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メインスタンドから聴こえる声援を全身に受けながら、小林深雪はガイドとともに最後の直線を走り抜けた。ゴールした直後、その場に倒れこむ彼女に荒井秀樹監督が駆け寄る。「一番! 一番!」監督が声を掛けながら差し示した電光掲示板の一番上には、「KOBAYASHI Miyuki」の名が光っていた。
手ごたえはあった。トリノに来てから調子は上向き、スタッフのあいだからは期待の声が聞こえた。ともに走る小林卓司ガイドも「今日はやるよ」と、この日のレース直前まで自信を覗かせていた。
深雪の出場したバイアスロン12.5kmは2.5kmのコースを五周し、一周するたびに行なう射撃のポイントとタイムをあわせて競う。つまり射撃の機会は4回あり、1回につき5発、合計20発を撃つ計算だ。命中率が高ければ当然、試合運びは楽になる。射撃を得意とする彼女は一周目の射撃で満射、すなわちすべてを命中させてトップに立ち、優位に立った。
だが二周目に入り、アクシデントが襲う。足のすねが張って痛みが生じ、本来の走りから遠ざかっていった。苦痛を口にする深雪に対し、「弱気になるな」と、走りながら小林ガイドは言い放ったという。
「以前の深雪だったら、そのように一度落ち込むとレース中に取り戻すのが厳しかった。どんどん深みにはまっていってしまうんです。でもそこで立て直せるようになったことがいまの強み」
小林ガイドと深雪が組むようになったのは、2000年のシーズンである。長野パラリンピックで期せずして金メダルを獲った彼女だったが、当時から勝負よりも仲間とともに走ることに楽しみを見出しており、勝利への執着はむしろ少なかった。そしてその点が、小林ガイドのジレンマでもあった。ソルトレークシティ大会を経て互いにコミュニケーションを図るなかで2人が手にした最大の進化は、世界と戦う競技者としての意識の共有だった。
二度目の射撃も満射で通過した彼女は、小林ガイドの叱咤にこたえる。足の痛みを避けるため、上半身主体の走りに切り替えた。射撃では焦らずにしっかりと狙いを定め、三度目もふたたび5発とも命中させた。ライバルと目されていたドイツのベレーナやフランスのエミールは、走力こそ地力を見せていたが射撃でミスを連発し、撃つたびに深雪との差はじわじわと開いていく。四周目に入る時点で、2位との差は170秒にまで開いていた。あとは転ぶことなくしっかりとゴールにたどり着くことだけに集中すればよかった。
「ありがとうございました」ゴール直後、深雪は笑顔と涙の入り混じる表情で繰り返した。
「まだウソのようですが、うれしいです。先生(小林ガイド)に感謝の気持ちでいっぱいです。周りの方の力と、自分の力をあわせて手にした金メダルだと思います」
日ごろは厳しい小林ガイドも、「うれしいの一言。よくやった。ご苦労さん」と、愛弟子をねぎらった。
出発前、荒井監督が力を込めた言葉が蘇る。「トリノのセンターポールに日の丸を掲げたい」。世界との争いがいかに厳しいものであるかは、長野大会からナショナルチームを率いる監督本人がもっとも理解していた。しかしそのうえで、監督、そして選手たちの戦う姿勢に揺るぎはない。小雪舞うなか君が代が流れ、プラジェラートのセンターポールに日の丸がなびく。荒井ジャパンは競技初日から最高のスタートを切った。
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