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超人烈伝

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「7年ぶりの復帰 そして、リオへ」 ~水泳・成田真由美(前編)~

アテネパラリンピック50mで金メダルを獲得した成田(撮影:越智貴雄)

アテネパラリンピック50mで金メダルを獲得した成田(撮影:越智貴雄)

復帰は、自然の流れだった…

 成田真由美……。
 パラリンピックという言葉を世に広めた人と言っても過言ではないだろう。なぜなら、パラリンピック競泳で1996年のアトランタから2008年の北京まで4大会連続出場、金15個、銀3個、銅2個、計20個のメダルを獲得し、「水の女王」と呼ばれるほどの結果を残してきたからだ。

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 多くの人は、そのメダルの数に驚き、称賛する。
しかし、恐らくそれだけではない。成田に一度会うと、よく笑い、気さくに話す、その人柄に魅了されるのだ。「選手・成田」だけでなく「人としての成田」に接し、「成田さんはすごい!」となるのだと思う。

 2008年の北京パラリンピック以降、「選手・成田」を卒業してからは全国を回り、講演活動などを通じ、障がい者や障害者スポーツ、そしてパラリンピックについて多くの人に語りかけてきた。講演のたびに成田は「障がい者がどういう助けを必要としているかを、たくさんの子どもたちに伝えたい」という思いを強くし、特に小中学校の講演に力を入れていた。

 一方で、2013年に日体大総合研究所・客員研究員、2014年に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、2015年には中央教育審議会委員など、社会的な任務を受けるようになった。さらに、日本身体障がい者水泳連盟の活動も手伝うようになっていた。だから誰もが、もちろん成田本人も「選手を応援する側の成田として」これから生きていくと思っていた。

競技復帰前も生活の一部として泳ぎ続けていた。写真は2014年9月(撮影:越智貴雄)

競技復帰前も生活の一部として泳ぎ続けていた。写真は2014年9月(撮影:越智貴雄)

 しかし2014年11月、成田は選手復帰を決断。本格的な水泳の練習を開始した。もちろん、水泳が生活の一部になっている成田は北京後もずっと泳ぎ続け、健常者のマスターズ大会にも年に数回出場をし、「目標は、マスターズで入賞すること」と言っていた。

 成田は復帰の理由をこう説明した。
「組織委員会の理事として私にできることは何かと、ずっと考えていました。講演活動などでパラリンピックの魅力を語る以外に、何かもうひと工夫必要じゃないかと思っていたんです。そのうち、次世代の選手が育っていないことに気づきました。このまま東京大会を迎えたくはない……そこで私が泳ぐことで“自分もやってみよう”と思う人が出てくるかもしれないと思ったのです」

競技復帰前も生活の一部として泳ぎ続けていた。写真は2014年9月(撮影:越智貴雄)

競技復帰前も生活の一部として泳ぎ続けていた。写真は2014年9月(撮影:越智貴雄)

 そしてこうも言った。
「絶対どこかに、自分の才能に気付いていない逸材が埋もれているはずです。障がいがあると、水着になって人前で泳ぐのは勇気がいるかもしれない。でも、これだけは言えます。水の中は自由です。障がいの有無に関係なく水の中では自由に動けるのです。たくさんスポーツがある中で、水泳は唯一何もつけず、自分の力だけで動ける競技なんです」
成田自身、23歳で競泳を始めるまで全然泳げなかっただけに、その言葉には力がある。

何度でも挑戦する

 ずっと泳いでいたとはいえ、7年ぶりの復帰に不安はなかったのだろうか。
「正直、どこまで体を鍛えられるか、選手としての勘が戻るのか、最初は不安もありました。でもコーチを信じて練習するうちに少しずつ手ごたえを感じるようになりました」
 練習を重ねていくうちに、体は絞られ筋肉が付いた。しかし当初、タイムは思い通りには伸びなかった。

復帰後の初戦、これから泳ぐレーンをまっすぐ見つめる成田(撮影:越智貴雄)

復帰後の初戦、これから泳ぐレーンをまっすぐ見つめる成田(撮影:越智貴雄)

 復帰後の初めての大会は、第29回関東身体障害者水泳選手権大会(2015年6月14日)、だった。出場種目は100m自由形と100m平泳ぎ。両方とも午後からだったので、成田は昼休みに緩急をつけながら丁寧にアップをした。いい泳ぎだった。あるカメラマンがファインダーをのぞきながらボソッと言った。「すごい、パラリンピックの時の顔に戻ってる」と。
 観客の中からも「成田さんだ」という声があちらこちらから聞こえてくる。ブランクがあっても、「選手・成田」は注目の的だった。

復帰後の初戦、ゴール後、浮かない表情を見せる成田(撮影:越智貴雄)

復帰後の初戦、ゴール後、浮かない表情を見せる成田(撮影:越智貴雄)

 しかし、自由形も平泳ぎもどちらも50mのターンの後、失速した。目標としていたタイムには届かなかった。「今日のタイムは忘れたい」と言うのでここには書かない。成田は泳いだ後、しばらく茫然としていた。復帰以来、ハードな練習もきちんとこなしてきただけに、納得できるタイムが出なかったことに戸惑っている様子だった。
「なんでだろう」と何度もつぶやいていた。世界で戦い、勝ち続けてきた成田が、国内の初戦の大会でもがいていた。
「コーチに申し訳ない……なんて言おう……」
 コーチのために泳いでいるのかと尋ねると、しばらく黙った後、こう言った。
「違う……私が泳ぎたいから泳いでる。今日は、失速という課題も見つかったので、明日から出直しです。コーチには、またガンガン鍛えてくださいとお願いします」
 そこには金メダリストではなく、一選手、挑戦者の成田真由美がいた。

リオパラリンピック出場を決めた春季記録会での成田(撮影:越智貴雄)

リオパラリンピック出場を決めた春季記録会での成田(撮影:越智貴雄)

もう一度、パラリンピックという舞台へ

 その後、成田は大会ごとに着々と結果を残し、今年の3月、春季記録会でリオへの切符を手にした。選手復帰をして1年4カ月。かつて「水の女王」と言われた成田真由美が、8年ぶりにパラリンピックに戻ってきた。ロンドン大会は、スカパーで水泳の解説をしていた成田が、リオではまた「見られる」側になる。
そして、何度も聞かれるのだ……なぜ復帰したのか、と。これはもう宿命としか言いようがないのかもしれない。2013年9月、IOCのロゲ会長(当時)が「TOKYO」と言ったその会場に、成田はいたのだ。そしてその歓喜を招致メンバーと共にし、興奮の渦の中で成田の心の中に小さいけれど、決して消えることのない火が灯ったのだ。
 不安もある。でも一方で成田は言う。「ワクワクしています」と。成田を引き寄せる力が「パラリンピック」にはあるのだろう。

(文/棟石理実)

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