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超人烈伝

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「成田真由美、何がすごい!?」 ~水泳・成田真由美(後編)~

どこの大会でも成田に多くの報道陣がつめかける(撮影:越智貴雄)

どこの大会でも成田に多くの報道陣がつめかける(撮影:越智貴雄)

「成田真由美は、なぜすごいのか」
 選手復帰をしてから成田が着々と記録を残している。当然、数多くのメディアが注目している。ここで、そばにいるマネジャーとして一度ちゃんと成田のすごさについて考えてみようと思い、よし! と机に向かった。

 …………。
 はて? 成田は何がすごいんだろうか、考えてしまった。
 こう書くと、リオ代表に決まって以来、多くのメディアに「さすが成田選手」的に取り上げられているだけに、「何を言っているのか!」と、思う人も大勢おられるだろう。
 確かに成田はすごい、人をひきつける力がある。だからこそ、私もそばにいるのだ。そして今、あらためて振り返ると、以前は「すごい人だ」と何度も思った。人柄、練習内容、考え方……「だからこの人はメダリストなんだ!」と思ったものだ。
 しかし長くそばにいると、空気のようになってしまうのか、すごさに「慣れる」のか、あるいは「素の成田」を知ったせいなのか、「普通の人じゃん」って思う部分が増えてくる……時には「大丈夫か? な・り・た」と思うことさえある。だからなのか、今、私は成田のすごさに鈍感になっているのかもしれない。
 そこで、これを機に成田のすごさをもう一度ちゃんと考えてみようと思う。

練習後、笑顔の成田(撮影:越智貴雄)

練習後、笑顔の成田(撮影:越智貴雄)

「45歳でどうしてあんなに速いんですか?」

 メディアの方から、この質問を成田は何度受けただろうか。取材後成田は、この質問に対して「そこ!? また!? って感じ」とよく言っていた。成田としては、年齢に挑戦しようと思って泳いでいるわけではなく、自分自身への挑戦として、ひたすらにきつい練習を積んできたのだ。
 2008年北京パラリンピック後、成田は一度選手を退いた。決して引退したのではなく、ずっとサクラスイミングで泳いでいた。健常者のマスターズ大会にも出場していた。でも、選手の時とは練習の内容が違う。当然、今より「若い」のに、タイムは遅い。選手としての練習をしていないから遅いのだ。
 つまり、選手としての練習を積めば速くなる……わけではない。

成田はひとたびプールに入ると強烈なスイッチが入る(撮影:越智貴雄)

成田はひとたびプールに入ると強烈なスイッチが入る(撮影:越智貴雄)

 成田はひとたびプールに入ると強烈なスイッチが入る。人格が変わる。もちろんコーチの指導も容赦ない。練習メニューの中に、50mや100mを30本~40本という練習が含まれているのはざらだ。しかも1本に対する制限タイムも相当きつい。タッチしたらすぐに出るという場面は何度もある。コーチは「(タッチして休みが)4秒もあれば十分」と言う。

足に障害がある為、足の機能が使えないので、手の力だけで泳ぐ成田(撮影:越智貴雄)

足に障害がある為、足の機能が使えないので、手の力だけで泳ぐ成田(撮影:越智貴雄)

 しかし、成田は弱気な顔はしない。絶対に回ってやる、と顔に書いてあるかのようだ。その光景は、妥協を許さない選手とコーチの戦いにも見える。ただこの戦いは、練習をこなせたら成田がコーチに勝ったのではなく、成田もコーチも次のステージが見えてくる。こなせなかったら、成田もコーチも敗北なのだ。
 やるからにはお互い負けるわけにはいかない。だから成田は必死に手を動かす、無心に手を動かす。時にボロボロなその姿は、足を使わないで泳いでいる、なんてことを見ているこちらは忘れてしまうほどだ。

厳しいトレーニングを積んできた成田(撮影:越智貴雄)

厳しいトレーニングを積んできた成田(撮影:越智貴雄)

「試しておきたかった」とポツリと言った

 成田が速いのは、猛練習を積んだからに他ならない。そしてどんな猛練習にも決して弱音を吐かずに挑み続けるところが成田のすごいところなのだ。むしろやればやるほど力が湧いてくるタイプである。なぜそれができるのか。恐らくこの練習に耐えたその向こうに、裏切らない結果があると信じているからだと思う。そう無邪気に信じられるのも、成田のすごいところだろう。
 以前、コーチがこんなことを言った。「成田選手は、子どものような面がある。だからやればできると素直に思えるから、今でもタイムが伸びるんだと思う」と。妙に納得した。その子どもっぽさが時に「大丈夫か? な・り・た」と言いたくなる部分ではあるが、選手としては必要な部分だ。「こうありたい」「こうしたい」という気持ちを持ち続けられるのも、成田のすごさだろう。
 「どうして、その思いを持ち続けられるのか?」と聞かれたら、「単に、そうありたいと思うからです」とあっけらかんとして成田は答えるだろう。成田は、そういう人だ。

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 成田は選手としての活動以外に、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会・理事、第8期中央教育審議会・委員、日本体育大学日体大総合研究所・客員研究員などさまざまな役職をお受けしている。そのために会議が重なり、練習が思うようにできないこともたびたびあった。会議出席後に夜間練習(20時から21時)へ行き、帰宅は22時を過ぎるのに、その翌朝の朝練(6時から)に出て、その後また会議へ出席するということもあった。
 ある時、朝から会議が2つ続き、しかも数日前から風邪気味だったが、なんとか会議を乗り切ったことがあった。そばで見ていても体調が芳しいとは思えなかったので、「今日は夜練、休んだら? 休むのも選手の務めだよ」と言ってみた。すると成田は「いや」と即答した。そして「今日やっておかないと明日(の練習)が苦しいから」と言った。
 その日のメインの練習は、「フリー、50m×30本」、1本の制限タイムは1分。成田の50mのベストタイムは、2004年アテネパラリンピックで出した39秒22。12年も前である。
 成田は30本すべて、46秒から48秒でかえってきた。しかも、ベストタイムからほど遠いとはいえ、50mを1分以内で泳いできて、しかも30本。1500m、約30分間をほとんど全力で泳ぎ続けることがどれほど過酷なことか。

成田は下半身麻痺で体温調整が困難なため、激しい練習を続けるとホースからの冷水で身体を冷やすことが必要となる(撮影:越智貴雄)

成田は下半身麻痺で体温調整が困難なため、激しい練習を続けるとホースからの冷水で身体を冷やすことが必要となる(撮影:越智貴雄)

 泳ぎ切った後、成田は肩で息をしながら「16本目で吐くかと思った」と言ったが、ずっと見ていてそんな風には見えなかった。やっぱり「とんでもない人だ」と思った。そして、ポツリとこう言ったのだ。
 「体調が悪いなりにどこまでできるのか、試しておきたかった」と。
 常に挑戦者だ、この人は。自分に負けては他人に勝てるはずがない。それを知り尽くしているからこそ、泳いで泳いで泳ぎまくる。
 「今日もできたあ」と言って、ゆっくりダウンを始めた。ダウンを終えた時、「月がきれいだよ」と私が言うと、ニコニコ顔で「どこどこ?」と言いながらプールサイドのそばまでやってきた。その無邪気さは、すでにアスリートの顔ではなかった。
「どこ?」「ほらあそこ」「ええ? どこ?」と言ってオットセイのようにプールサイドに上がり、窓から空を見上げていた。
「見えた!」と言いながらうれしそうに笑った。
「変だよ、その恰好」
「でもなんだか気持ちいいよ」と、しばらくオットセイのままでいる。まさに「大丈夫か? な・り・た」と思った瞬間だ。
 充実感からか、こんなにケラケラと笑う。もしかしたら、これも成田の強さ、すごいところなのかもしれない。
その日の夜練は、21時に終了。泳いだ距離はいつもより少なく2000m。メインの照明が落ち、水面が月明りに照らされてゆらゆらしていた。明日の朝11時、成田はまた「ここ」に戻るのだ。

力泳する成田=2016ジャパンパラ水泳競技大会(撮影:越智貴雄)

力泳する成田=2016ジャパンパラ水泳競技大会(撮影:越智貴雄)

リオでも、きっとすごい!

 2015年11月7日、日本選手権大会、50m背泳、51秒20、アジア新記録。2016年3月6日、春季記録会、50m自由形、40秒90、リオ派遣標準記録を突破。同年7月17日、ジャパンパラ水泳競技大会、50m自由形、 39秒70、日本新記録。翌18日、200m自由形、3分11秒20、日本新記録。

 ここ半年ほどで、成田は新記録を連発した。「45歳成田!」が一層強調された。確かに、若い時より体のケアに時間はかかる。どこかしらに痛みを抱えている。重ねた年齢は、嘘はつかない。それは成田自身が一番実感している。
 それでも成田は、年齢を意識はしない。意識をするとそれを言い分けにできるからだ。何よりも自分で限界を作ることにもなりかねない。「45歳ですが、なにか?」というのが成田の正直な気持ちだろう。

リオパラリンピック直前の成田の泳ぎ=2016年8月(撮影:越智貴雄)

リオパラリンピック直前の成田の泳ぎ=2016年8月(撮影:越智貴雄)

 当然、コーチも手を抜かない。6月のドイツオープンから帰って以来、さらに厳しさを増した。7月のジャパンパラでエントリーしている50m自由形で40秒を切るためだ。北京大会以来、成田は40秒を切っていない。練習中、それこそコーチから45歳でそこまで言われるか、というほど鋭い言葉が成田に飛んでくる。もちろん、成田はその言葉に負けない。
 そして7月17日、成田は結果を出した。ゴールした瞬間、成田はすぐにガッツポーズをし、もう一度、手を変えてガッツポーズをした。8年ぶりの40秒切り。人はやる気になればできるんだと成田は実証したのだ。もちろん、簡単なことではない、思えばできるものでもない。強い思いとそれに伴う行動力が必要だ。成田だからできたのか、それとも誰にでもできるのか……成田自身は、「私は特別ではない、誰でもできる」と心の底から信じている。そう、とても無邪気に。
でも、少しくらいはできるかもしれない、と思わせる説得力が成田の泳ぎにはある。
 レース後、興奮と喜びとゴチャゴチャになりながら、成田の目にうっすらと涙があった。体が濡れているので目立ちはしなかったが、思わず「泣くな~」と言うと、「うん」とうなずき笑顔に戻った。成田も心身ともに相当しんどかったのだ。
 自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、シンプルに考えてひたすら自ら設定した目標に向かって進んでいく。辛くても続ける。自分で決めたのだから。

練習後の成田(撮影:越智貴雄)

練習後の成田(撮影:越智貴雄)

 でも、本当の勝負は9月だ。「どうして選手に復帰したのか」という質問もよく受ける。「どうして?」……その答えも簡単だ。「もう一度、パラで泳ぎたくなったから」、それ以上でもそれ以下でもない。「TOKYO」と当時のIOC会長が、2020年の開催地を発表した時から、成田の心に小さな火が灯ったはずだ。それからその火を絶やさず大きくするところが、成田のすごさだ。45歳と言われようが、どこ吹く風。「どうして?」よりも「どうしたいか」なのだ。
 ちなみに、リオパラリンピックに成田は46歳で出場する。今ではそれを自ら宣伝している。これも成田のすごさだ。リオで、成田は100m平泳ぎ、100m自由形、50m自由形、50m背泳ぎ、400mリレー、400mメドレーリレーの6種目に出場する。後悔のないように泳ぎ切るはずだ。そうできたら、成田のすごさは倍増する。そしてこう言うんじゃないか、「46歳、成田やりました!」と。

(文/棟石理実)

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