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超人烈伝

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「ハイレベルな三つ巴の戦いに挑む」 ~パラ陸上・山本篤~

今、日本のパラ陸上界で最も注目されている山本篤(撮影:越智貴雄)

今、日本のパラ陸上界で最も注目されている山本篤(撮影:越智貴雄)

「いったい、どこまで伸びていくのだろう……」
 彼のパフォーマンスを見聞きする度に、そんな底知れぬ期待感が湧いてくる。山本篤、34歳。今、日本のパラ陸上界で最も注目されているアスリートの一人だ。

2014アジアパラゲームズ100m(T42)に出場しメダルを獲得した山本。リオでは短距離での活躍にも期待だ。(撮影:越智貴雄)

2014アジアパラゲームズ100m(T42)に出場しメダルを獲得した山本。リオでは短距離での活躍にも期待だ。(撮影:越智貴雄)

挫折があったからこその今

 山本は、子どもの頃からスポーツ万能で、何をやらせても、誰よりも上達するのが早かった。しかし、最後にはコツコツと努力する友人に抜かれてしまうのが常だったという。それでも「まぁ、自分はこんなものだろう」と、それ以上に努力することはあまりなかった。そんな彼が、初めて挫折を味わい、自らの限界に挑戦したのが、陸上競技だった。

 山本は高校3年になる直前の春、バイク事故で左足の大腿部を切断し、義足を履き始めた。それをきっかけに義肢装具士になろうと、高校卒業後は専門学校に入学。そこで知ったのが、競技用義足で行うパラ陸上の世界だった。自然と目指し始めたのは、2年後の2004年に控えていたアテネパラリンピック。山本は順調に力を伸ばし、2004年3月の最終選考会の時には100メートルの日本記録保持者となっていた。だが、選考基準とされた標準記録には届かず、代表には選ばれなかった。

 それまで、スポーツならどんな競技でも、誰よりも先に結果を得ることができていた。しかし、その時は他の義足選手たちが代表に選ばれる中、自分は落選。そんなことは、初めてだった。

 しかし、それがかえって陸上への気持ちを高めることとなった。山本は、本格的に競技をするため、内定していた就職を取りやめ、大阪体育大学に入学。陸上部に所属し、一般の選手とともに汗を流した。そして4年後の北京パラリンピックでは、100メートルで5位入賞。さらに走り幅跳びでは、銀メダルを獲得。それは、日本人の陸上競技の義足選手では史上初のメダルという快挙だった。

「もしアテネに行くことができていたら、おそらく僕はこんなにも陸上にはまってはいないし、こんなに努力もしていないと思うんです。あの時の挫折があるからこそ、今の僕がある。その思いは、まったく変わっていません」

 初めて目の前に現れ、跳ね返された壁。それこそが、「アスリート山本篤」を作り上げる土台となったのだ。

2015IPC陸上世界選手権ドーハ大会で金メダルを獲得した山本篤(撮影:越智貴雄)

2015IPC陸上世界選手権ドーハ大会で金メダルを獲得した山本篤(撮影:越智貴雄)

激化するライバルたちとの戦い

 4年前のロンドンパラリンピック、山本は世界ランキング1位で臨んだ。前回大会で銀メダルを獲得していただけに、否応なく金メダルへの期待は高まっていた。そして、山本にも自信があった。ところが、蓋を開けてみると、5位という予想外の結果に終わった。果たして、何があったのか。実は、山本の心の内は自信と不安とが入り混じっていた。

「世界ランキング1位と言っても、記録を出していたのは、国内の大会であって、国際大会では一度も6メートルを跳んでいなかったんです。それでも、自分では『絶対にいける』と思っていましたが、やはり不安があったのだと思います」

 周囲の選手が、1、2本目と早い段階で好記録を出す中、山本はなかなか力を発揮できず、記録は5メートル台に留まっていた。徐々に自信は焦りへと変わり、自分自身への疑念へとなっていった。
「決して、調子が悪いわけではない。6メートルを跳ぶ力もある。なのに、なぜ記録が出ないんだ……」
 結局、その答えは最後まで見つからなかった――。

 しかし、今は違う。昨年10月に行われた世界選手権で優勝し、今年5月の日本選手権では自身初となる世界新記録を樹立と、着実に、そして確実にレベルアップを図ってきた山本には、確固たる自信がある。

8月のリオパラリンピック代表合宿中に参加した地元の大会で、非公認ながら自身の持つ日本記録を3cm更新する6m65cmの跳躍で調子の良さをアピールした(撮影:越智貴雄)

8月のリオパラリンピック代表合宿中に参加した地元の大会で、非公認ながら自身の持つ日本記録を3cm更新する6m65cmの跳躍で調子の良さをアピールした(撮影:越智貴雄)

 だが、世界のライバルたちもまた、リオにピークを合わせてきている。山本が世界新をマークした約1カ月後、ダニエル・ヨルゲンセン(デンマーク)が山本の記録を11センチ上回る6メートル67をマークし、世界トップの座を奪還してみせた。しかし、現在の世界王者はハインリッヒ・ポポフ(ドイツ)だ。8月、ドイツ国内で行われた大会で6メートル77をマークしたのだ。

 当然、悔しい気持ちは募っているに違いない。しかし、決して焦ってはいないはずだ。実は日本選手権で世界記録(当時)を更新した直後のインタビューで、山本はこう語っている。

「きっと、他の選手も記録を伸ばしてくると思います。だから、世界記録を樹立したからどうとかではなく、その先を見据えて今後やっていかないと、リオでの金メダルはないと思っています」
山本にとって、現在の状況は想定内のことだったのだ。

山本自身も7月のグランプリファイナルで、5月の日本選手権で出した記録を6センチ上回る6メートル62をマークし、調子を上げてきている。リオでは、ポポフ、ダニエル、そして山本のハイレベルな金メダル争いが繰り広げられるに違いない。

「やっぱり勝負は、勝つか負けるか、ギリギリのところでやるのが醍醐味」と山本。真の世界王者への戦いが、いよいよ始まる――。

<山本篤(やまもと・あつし)>

1982年4月19日、静岡県生まれ。スズキ浜松AC所属。小学校では野球チームに入り、中学、高校ではバレー部に所属。高校2年の春にバイク事故で、左足の大腿部を切断した。高校卒業後、義肢装具士になるための専門学校に進学。そこで競技用義足に出合い、陸上を始める。本格的に競技をしようと、2004年に大阪体育大学体育学部に進学し、陸上部に所属。スズキに入社した2008年には、北京パラリンピックに出場し、100メートルで5位入賞、走り幅跳びで銀メダルを獲得した。2012年ロンドンパラリンピックでは100メートル6位、200メートル8位、走り幅跳び5位。2015年世界選手権、走り幅跳びで優勝し、リオデジャネイロパラリンピック出場が内定。今年5月の日本選手権では6メートル56の世界新記録(当時)をマーク。その後、海外のライバルに塗り替えられるも、7月のグランプリファイナルでは6メートル62まで記録を伸ばしている。

(文/斎藤寿子)

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