パラ・コラム — 2016年8月31日 at 11:21 PM

連載コラム「リオ出場への軌跡」車椅子バスケ・日本男子チーム

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◆ 勝利の裏側にあった戦略

 2016年9月に開催されるリオデジャネイロパラリンピック。その出場権をかけて行なわれた昨年10月の「三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉」で、及川晋平ヘッドコーチ(HC)率いる車椅子バスケットボール男子日本代表は、3位決定戦で韓国を破り、最後に残された切符1枚をつかみとった。「1976年トロント大会から11大会連続出場」と聞けば、車椅子バスケ男子にとってパラリンピック出場は当然のことと思うかもしれない。だが、今回日本がリオの出場権獲得に至るまでの道のりは、決して平坦ではなかった。2013年に新体制発足後、彼らの前にはいくつもの試練が待ち受けていた。しかし、そのたびにチームは成長し、強くなっていった。その約2年間に渡る軌跡を辿る。

コートへ向かう藤本

コートへ向かう藤本

◆ リオへ出場への第一関門

 「よし、今日の試合は大丈夫だ」
 迫りくる大一番を前に、キャプテン(当時)の藤本怜央は、安堵感にも似た自信を感じていた――。

 2015年10月11日。アジアオセアニアチャンピオンシップ2日目、日本は予選プールでの最大のヤマ場を迎えていた。対戦相手は韓国。当時のアジア・オセアニア地区でのランキングは、日本が4位に対して、韓国は3位。以前は格下の相手だったが、ここ数年で急速に力をつけ、日本にとっては一番のライバルと化していた。

 その大一番を前に、藤本はチームメイトが緊張しているだろうと考えていた。ところが、試合前の様子は彼の予想とは違っていた。
 「全員がすごくキリっとした顔をしていて、なのに、流れている空気はすごく穏やかだったんです。“あぁ、みんないい準備をしてきたな”と思いました。“よし、これならいける”。そう確信したんです」

 午後2時、試合開始のホイッスルが鳴った。序盤で試合の主導権を握ったのは、韓国だった。開始5分で日本のシュートは藤本の1本のみ。対して韓国は、ポイントゲッター2人が競い合うようにして得点を挙げ、8-2とリードを広げていった。その後日本が追い上げ、藤本、香西宏昭の両エースがチャンスにきっちりと決め、第1クオーターは12-12で終えた。ところが、第2クオーターの中盤、次々と韓国にゴール下を攻められ5連続失点。これが大きく響き、22-27と5点のビハインドを負って試合を折り返した。

◆ リードを許した前半、その裏にあった戦略

 「日本は大丈夫なのだろうか……」
 ハーフタイム中、スタンドで見守る観客からそんな声が聞こえてきそうな、重苦しい空気が会場には漂っていた。確かに傍からは、試合の主導権を握っていたのは韓国に見えた。

 「やはり韓国は強いな……」
 及川HCも、そう素直に感じていたという。だが、焦りはなかった。
 「自分たちの力を信じ、今までやってきたことを後半も淡々とやり続けていくだけ」
 その思いは選手も同じだった。

 前半の戦いについて、藤本はこう説明する。
「韓国の一番の強さは、やはりエースのキム・ドンヒョン。彼がシュートを決めると、チームが乗ってくることは分かっていました。その上で、どうすることが日本にとって一番有効なのか、それを知るために常に変化を加えながら、韓国にアジャストさせては“これでどうだ、これでどうだ”と、自分たちのフィーリングが一番合うところを探し続けていたのが前半の20分だったんです」
 日本にはきちんとした戦略があり、韓国にリードを許しても決して主導権を握られているとは思っていなかったのだ。

ボールを競り合う石川

ボールを競り合う石川(右)

 その中で有効な戦術の一つとなったのが、17歳のスーパー高校生・鳥海連志と、チーム最年長の39歳ベテラン・石川丈則の起用だった。スピードのある2人が、司令塔のオ・ドンスクに執拗にプレッシャーをかけ、自由にプレーさせないことで、エースのキム・ドンヒョンとのラインに亀裂を入れたのだ。

 「韓国はきっと、ストレスを感じているに違いない」。日本の選手たちは、そう確信していた。

後半、逆転し喜ぶ日本選手たち

後半、逆転し喜ぶ日本選手たち

◆ キャプテンが漏らした本音

 そしてもう一つ、カギを握っていたのはスタミナだった。前半からメンバーチェンジを繰り返した日本に対して、韓国はほぼスターティングメンバーで戦い続けた。後半になっても、それは同じだった。そのため、韓国の動きには疲労の色が見え始め、前半でのスピードと強いアタックが徐々に影を潜めていった。

 一方、日本には余力が残っていた。第3クオーターに藤本が16点中10得点を挙げると、第4クオーターでは香西が得意のスリーポイントを決めて会場を沸かせた。ダブルエースの活躍で波に乗った日本は、他の選手たちも得点を挙げ、終わってみれば、55-48で逆転勝ち。自分たちの力を信じ続けた、まさにチーム力による勝利だった。

 だが、決して日本に余裕があったわけではなかった。試合後、藤本はこう本音を漏らしている。
 「正直、試合前は怖かったですよ。ふとした時に、負けていた事実がよみがえることもありましたから……」

 実は日本が韓国から勝利を収めたのは、ロンドンパラリンピックの出場権がかかった2011年のアジアオセアニアチャンピオンシップ以来、4年ぶりのことだった。

 及川HCは、こう振り返る。
 「チームを作るのに、いろいろな試練がありました。涙を流したこともあります。そういったことを乗り越えて、チームが一つにまとまって、この大会を迎えることができたんです」

 果たして、日本が乗り越えてきた試練とは――。

(第2回につづく)

連載コラム 第2回 〜敗戦から得た”気づき”