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一匹狼の素顔(前編)
その生き様すべてが、「挑戦」に映る。 アテネパラリンピックを目前に控えた2004年3月には、5年間所属したホンダ太陽から独立、プロの道を歩み始める。ただ、この転身は、「競技に専念する」という意味合いとは異なっていた。 自身を「欲張り」と評して憚らない。レースで収入を得ることはもちろん、練習の合間を縫って講演会に足を運び、あるいはスポンサー先に出向く。トレーニングにコーチを付けることはなく、スケジュール管理も含めて自分でやらなければ気が済まない。「一匹狼」と周囲から言われる所以である。 競技の傍らで実務にも励む背景には、確たるモチベーションが潜んでいた。廣道は言う。 高校1年のとき、廣道はバイク事故を起こし脊髄を損傷した。しかし生来のポジティブ思考も手伝って、「ほんま落ち込まんかったんですよ」と笑い飛ばす。関西弁で「やんちゃ」を表す、いわゆる"ごんたくれ"だった彼はむしろ、事故によって「再生」したと捉えている節がある。 思春期の少年の日々は荒れ放題だった。14歳で反抗期を迎えると、バイトに明け暮れ、稼いだ金で夜な夜な遊び歩いた。父が出勤したあとに帰宅し、その足で学校へ向かう。授業はろくに聞かず、終業のチャイムを合図に寝起きの目をこすりながらバイトに戻る。ひとつ違いの兄から、「おまえは人間のクズだ」と吐き棄てられるような生活では、親と顔をあわせることもほとんどなかった。 そんな折、事故に遭った。搬送先の病院のベッドで、久しぶりに両親と向き合う。やつれた表情が自分のせいであることに、放蕩息子がすぐに気付くはずもなかった。だがそのとき父が口にした台詞が、少年の荒んだ気持ちを一瞬にして浄化する。 意外だった。勘当も同然で家族からひとり、はみ出していた自分を、親父とお袋はただひたすら護(まも)ろうとしている。自分は親を見ようとしていなかったが、親は自分を見守ってくれていた。 退院してから、廣道は神戸の職業訓練校で一年を過ごす。その後、車いす陸上を知り、「スポーツをやりたいなら収入の安定したサラリーマンのほうがいい」という知人のアドバイスもあって転身、仕事と競技の両輪はこうして回り始めた。 ホンダ太陽での5年間は、廣道にとって意義深い。初めて巣を移した大分は、「車いすマラソン発祥の地」という名に違わず競技に対する理解度が高く、アスリートとして活動するには最適な場所だった。周囲の理解と廣道自身の前向きな姿勢で、人間関係も広く築いた。 だが有難みを享受する一方で、サラリーマンアスリートとしての限界、すなわち組織のなかで自分のできる、あるいはやりたいことの限界も感じるようになる。「勝つためのトレーニングから自分のマネジメント、依頼講演、業界の底上げに至るまで、すべての力を車いす陸上に注ぎたい」9月に控えるアテネパラリンピックをまえにして、廣道は強い思いを胸にプロとしてひとり立ちした。しかしその後、2大会連続のメダルを期して臨んだ本番で、思わぬ落とし穴がプロ一年生を待ち受けていたのである。 【文・隈元大吾】⇒ 超人トップページへ ⇒ カンパラトップページへ |
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