updated 06/11/10

スタートライン(前編)
鈴木徹の跳躍シーン=2005ジャパラ(撮影:越智貴雄)

 カチ、カチ、カチ……時計の音が闇に響く。部屋を包む深夜の静寂が、その音を一層、際立たせている。

 彼は生来、本番を翌日に控えていようが、構わずぐっすりと眠りに落ちるタチだ。普段ならとっくに夢を見ているころだろう。だがその夜にかぎっては、秒針がやけに耳について眠れなかった。1時、2時、3時……。時だけは着実に、数時間後の試合へ向けてカウントダウンを刻んでいる。

 眠れぬ理由は判っていた。けっして、残暑厳しい10月の真夜中の蒸し暑さのせいではない。それは、「今シーズン一番のジャンプができるに違いない」という確信からくる興奮の故だった。確たる予感と、その自信を漲らせるだけの万全な肉体が高揚感を呼び起こし、彼を眠りから遠ざけていたのである。

「あとは天気次第だな」声にならない呟きを脳裡で反芻しながら、昂ぶる意識にようやくゆっくりと幕が下りてくる。ベッドの脇に置かれた時計は、4時を回っていた。

 昨年4月、鈴木徹は第68回東京陸上選手権大会で1m95を跳び、2002年に自身がマークした1m90の日本記録を3年ぶりに更新した。さらに続く5月には、イギリスで開かれたパラリンピックワールドカップにおいて記録を伸ばし、1m98を跳んでいる。目標に掲げる2mの大台まであとわずか2cm、しかも銀メダルのおまけ付きだ。「去年は絶好調でした」一年を通して軒並み1m90を超える跳躍を果たし、彼自身、笑いの止まらないシーズンだった。

 しかし今年に入ってからというもの、鈴木の数字がまったく伸びない。飛ぶ鳥を落とすような勢いは陰を潜め、取材を受けるたびに「スランプですか?」と記者に問われるほどの有様だ。

 原因は明らかだった。発端は、昨年暮れに見舞われた怪我である。
「足と義足を繋ぐ"ソケット"と呼ばれる部分があるんですが、それが足に合っていなかったんです。そのため絶えず足に傷ができ、酷いときには患部が膿んでしまった。痛くて義足を履けない時期が、今年の冬から春先にかけて延べ2ヶ月間もあって、練習になりませんでした」

 これには無論、「どうにかなるだろう」という彼らしい楽観的な考えが足かせとなったことは否めない。春を迎え、騙し騙しトレーニングを再開したものの、治っては傷を生む悪循環を繰り返した。怪我の根源であるソケットを足に合うよう修繕しなければ、記録どころか練習さえ儘ならない。義足を使い始めて以来、世話になっている義肢装具士の臼井二美男を訪ねたのは、春も終わり、夏にさしかかる6月のことだった。

 シーズンの出鼻を挫いた怪我は、さらにメンタル面にも影響を及ぼした。鈴木は振り返る。
「やりたい練習ができずに時間ばかりが過ぎていくなかで、焦ったり、余計なことを色々考えるようになってしまった。それは、『2m跳ぶには自分に何が足りないのか』。ほかの選手のビデオをチェックするなど、新しい技術を採り入れることばかりに気が向いていました。跳躍練習でも最低1m90を跳ばなければダメだと気が逸り、それまでは1m60に設定していたスタートの高さを、一気に1m80まで引き上げたりもした。結局、力んでしまい、去年なら楽にクリアしたはずの1m90を一度も超えられない。ベースがきちんと固まっていない状態で、つぎの段階を目指してしまったわけです」

 いまでこそ冷静に分析するが、記録の伸びない原因は夏を過ぎても判らなかった。そして9月初旬、鈴木はさながら迷い子の態で、オランダで開かれるIPC世界陸上選手権大会へ向かう。「まったく跳べる気がしない」戦前の予感どおり、散々な結果が日本記録保持者を待っていた。

≪後編へ続く≫

【文・隈元大吾


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