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終わりなき集大成(中編) 「アメリカ戦とイラン戦がポイントだった」 「もっとできるはずなのに、という思いがあった」と、小川は言う。 そのイラン戦では、日本代表が序盤から主導権を握った。断っておくが、たしかにイランはカナダやヨーロッパなどの列強に比べて実力は劣るものの、少なくともアテネで見せた彼らのプレーの精度は総じて高かった。実際、日本も優勢とはいいつつ、相手の再三の粘りに幾度も追いつかれそうになっている。だがそれでもなお集中力を途切らせることなく40分間を闘い抜き、終わってみれば20点差をつけて快勝したのだった。
予選ラウンド最終戦となるこのイラン戦の勝利の意味は大きかった。決勝トーナメント進出を決めたという事実だけではない。それまでに培ってきた小川ジャパンのスタイル、すなわち組織的なランニングバスケを徹底した結果、手にした勝利だったからだ。「本番を重ねるごとにチーム力が上がっていった」と、指揮官が頬を緩めたゆえんでもある。 しかし組織力の成長に反して、より顕著に表れた課題もあった。個のスキルである。 ここであらためて小川ジャパンの進化の過程を整理しておこう。北九州ゴールドカップでは、ランニングバスケを標榜するもイメージに留まり、コート上で体現するまでには至らなかった。かくして臨んだアテネでは目指すバスケの理解を深め、各選手の意識の共有のもとに組織力を高めている。だが北九州と同様、決勝トーナメントでの一勝には届いていない。すなわちつぎなる2年後のオランダゴールドカップへ向けては、組織力をベースにしつつ、局面をも打開できる個々人の能力のボトムアップに重点が置かれたわけだ。 アテネから帰った日本代表のトレーニングは、じつにシンプルだった。以前はその全体像を把握するのにさえ苦労するほどに山積していた課題も、丸4年で削ぎ落とされ、局所的かつ明確になったからだ。合宿ではセンタープレイヤーの強さを求めてビッグマンだけの5対5を実施し、また屈強な欧米人にポジショニングで劣らぬよう個々のチェアスキルを磨いた。あるいはトレーナーの協力のもとに個人のメニューを作成し、日々の努力を促した。 さらにもうひとつ、小川が重視したのが若手の育成だった。長きにわたり代表を牽引してきた大島ら中心選手たちは、軒並み30代も後半にさしかかっていた。目先の大会はもとより、車椅子バスケット界の将来を慮る指揮官にとって、後進の成長は不可欠だったのだ。こうしてさまざまな思いとトレーニングを重ねて迎えたのが、昨年7月のオランダゴールドカップだったのである。 【文・隈元大吾】⇒ パラコラムトップページへ ⇒ カンパラトップページへ |
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