updated 06/10/01

キャプテンシー/日の丸の自覚(前編)
シュートを放つ大島朋彦=2006オランダゴールドカップ(撮影:越智貴雄)

 今年7月、オランダで開催されたゴールドカップ2006(世界車椅子バスケットボール選手権大会)を終え、大島朋彦は親しい代表メンバーとこんな会話を交わしたという。「勝って終わった大会は珍しいよな」。

 パラリンピックと同様、4年に一度開催される車椅子バスケットボール世界最高峰の大会には、2004年のアテネパラリンピックを制したカナダをはじめ、強豪のアメリカやイギリスなど、各国から12チームが名を連ねた。6チームずつ2組に分かれ、総当りで予選トーナメントを戦う。その後、各組の上位4チーム、計8チームが決勝トーナメントに進むという仕組みだ。

 日本は予選Aグループを4位で通過し決勝トーナメントに駒を進めたが、アメリカ、イギリスに敗れ、7・8位を決する順位決定戦に回った。大島のいう「勝って終わった」とはすなわち、日本にとって今大会最後となるこの順位決定戦でイタリアに勝利し、7位を掴んだことを意味している。8位に沈んだアテネパラリンピックや、おなじく8位に終わった4年前の北九州ゴールドカップを鑑みても、彼が思わずそう口にしたのも頷けよう。

「今大会の全日本は、いままで自分が携わったなかで一番よかったと思います」2000年のシドニーパラリンピック以後、日本代表のキャプテンを担ってきた大島は、淀みなく言い切る。
「これまではメンバーがある程度固定されていましたが、若手選手が新たに加わったこともあり、チーム内で競争が生まれています。僕も初めてベンチスタートを経験し、途中から試合に入る難しさを学び、つぎに交代するプレイヤーに繋げる意識も強くした。明将が代表に復帰したことも大きい。副キャプテンの京谷とともに、プレー以外の面でも細やかに気を配ってくれましたから」

 現在、代表は世代交代の時期にある。これまでチームを引っ張ってきた大島もいまや35歳、2年後の北京パラリンピックを37歳で迎える計算になる。シドニーから合流した京谷和幸も同い年、北九州でしか代表を経験していない鈴木明将でさえすでに29歳だ。彼らのあとを引き継ぐ世代が待たれるいま、成長著しいのが、アテネで存在感を発揮した23歳の藤本怜央であり、今回が代表初選出となった21歳の野沢拓哉や18歳の香西宏明ら若い選手たちである。大島にとってオランダゴールドカップは、ベテランと若手との融合を実感することのできた大会だったわけだ。

 しかし大島が手応えを言い切る理由は、それだけに止まらない。彼はチームの芯の部分に言及する。
「今回初めて、全員で自分たちのスカウティングをしたんです。たとえば、このメンバーがコートに入っているときは誰を活かそうとか、状況に応じたそれぞれの役割を確認した。バスケはメンバー交代が頻繁ですから、組み合わせごとに特長や武器も変わる。スカウティングを行なったことで、自分が出たときに何をすべきか一人ひとりがつねに考え、皆んながチームのために行動してくれるようになりました。ベンチも含めて誰ひとり気持ちが切れることなく、初めてチームがひとつになったと感じられたんです」

 ひとつになる大切さ――熱心に語る大島の脳裏には、かつて味わった苦い経験が甦っていた。忌まわしい記憶は6年前、シドニーへ飛ぶ。

≪中編へ続く≫

【文・隈元大吾


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