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この坂の向こうに(前編)
頭がやけに重い。体を動かすことにさえ苦労する。おぼつかない足取りで窓際に足を運び、カーテンを開き見上げてみると、空にはどんよりとした雲が広がっていた。雨も道路を湿らせている。5月だというのに、梅雨に突入したかのような空模様だ。そのくせ、冬のようにひんやりとした冷気が、閉じられた窓を透過して伝わってくる。 体調の冴えない理由は、この天候にあった。愚図ついた陽気だと必ず体が反応を示す。体調が天候に左右されることなどかつてはなかった。あの日を境に、己の肉体は、そして人生までもが、変わってしまったのだ。 石井雅史は幼い頃から自転車の魅力に取り憑かれた。「漕ぎ出してしまえば自由になれる。それがたまらなく楽しかった」知らない場所に進んで出かけ、道に迷い泣きながら帰ってくることもしばしばだった。ロードを好む原点といえるだろう。中学に上がる頃には整備を覚え、乗るのはもちろん触れる喜びも見出している。自転車部のない高校に進んでからは、実業団登録している外部のクラブに入り、腕を磨いた。 「トラックレーサー」と呼ばれる競輪用の自転車に初めてまたがったのは、高校3年のときである。目標としていた国体に、神奈川県代表として出場を果たした。種目は得意のロードとトラックだった。 だが国体初出場の記憶はほろ苦い。いずれも入賞は叶わず、ロードも最後のゴール勝負でミスを犯した。 一方、本人の口惜しさとは相反して、このとき出会った神奈川県代表監督からはトラックの評価を受け、プロの道を勧められる。「アマチュアで楽しく走れればいいと思っていたので、悩みました。体も細く、長距離選手が短距離走に挑むようなもの。自信はなかった」。とはいえ、試験種目となる1000mでは標準タイムをすでにクリアしていた。考えた末、石井は意を固めた。 10ヶ月間の競輪学校ではパンプアップに努め、国体当時より7kg重い肉体を手に入れた。また実際にトラックを走る数だけ、それまでは見えなかった競輪の魅力に気付かされていく。 二十歳でデビューを飾り、A級に格付け(当時は上からS・A・B級とランク分けされていた)されるや、2戦目で初優勝を飾る。しかし喜ばしい快挙にも、石井の気持ちは複雑だった。A級とはいえ、思いのほか容易く頂点を獲れたからである。この時期から彼のメンタリティは揺らぎ始めた。気が緩み、勝負に徹することができない。だがプロの世界では結果がすべてである。ただ楽しんで走っていた頃とは違い、成績を残さなければ評価を得られず、収入も減る。プロとアマのギャップに、石井は葛藤した。 立ち直るきっかけは、「原点」にあった。「練習の合間に昔の仲間とロードを走ったり、競輪選手のロード大会にも出てみたんです。それを続けるうちに、自転車の楽しみは趣味として、競輪は仕事として走ればいいという踏ん切りがつきました」およそ3年に渡る葛藤にようやく、ピリオドを打った。 進むべき方向を見定めてからは、勝つために走りを変えた。それまでの先行主体のスタイルから追い込み型にシフトし、優勝を積み重ねていく。評価点も高い。S級まであと一歩だった。しかしまたしても、いや、予想だにしない険しい坂道が、石井の行く手を阻んだ。事故である。 【文・隈元大吾】⇒ 超人トップページへ ⇒ カンパラトップページへ |
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