキルは抜群だ。ボールを持った選手への素早いチェックや激しいプレッシャー、相手のパスコースを読んでのスチール、そしてドリブルと、チェアスキルを使ったプレーには定評がある。

 その一方で課題として挙げられるのが、得点力だ。つまり、シュートの確率を上げること。これが加われば、プレーヤーとしてのレベルアップが図れることは間違いない。それは本人も十分にわかっている。今年から週に1度のチーム練習日以外は、高校の体育館を借りて、ひとりシュート練習に汗を流している。

 そんな鳥海が目指している選手は、ともに2012年ロンドンパラリンピック代表の豊島英と香西宏昭だ。
「豊島さんは、チェアスキルが高い。視野も広くて、相手との駆け引きが巧いんです。香西さんはスピードがあって、シュート力がある。そんな2人を掛け合わせたような選手を目指しています」

 とりわけ鳥海とは兄弟のように親しく、持ち点*が同じ2.0の豊島は、後輩の能力の高さをこう語っている。
「16歳にして、これだけのプレーができるというのは単純にすごいなと思います。なかでも一番の魅力は、ほかの2.0選手にはないクイックネスな部分。スピードがあるので、ボールを持った選手にプレッシャーをかけるのが巧い。また、体幹を100%使うことができるので、当たりにも強い。ドリブルに関しては、今でも十分世界に通用していると思います」

 一方、及川HCは現在の鳥海について、こう評している。
「同じ2.0の選手において、鳥海は既にトッププレーヤーのひとりですよ。それだけ高い能力を持った選手です。ただ、基礎的な部分はまだまだ。そこが成熟していけば、さらにレベルアップするはずです。でも、それもそんなに時間はかからないと思います。まるでスポンジのように、吸収していきますからね。成長のスピードは、天才的です」
 
 成長の速さは、鳥海自身の言葉にも表れている。今年5月、日本選手権でインタビューをした際、彼は日本代表候補のひとりである自分に対して「こんな自分でいいのかな、と思ったりすることもあります」と語っていた。ところが、約1カ月後の合宿では「自分がどうという意識よりも、チームがどうしたら良くなるのか、そのために自分ができることは何なのかを考えてプレーしています」と語ったのだ。代表候補であることの自覚と自信が芽生えてきたのだろう。

 果たして車椅子バスケ界に現れた新星は、今後どう成長し、どんな活躍を見せてくれるのか。「鳥海連志」の名を、ぜひ覚えておいてほしい。

(文:斎藤寿子)

*車椅子バスケットボールには、障がいの程度や状態によって各選手に「持ち点」があります。障がいの重い方から1.0、1.5、2.0、2.5、3.0、3.5、4.0、4.5の8つに分けられ、試合では5人の合計が14点以内と決められています。

鳥海連志(ちょうかい・れんし)
1999年2月2日、長崎県出身。先天性の上下肢障がいがあり、3歳の時に両脚を切断。中学1年時に車椅子バスケットボールを始め、現在では所属する佐世保バスケットボールクラブの主力として活躍している。2014年7月には九州代表として出場した全国ジュニア選抜大会で優勝の立役者となりMVPを獲得、のじぎく杯では長崎県選抜を準優勝に導いた。同年8月に日本代表候補合宿に初めて召致され、11月の北九州チャンピオンズカップで12名のメンバー入りを果たす。今年9月に千葉県で開催されるリオデジャネイロパラリンピックの出場を目指した、アジア・オセアニアチャンピオンシップの代表候補のひとりとして期待されている。