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負けても「アスリート高桑早生」を追い続ける理由 ~アジアパラ大会観戦記~

高桑早生の跳躍=アジアパラ大会2018(撮影:越智貴雄)

「彼女なら、きっと大丈夫。これを糧に、絶対に成長するはず」

 陸上競技場から次の競技会場への道すがら、私は何度も何度も、そう呟いていた。ふと気づくと、拳をぎゅっと握りしめていた。8年間追い続けてきた彼女に対する思いを再確認せずにはいられなかった――。
パラ陸上競技・高桑早生。“8年越しの雪辱”を果たすべく、「アジアパラ競技大会」(インドネシア・ジャカルタ)に臨んだ彼女の姿を追った。

【本番前に感じた“演じた表情”】

 10月9日、現地時間10時半。高桑にとって待ちに待った「勝負の時」が訪れた。3日前に開会式が行われたメインスタジアムのバックストレート脇で行われた女子走り幅跳び。今大会は高桑のクラスである「T64」に加えて、「T63」「T62」の3つのクラスを併合したかたちで競技が行われた。障がいの度合いが異なるため、実際の記録に決められた係数をかけた数値で競うコンバインド形式。5人のうち4人が日本人だった。

 競技開始1時間前にスタジアムに到着した私は、高桑の跳躍をしっかりと見ることのできるベストポジションを探し、ここだと思える場所に腰を落ち着かせた。そして開幕の9日前に行なったインタビューの内容を思い出していた。

 インタビューの最後に、私はこんな言葉をかけていた。
「これまで見たことのない高桑早生の姿が、ジャカルタで見られそうですね」
それは、高桑が“8年越しの雪辱”で金メダルに輝く瞬間の訪れに期待した言葉だった。その訪れを想像しながら、もうすぐ始まる戦いに思いを馳せていると、気づけば、いつの間にか高桑たち選手が会場に姿を現しており、アップの準備を始めていた。

 双眼鏡をのぞくと、落ち着きのある高桑の表情が見えた。だが、その落ち着きは自然なというよりは、どちらかというと何か演じているようにも思えた。力が入り過ぎないように、必死に自分を冷静にもっていこうとしているような気がしたのだ。なぜ、そう見えたのか。それは、高桑にとって今大会がどれだけ思い入れの強いものであるかを、私自身がわかっていたからからだ。

【アジパラへのこだわりは8年前の悔しさ】

 高桑にとって、アジアパラ競技大会(以下、アジパラ)は、単なる「4年に一度、アジア一を決める大会」ではない。彼女には並々ならぬ強い思いがある。それは8年前にさかのぼる。当時、高校生だった高桑は、初めてアジパラに出場し、100mで銀メダルを獲得した。当初、それは納得の結果だった。レースの内容も良く、今ある力を出し切ったという感覚があったからだった。

100mで銀メダルを獲得した高桑早生=アジアパラ大会2010(撮影:越智貴雄)

 ところが、その後、しばらくして自分でも思いがけず悔しさが湧き上がってきた。きっかけは、その頃から指導を受けている高野大樹コーチからのひと言だった。

「銀メダルでいいの?」
そう言われた瞬間、高桑の胸のうちにあった悔しさの波が、堰を切るようにしてどっと押し寄せてきた。

「最初は力を出し切ったんだからと銀メダルで納得していたんです。周りからも『おめでとう』と言われていたので、喜ぶのが当然だろうと思っていました。でも、高野コーチだけは違いました。帰国して最初に会った時に開口一番に『銀メダルでいいの?』と。その瞬間、無意識に感じていた悔しさがこみ上げてきたんです。逆に『あ、悔しがっていいんだ』と思いました」

 もちろん、負けた悔しさはあった。しかし、金メダルを獲得した選手は、当時の高桑にとって「夢の舞台」でしかなかったパラリンピックのファイナリストでもあり、自然と「仕方ない」と自分で自分を納得させようとしていた。だが、周りを見ると、その前年のユースアジアパラ大会で共に活躍した同世代の選手たちは皆、金メダルを手にしていた。

「私だけが銀メダルだったことが、やっぱり悔しかったんです。だから、次は絶対に金メダルを取ると決めていました」

100m銅メダルの高桑早生=アジアパラ大会2014(撮影:越智貴雄)

 そうして臨んだ4年前のアジパラは、その2年前に初めてのパラリンピック(ロンドン)にも出場し、自信をもって臨んだ大会だった。ところが、同じ100mで、高桑は今度は銅メダルとなった。しかし、そこにはある事情があった。高桑と同じクラスの選手はアジアには少なく、メダルレースとして成立させるために下肢障がいの高桑は、上肢障がいの選手との競走を余儀なくされたのだ。当然、上肢障がいの方が有利であることは容易に想像ができる。それでも高桑は、金メダルを諦めることはなく、開幕前には珍しく自ら「金メダル宣言」をしていた。

銅メダルで涙する高桑早生=アジアパラ大会2014(撮影:越智貴雄)

 しかし、結果は銅メダル。いつもならどれほど悔しくても、メディアの前で泣くことを良しとしない高桑だが、その時ばかりは我慢しきれず、ミックスゾーンで大粒の涙を流した。そんな姿に、彼女のアジパラへの思いの深さを改めて感じずにはいられなかった――。

【自信が失われた2本続けてのファウル】

 そして、今回もまた、高桑は金メダル獲得に燃えていた。これまでメインにしていた100mが既定の人数に達せずノンメダルレースとなったために、高桑は今シーズンから本格的に取り組み始めたばかりの走り幅跳びでの金メダルを目指していた。しかし、そこには同じ日本人でアジア記録保持者の中西麻耶という存在がいる。昨年の世界選手権で銅メダルを獲得した実力者だ。だが、高桑は「私が金メダルを取りたいという気持ちに変わりはありません」と、こちらが驚くほどに強気な姿勢を崩さなかった。

 それにしても、なぜ高桑はそこまでアジパラでの金メダルにこだわるのか。パラリンピックの経験がなかった8年前ならいざしらず、今ではもうパラリンピックという世界最最高峰の大会に2度も出場し、いずれもファイナリストになっているのだ。にもかかわらず、なぜ……。今大会の開幕前、そんな疑問を率直にぶつけると、高桑はこう答えた。

「自分でも不思議なのですが、とにかくアジパラで金メダルを取りたいんです。それはパラリンピックに出場したからといって消えるものではない。誰が何と言おうと、私はアジパラで金メダルを取りたい。それで何を得られるかは、金メダルを取ってみないとわからないけれど、今回は東京への自信にしたいなと思っています」

 今シーズンから本格的に走り幅跳びの練習を始めた高桑だが、シーズン最初の実戦となった4月の織田幹雄記念国際陸上大会で、それまでの自己ベストを14cm上回る5m25をいきなりマークしてみせた。しかし、本人に言わせれば、これは「出した」のではなく偶然に近い「出てしまった」記録だったという。それ以降、その記録を上回っていないことからも、やはり実力で出した記録ではなかったのだろう。

 それでも、6月には自己ベストに近い5m22を2度出すなど、徐々にコンスタントに5mの記録を出すことができるようになってきていた。

 そうして臨んだのだが今回のアジパラだった。現地入りしてからの調整もうまくいき、高桑は自信を募らせていた。迎えた本番当日の朝のアップでも「少なくとも自己ベストはいけるはず」と手応えを感じていたという。

高桑早生ファウルの跳躍=アジアパラ大会2018(撮影:越智貴雄)

 だが、結果はそれとはあまりにもかけ離れたものだった。1、2本目は勢い余ってしまったのか、踏み切りラインを越え、ファウルとなった。この時点で、高桑はひどく落胆し、数時間前まで確かにあった自信を失いかけていたという。

 双眼鏡越しに見た3本目に臨む高桑の表情は、それまでの力みが少し消えているように思えた。しかし、「絶対に失敗してはいけない」という気持ちが働き、ラインを大きく余らせての踏み切りとなった。記録は4m84。この時点で、高桑は5人中5番目の位置にいた。それはまったく予想していなかった「これまで見たことのない高桑早生の姿」だった。

 この大会にかける思いの強さを知っていただけに、実力を出し切れずにいる高桑の姿を見るのは苦しかった。それでも、最後まで見届けようと、私はスタンドで一人、自分を奮い立たせていた。なんとか「5mジャンプ」だけは見せてほしいと願ったが、4本目は4m85、5本目は4m76、そして最後はファウルの赤い旗が上がった瞬間、“8年越しの雪辱”は断たれた。

【過去に証明済みの「乗り越える力」】

 全員の跳躍が終わると、私はスタンドから急いでミックスゾーンへと向かった。そこには、大勢の日本の報道陣が待ち構えていた。しばらくして、選手たちがやってきた。先頭で現れたのは、高桑だった。

 報道陣に感想を聞かれると、高桑は繰り返しこう述べた。
「これ以上でも、これ以下でもない。とにかく今大会で記録が出せなかった。それだけです」
一切の言い訳はしまいという高桑らしい答えだったが、笑顔で受け答えする彼女の姿に胸が苦しくなった。

 本来であれば、そのままそっとしておいた方が良かったのかもしれない。だが、意を決してインタビューを終えて帰ろうとする高桑を呼び止めた。これからも彼女を追い続けていくためには、今の高桑の気持ちをしっかりと聞いておかなければならないと思ったからだ。

 改めて今回の跳躍について訊くと、高桑は少し間を置き、そしてゆっくりと話し始めた。
「勝ちたいと言ってきたけれど、あまり強く気持ちを入れすぎてはダメだなと。高野コーチからも『変に意気込むなよ』と言われて、『楽しく6本を跳ぼう』と思って臨んだんです。でも、最初の2本でファウルになってしまって、『何やってたんだろう』という気持ちになってしまいました。残り3本でしっかりと攻めなければいけなかったのですが、なぜできなかったのか、まだ自分でもわからないです」

 そして、最後にこう気持ちを吐露した。
「積み上げてきた自信がすべて失われた気がしています……」

 しかし、私はそれは彼女の“真の言葉”では決してないような気がした。いや、その場での本音を打ちあけてくれたのだとは思う。だが、それはショックからの一時的なもののように思えたのだ。少し時間が経てば、高桑は必ず気持ちを整理し、今回の跳躍を分析し、課題を確認し、そして次へと向かっていくはず。そう思えたのは、これまで8年間、追い続けてきた彼女はそうして乗り越え、壁を打ち破ってきたからだ。

 こんなことを言うと、まるで高桑のすべてを知り尽くしているように聞こえるかもしれないが、もちろんそうは思ってはいない。知らない方が多いとさえ思っている。しかし、今回は高桑をわかっているつもりでいることに勝手ながら決めた。彼女はこの経験を糧に、きっと這い上がってくる。そう信じているからだ。

 思えば、スプリンターとしての高桑もまた、苦しんできた。一度、13秒台を出した後、約2年間、練習では出せるのに、実戦では一度も14秒の壁を破ることができなかったのだ。それでも彼女は、高野コーチと二人三脚で乗り越え、今では13秒台は当然の記録となっている。

 そんな彼女の成長を見続けてきたからこそ、こう断言したい。「高桑早生なら、大丈夫。これを糧に、絶対に成長するから」と。
そしてそれこそが、私が彼女を追い続けている理由でもある。

(文・斎藤寿子)

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