updated 06/06/13

輝きに出会うーパラリンピックの贈り物
車椅子レース=シドニーパラリンピックで(撮影:越智貴雄)

 僕がパラリンピックと初めて出会ったのは、2000年のシドニーである。オリンピック直後に、急きょパラリンピックの撮影依頼が舞い込んだ。
 パラリンピックを見るのも、撮影するのも初めてだった僕は、かなりのとまどいと緊張を覚えた。しかし、撮影がはじまると、そんな不安を感じている余裕は全くなく、気がつくと、ただひたすら無我夢中でシャッターを押していた。
 2002年ソルトレーク、2004年アテネ、2006年トリノパラリンピックも終り、しょうがい者スポーツを追いかけてから6年が過ぎようとしている。

 あらためて考えてみると、はじめてパラリンピックを撮影している時の僕は、素晴らしく高揚した気分だった。何もかもが新鮮だった。なぜ、パラリンピックは僕をそんな気持ちにさせたのだろう。パラリンピックの何が心を揺さぶったのだろう。
 シドニーパラリンピックを観戦していた地元シドニーの小学生は、興奮しながら言った。 「選手たち、ものすごくカッコいい!うらやましい!僕もあんな風になりたいなー。」子供のストレートな反応に胸の奥がドキッとした。

 それまでの僕は、自分とは全く関係のない世界の話だと思っていたし、興味もなかった。"しょうがい者"という言葉やイメージだけで気持ちが身構えたりしていた。しかし実際、選手に会ってみると、こちらの勝手な思いこみや先入観はあるだけじゃまだと気がつく。
"しょうがい者"と一口にいっても人それぞれ全く事情が違う。生まれながらの場合や病気が原因の場合、不慮の事件や事故に巻き込まれた場合などさまざまである。そして、しょうがいの箇所や程度もまさに千差万別である。それをひとまとめに"しょうがい者"とくくるのは、実際かなり乱暴な話である。性格ももちろん底抜けに明るい人やおとしい人、まじめな人や遊び好きな人といろいろである。

 例えば、僕は100mを走ると20秒ぐらいかかるが、選手は義足で100mを10秒台で走る。スキーだって僕は転がる方が早いくらいだが、選手は片足だけで物凄いスピードで滑る。
 そんな選手達を目の前にしたら、しょうがい(障害)って一体なんだろう?と自分に問いかけてしまう。ある選手の言葉が心に響く。『本当のしょうがいとは心の障害である』心の中に自分自身でつくり出してしまう"限界の壁"が本当は一番やっかいで恐ろしい障害なのであると。

 パラリンピックは人間の持っている潜在能力の高さや可能性を、選手たちが目の前で存分に見せつけてくれる。人間の未来なる能力への可能性さえも感じさせてくれる。
「人間ってすばらしいなー。人間っていいなー」と、素直に心が反応する。普段、自堕落な生活を送っている自分でさえも愛おしく思えてくる。まわりの人達にもやさしい気持ちになってくる。実に不思議な気持ちの動きである。

 これからも僕はこんな気持ちにさせられるのか、はたまた違う感覚を味わうことになるのか。そして2008年の北京パラリンピックでは、どんな新しい世界を見ることが出来るのか、期待せずにはいられない。

【文・越智貴雄】       
義足のスプリンター=シドニーパラリンピック(撮影:越智貴雄)
良い記録を出し跳びはねガッツポーズ=シドニーパラリンピック(撮影:越智貴雄)
ゴール後、視覚障害の選手が伴走者と抱合った=シドニーパラリンピック(撮影:越智貴雄)


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