カンパラプレス

競技レポート

競技レポート

高桑「4年間の全てを出し切った」~陸上・高桑早生~ リオパラリンピック

高桑早生200m予選の走り=リオパラリンピック(撮影:越智貴雄)

高桑早生200m予選の走り=リオパラリンピック(撮影:越智貴雄)

 リオパラリンピックの大会11日目にあたる17日、オリンピックスタジアムで陸上女子100m(T44クラス)決勝が行われ、高桑早生は13秒65で8位入賞となった。4年前、初出場だった2012年ロンドンパラリンピックでの自分自身を超えることを目標としてきた高桑。決勝での順位こそ落としたものの、予選ではロンドンで叶わなかった自己ベストをしっかりと更新し、本番での強さを見せた。

◆ 幸せを噛みしめながら走った決勝

 高桑は、3日前に行なわれた200m予選で自己ベストを更新し、調子の良さをうかがわせていた。翌日の決勝でも予選同様、特に前半で、ストライドの大きいダイナミックな走りが見られ、最もメインとしている100mにも期待が寄せられた。

 そしてこの日、まずは100m予選に臨んだ高桑は、自己ベストを0秒16上回る13秒43をマークしてみせた。スタートも反応良く思い切り飛び出すことができており、決勝でさらなる記録更新されるかが注目された。

100m決勝のスタート直後(一番右が高桑早生)=リオパラリンピック(撮影:越智貴雄)

100m決勝のスタート直後(一番右が高桑早生)=リオパラリンピック(撮影:越智貴雄)

「この4年間やってきたことを、全て出し切ろう」
 決勝のスタートラインに立った高桑はそう決意すると同時に、ひしひしと感じているものがあった。
「パラリンピックという舞台の決勝を走れることが、いかに幸せなことかを噛みしめていました」

 会場が静まり、全ての視線が8人のファイナリストたちに注がれる中、号砲とともに高桑は勢いよく飛び出した。力みのない、そしてブレない走りができていた。だが、後半は前を行く他の選手たちに無意識に体が反応したのか、少し硬さが見られた。結果は、13秒65で最後にゴール。それでもレース後、ミックスゾーンに現れた高桑の表情は、晴れ晴れとしていた。

「今できることは、すべて出し切ることができました。ロンドンよりも順位を落としてしまったことだけは本当に悔いが残る部分ではありますが、、それでも4年間やってきたことが、間違いではなかったことを今、実感しています」

高桑早生100m決勝の走り=リオパラリンピック(撮影:越智貴雄)

高桑早生100m決勝の走り=リオパラリンピック(撮影:越智貴雄)

◆ 跳ね返され続けた“14秒の壁”

 今大会、100m、200mともに自己ベストを更新し、本番での強さを見せた高桑だが、4年間を振り返れば、ここに至るまでの道のりは決して平たんではなかった。

 初めて出場した2012年ロンドンパラリンピック、高桑は100m、200mともに決勝進出を果たし、いずれも7位入賞。出場することが目標だった彼女にとっては、大健闘と言って良かった。

 しかし、彼女は最終種目の200m決勝を終えた後のインタビューで、こう語った。
「こんなに大勢の人たちの前で走ることができて、本当に幸せを感じました。でも、世界との距離は遠いなとも思いました。やっぱり、悔しい気持ちがあります。4年後のリオでは、今の自分を超えたいと思います」

 出ることに意味があると考えていた初めてのパラリンピックは、いつのまにか、高桑に次へのモチベーションを生み出していた。

 ロンドン後、まず最初に高桑の前に立ちはだかったのは、“14秒の壁”だった。2011年9月のジャパンパラ競技大会(ジャパラ)で、初めての13秒台となる13秒96をマークした高桑だったが、ロンドンも含めて、その後は一度も本番のレースで“14秒の壁”を突破することができずにいた。

 高校時代から師事する高野大樹コーチの指導の下、高桑はさまざまな課題に取り組んだ。スタートでの走り出しの足の動き、ストライドの距離、義足と健足との動きのバランス……など、細かいところにまで目を配り、改善に努めた。

 それは少しずつではあるが、いい方向に向かっているように思われた。練習では何度も13秒台を出していたからだ。しかし、いざ本番のレースとなると、“14秒の壁”に跳ね返され続けた。

 そんな中で朗報が飛び込んできたのは、2014年5月のことだった。一般の陸上競技の記録会に出場した高桑は、13秒98をマークし、実に3年ぶりに13秒台を出してみせたのだ。2か月後の7月には、13秒69とさらにタイムを伸ばし、日本記録保持者となった。さらに同年10月のアジアパラ競技大会では、13秒38をマーク。残念ながら追い風参考記録となったが、高桑の走りが確実にレベルアップしていることが証明された。

100m決勝後、報道陣のカメラに向かって笑顔でポーズをとる高桑早生=リオパラインピック(撮影:越智貴雄)

100m決勝後、報道陣のカメラに向かって笑顔でポーズをとる高桑早生=リオパラインピック(撮影:越智貴雄)

◆ 開幕前の“最後の壁”

 2015年は再びスランプ気味となり、一時は14秒台が続いた。結局そのシーズンは一度も自己ベストを更新することができなかった。

 それでも、パラリンピックイヤーの今年、しっかりとピークを合わせてきた。GWに行われた日本選手権で、高桑は2年ぶりの自己ベストとなる13秒59をマークすると、1カ月後のジャパラでも、13秒62と安定した走りを見せ、リオの切符を手にした。

 だが、実はジャパラの頃から、高桑は自らの走りに納得できずにいた。リオへの“最後の壁”が彼女の前に立ちはだかっていたのだ。

 より義足をたわませて大きな反発力を生み出そうと、高桑は義足側の脚でしっかりと地面をとらえる動きを体に染み込ませてきた。自己ベストを更新した日本選手権での走りは、それがほぼ完璧にできていたからだった。

 ところが、地面をとらえることを意識するあまり、徐々に足が後ろへと流れてしまい、前に蹴り出すという動きが、以前よりも失われてしまっていたのだ。当時、高桑は「手垢のついた走り」と表現していた。

「接地時間を長くして、ストライドを伸ばす動きというのは、日本選手権の時にはもう意識しなくても“自動化”されていました。でも、それがジャパラの頃から“癖”になってしまったんです。“自動化”と“癖”とでは、まるで違う。日本選手権の時は心地よく走ることができていましたが、今はモヤモヤした感じから抜け出せないんです」

 その「手垢」は、開幕を10日後に控え、慶應大学日吉グラウンドで行われた国内最後の練習では取れかけているように感じられた。脚が後ろに流れず、前に前にという動きが戻りつつあることは、傍目からも感じ取ることができた。あとは現地入りしてからの調整で、どこまで完璧な状態に持っていけるかにかかっていた。

 決して容易なことではなかったはずだが、高桑はしっかりと走りも気持ちも、本番に向けていい調整を行ってきた。それは、最初のレースとなった200m予選の走りを見れば、明らかだった。軽やかに、脚が前へ前へとスピードに乗っていく感じが、見ていて心地よかった。やはり高桑は、本番に強い。そう思った。

 2度目のパラリンピックを終え、「十分に楽しむことができた」という高桑の表情は、輝きに満ちており、大げさでも何でもなく、実に眩しく映った。4年後、東京ではさらに輝きを増した姿を見せてくれるに違いない。
(文・斎藤寿子)

page top