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この坂の向こうに(後編)
その日は突き抜けるような晴天だった。2001年7月16日、石井雅史は車の荷台に自転車を積み、いつものように地元の小高い峠へと向かった。 昔からロードが好きだった。頂上で見渡す景色、しかも自分の足で漕ぎ、登り切った先で目にする風景は格別だった。車ではきっと味わえない快感だろう。トレーニングの一環とはいえ、石井には苦にならなかった。 坂を登り、下る。照りつける日中の太陽に、ペダルを漕いだ分だけの汗が体中を伝う。 もう一度、登り始めたときだった。対向車が目に飛び込んでくる。石井の記憶は、ここで途切れた。 智子さんが病院から連絡を受けたのは、事故当日の夜だった。競輪選手の妻になる約束を交わしてから、まだ一週間しか経っていない。ほんの数日前に一緒に暮らし始めた新居で、まだ開通したばかりの電話がけたたましく鳴り響く。予期せぬしらせに、彼女は言葉を失った。 急いで病院に駆け付けると、集中治療室のベッドの上には、変わり果てた婚約者の姿があった。「石井君」声を掛けても反応はない。静かに眠っているだけだ。 「記憶が混乱してるんですよ」石井は穏やかに語る。 瀕死の重傷だった。智子さんも当時を振り返り、「まったく希望は持てなかった」と言って憚らない。 診断は高次脳機能障害だった。脳に損傷を受け、記憶や言語、思考などに影響を及ぼす、世間の認知も低い難しい傷害である。だが初期対応がよかったのだろう、石井はゆっくりとだが着実に「日常」へと歩を進めていく。 智子さんには忘れられない光景がある。1ヶ月の入院を終え、一時帰宅を許されたときのことだ。それまでは混濁して虚ろだった石井の意識が、自分の自転車を目にした瞬間、覚醒したのだという。「それ以来、受け答えも徐々にハッキリしてきました」その後、リハビリセンターに移り、3ヶ月を過ごした。 「翌年の春には再デビューするつもりでした」石井は振り返る。 しかし手帳を失っても、自転車に対する情熱が止むことはなかった。競輪時代の仲間をはじめ、周囲のサポートも手厚い。また結婚し、ふたりの子どもに恵まれたことも追い風になった。 朝から雨の降る陰鬱な気候に包まれた今年5月13日、重い頭と体を引き摺りながら、石井は調布市の東京オーヴァル京王閣へと向かった。初参加となる「2006日本障害者自転車競技大会」で彼は1000mと3000mに出場、いずれも日本新記録をマークした。 だが、その表情は冴えない。「人生最低のタイム。中学生の時に出した1000mの記録よりも悪かったんですから」 ただ一方で、目の前の結果に折れない強い気持ちも同居する。 いまも障害と戦っている。曇天だけでなく、事故に遭った日とおなじような快晴のもとではフラッシュバックに襲われ、現場にさえ近寄れない。目の前に立ちはだかる坂道は険しい。だが石井は言い切る。「自転車があったから、いまがある。この気持ちを成績で示したい」瞳にははっきりと、坂の向こうにある北京が映っていた。 ≪了≫ 【文・隈元大吾】
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