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スタートライン(後編)
3本目の跳躍が失敗に終わると、世界選手権はあっけなく幕を閉じた。目標の2mはおろか、自己ベストにさえ届かない。順位も9人中5位と精彩を欠いた。結局、「1m89」という、昨年の彼であればトレーニングで悠々と超えていたはずの成績にとどまり、オランダを後にした。 肉体の状態はいいが、なぜか跳躍が伸びない……。帰国の途上、鈴木は思い悩んだ。しかし、いくら頭をひねっても原因はわからなかった。郷里の山梨に戻るや、不意に彼は、ある人物にコンタクトをとることを思いつく。「一緒に練習しないか」そうしたためたメールの送り先は、富士通に所属し、今年の日本選手権で2m33の日本新記録を跳んだ醍醐直幸だった。 じつは鈴木と醍醐は、トレーニングでしばしば顔を合わせる仲だった。というのも、ふたりはそれぞれ、横須賀高校陸上部監督の福間博樹を頼っていたのである。福間といえば、シドニー五輪に出場した元日本記録保持者の吉田孝久を育てたことでも知られる名指導者だ。その福間の計らいで、鈴木と醍醐は練習後に食事を共にしたこともある。ただ、顔を合わせて会話は交わしても、トレーニング自体を一緒に行なったことはなかった。 「ちょうど30cmなんですよ」と、鈴木は悪戯っぽく笑う。 鈴木がそんな表現で敬意と親しみを込めるアスリートは、誘いを快く承諾し、初めて共にしたトレーニングで鈴木の問題点を的確に指摘した。 「助走の接地時間が短い」醍醐の一言に、はたと気付かされる出来事があった。オランダの世界選手権で、高跳びのほかに出場した400mリレーである。現地入りしてから頻度を増したリレーの練習が、鈴木の助走をいつの間にか短距離の走りに変えていたのだ。 「ピッチの浅い短距離の走り方とは違い、高跳びの助走は歩幅を長めにとり、地面をしっかりと押さえつけるように踏みしめなければいけない。種目の掛け持ちで高跳びの基本が崩れてしまい、踏み切りのタイミングが合わなくなってしまったんです」 醍醐の指摘は瞬く間に、鈴木に自信を取り戻させた。さらに福間のアドバイスで、跳躍練習を始める際のバーの設定を1m60まで下げた。思えばその高さは、福間に習い始めたころ、つまり「2m」という"邪念"がまだ鈴木の胸の内に無かったころと、おなじ設定だった。 「2mなんて考えるな。3cmずつ、力まず構えなければ、きっといいジャンプが出るだろう」師匠と同士が太鼓判を押したのは、「ジャパンパラリンピック」4日前のことだった。 ◆ 「あとは天気次第」という期待に反し、その日は朝から大雨だった。この天候では記録は難しい――恨めしげに空を見上げ、競技場へと向かう。だが泣き出した空とは裏腹に、コンディションはすこぶるよかった。寝不足の気だるさもない。湧いてくる自信も昨夜のままだ。「止んでくれ」アップを続けながら、鈴木はひたすら祈った。 そして、祈りは通じた。雨足は次第に弱まり、まるで彼の出番に合わせるかのように雨が上がった。さらに雲の隙間を縫って射した陽が、濡れていたトラックをも完全に乾かした。 天候までも味方につけた鈴木は、1m85に設定したバーを難なくクリアすると、1m88も一回で決める。続く1m91では、この日初めて一回目を落としたものの、二回目の跳躍で軽々と越えた。この時点で鈴木は、「今日はいままでとは違う」という感触を掴んだという。 「調子が悪いときは、1本失敗すると崩れてしまう。くわえて今年は、試合で1m90を跳んでいなかった。去年2mをまえに硬くなってしまったように、いつもなら構えてしまう場面。でもこの日は、『3本あれば跳べる』という気持ちの余裕がありました」 さらに1m94、97を成功させ、いよいよ2mという段になっても、彼の心はブレない。「一瞬の出来事」と振り返る、記録に残る跳躍は、自然と鈴木にガッツポーズを出させていた。 「2m」という積年の壁を越えた鈴木だが、しかしすでに、視界はさらに先を捉えている。 さらに、鈴木は北京以降についても言及する。 義足の意識はないのだと、鈴木はいう。だからこそ、パラリンピックのメダルよりも、記録にこだわっている。北京、さらにその先に描く自身の跳躍に向け、「2m」のパラリンピック日本新記録から真の助走が始まった。 ≪了≫ 【文・隈元大吾】
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