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「北京には間に合わないかもしれないという思いで、不安と焦りの毎日。旗手に選ばれても、気持ちが晴れることがなく、苦しかった」
一瞬、耳を疑った。発言したのは、ハイジャンパーの鈴木徹選手。約1か月後に開幕が迫った北京パラリンピックの結団式の記者会見で、盛んにフラッシュを浴びて記者に囲まれた彼の口から、このような言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。
聞けば、去年の秋から左膝に痛みがあり、リハビリと故障を繰り返す失意の日々を過ごしていたというのである。
故障は左脚の膝外靭帯炎。膝蓋骨(お皿)の下にある膝蓋靭帯の炎症で、いわゆるオーバーユースが原因となる場合が多いので、治療の筆頭は休養。だが、彼の場合はただ練習を休めば治るような単純なものではなかった。義足をつけた右脚の筋力が左に比べて弱く、脚力の左右差が大きい。身体の動きもアンバランスになり、左脚には過度な負担がかかっていた。長年の負担の積み重ねに、左膝がとうとう悲鳴を上げてしまったのだ。
痛みをこらえてバーに挑んでも、数回ジャンプすると、それ以上跳び続けられないほど痛みが強まる。はじめの頃は練習を少し休めば痛みが弱まるが、練習を再開すると、また痛みが出る。回復と再発を繰り返し、ある時跳ぶことさえもできなくなった。
「膝の状態や治療に関して、自分にも甘さがあった」と気づいた鈴木選手。医療スタッフのサポートを得て、身体の使い方から見直し、痛みの原因と真正面から向き合うことで、治療とリハビリに本腰を入れた。北京までのカウントダウンが聞こえる中、募る不安と焦り。
本格的な練習ができるようになったのは夏の始め、ようやくバーを跳べるまで回復したのは7月の終わり。そして、大会参加の目処がついたのが、一昨日のこと。急きょ参加した、地元の小さな大会で、6回の試技を跳びきることができたのだ。
「本当に“これでやっとスタートラインに立てる”とホッとしました。苦しかったけれど、この故障はアスリートとして意味のあるものだったと思う。北京に行けるのは、スタッフや家族など周囲の支えのおかげだと改めて思えた。故障を通して、人間としても成長できたと思っている」
苦しい日々があったからこそ、北京には特別な思い入れがあるという鈴木選手。陸上チームの主将でもある彼は、自分の出来がチームの士気を上げることも自覚している。パラリンピックは今回で3回目だが、過去2回はともに6位入賞。
「僕はただのチャレンジャー。バーを跳べる喜びをぶつけて、北京では攻めのジャンプをするだけです」
記事:星野恭子 |