キャプテンシー/日の丸の自覚(後編)
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| ベンチから声援を送る大島朋彦(左から3人目)=2006オランダゴールドカップ(撮影:越智貴雄) |
きっかけはコーチの誘いだった。シドニーで代表のアシスタントコーチを務めた小川智樹は、大島の所属する車いすバスケットボールチーム「ワールドB.B.C」のヘッドコーチでもある。その彼がシドニー以後、代表でもヘッドコーチを任されることになったのだ。「一緒に頑張っていこう」恩師の言葉が、代表への思いを断ち切ろうとしていた大島の背中を押した。
無論、すぐに乗り気になれなかったことは否定できない。葛藤もあった。だが、いざ代表合宿に参加すると、煮えきらなかった思いが沸々と滾っていく。そのとき、あらためて感じたのは、「バスケが嫌いになったわけではない」という偽らざる気持ちだった。
大島は言う。
「それまでとは違う顔ぶれのなか、召集された若い選手たちのいろんなプレーを見て、刺激を受けました。でも、世界と闘えるまでのレベルには達していなかったのも事実。だから、経験のある自分が引っ張っていかなければいけないと思いました。それになにより、負けたまま終わるのはムカつきますしね。チャンスをもらえる以上は結果を出したい」
こうしてシドニー後の初めての合宿以来、彼はふたたび世界と対峙すべく代表に全力を尽くすことを自身に誓った。と同時に、キャプテンを務めるようになったのである。
シドニーでの苦い経験を踏まえ、「チームのためにどれだけ動けるかが一番大事」だと、キャプテンは説く。
「もちろん個の力も重要ですが、チームのために動けなければ個は活きない。逆に、個がチームのために動ければ、チームも個の特長を活かせる。バスケにかぎらず、チームとしてのよさはそこにあると思う。代表ではいま、藤本や香西ら、個人で点を取れる選手たちが伸びてきています。チームとして彼らをうまく活かすことができれば、カナダをはじめとする世界の強豪国に対しても、まったく遜色なく闘えると僕は信じています」
日本は強い――ベンチにいる時間の長かったオランダゴールドカップで、彼の手応えは確信に変わっていた。
北京パラリンピックまであと2年弱、課題はまだ残されている。とくに列強の国々は、総じて車いす捌きが巧い。ほんの数センチのポジショニングの差で行く手を阻まれ、あるいは置き去りにされてしまう。タイヤのどの部分で相手の動きを封じ、どの向きで止めてつぎのプレーに繋げるのか。求められる精度はミクロにまで及ぶ。だが裏を返せば、それらの課題の克服が、オランダゴールドカップをも凌ぐ結果を導くかもしれない。北京に思いを馳せ、大島は「楽しみだね」と笑顔を見せた。
最後にひとつだけ、彼に訊いてみたいことがあった。
――あなたにとって、どんなプレーがもっとも気持ちいいですか?
大島は即答した。
「味方選手がフリーでシュートを打ったとき。皆んながコート上でおなじことを考えて、意図的にノーマークの選手をつくりだし、フィニッシュまで持ち込めた瞬間が一番、気持ちいい。このプレーは、ひとりでは絶対にできません」
45度のシュートやリバウンドといった個人プレーではない。大島の求めているものは、あくまで「ひとつになること」だった。
≪了≫
【文・隈元大吾】
| 大島朋彦プロフィール |
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1971年3月20日愛知県生まれ。1994年、エドモントンで開かれたゴールドカップで初キャップを手にすると、2年後のアトランタで初めてパラリンピックの舞台に立つ。以降、代表の中心選手に成長し、2000年のシドニーパラリンピックを終えてからキャプテンを務める。センターのみならずフォワードの役割もこなし、精度の高いシュートやリバウンドの強さ、屈強なフィジカルは世界でも引けをとらない。ワールドB.B.C所属。 |
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