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パラコラム

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「初めての“ゾーン”で得た新境地」~車いすテニス・眞田卓~

リオでの活躍が期待される眞田(撮影:越智貴雄)

リオでの活躍が期待される眞田(撮影:越智貴雄)

「もう、誰が相手でも勝てる」
 昨年12月、眞田卓選手はシーズン最後に新たな自分への可能性を感じ、1年を切った“本番”への自信を掴んだ。それは1年間続いていたトンネルをようやく抜け出し、その先に見つけた光でもあった――。

伸び悩んだ2015年、最後に掴んだ手応え

 昨年、眞田は人知れず苦しんでいた。「常に世界ランキング8位以内にいる安定感」を目標にし、実際に1年間、一度もランキングを落とすことはなかった。だが、8位の座から上がることもなかった。そんな停滞状態の自分自身に伸び悩みを感じていたのだ。

 現状維持の状態から打破しようと、用具も試行錯誤していた。昨年10月には、ラケットの重さを一気に50グラム軽くした。ところが、そのラケットを使用した米国の大会で、結果は優勝したものの、右肩を痛めてしまった。
「ラケットが軽くて振れたので、自分の力を余分に爆発させてしまったことが原因だと思います」

 しかし、そのままカナダへと移動し、次の大会にも無理に出場したことで、さらに右肩は悪化。帰国後はラケットを持って上げることも、車いすを操作することもままならない状態だったという。約3週間後には広島での大会が迫っていた。「1週間すれば、また練習もできる」と思っていた眞田は、当然のように出場するつもりでいた。だが、トレーナーがストップをかけた。今は休養すべき時だと判断したのだ。

リオでの活躍が期待される眞田(撮影:越智貴雄)

リオでの活躍が期待される眞田(撮影:越智貴雄)

 初めは「痛みがあるなんて選手として普通のこと。欠場までして休養することには抵抗があった」が、最後にはトレーナーの助言を受け入れ、欠場を決意。次の大会までの間にMRIやレントゲンを撮って体の状態を把握することにした。レントゲン写真を見ると、右肩の肩鎖関節の部分が真っ白に写り、ひどい炎症を起こしていることがわかった。そこで体に負担のかからないフォームの修正にとりかかった。これが功を奏し、全くと言っていいほど痛みのない状態で、世界マスターズを迎えることができたのだ。

「それまでは痛みが出たら、ステロイドの注射を打ってプレーしていたんです。でも、ステロイドは一過性のもの。すぐにまた痛みが出てきて……ということを繰り返していたんです。それを今回は、きちんと体の状態を把握したうえでフォームの修正をした結果、世界マスターズでは1週間の大会期間中、痛みが出ることはありませんでした。痛みというストレスなくプレーできるようになったことは、本当に大きかったです」
 そして、そのコンディションの良さが、眞田に新たな力を生み出すこととなった――。

リオでの活躍が期待される眞田(撮影:越智貴雄)

リオでの活躍が期待される眞田(撮影:越智貴雄)

国枝戦で生まれた“ゾーン”

 こうして臨んだ世界マスターズは、4戦全敗と、結果だけを見れば惨敗に終わった。だが、帰国した翌日のインタビューで、眞田は意外な言葉を口にした。

「今、絶対王者はいません。世界の上位は、誰が勝ってもおかしくない。今回の世界マスターズで初めてそう思うことができました」
 そこには、もちろん自分自身の存在もしっかりと入っている。

 その最たる要因となったのが、予選リーグ初戦だった。相手は同じ日本人の国枝慎吾。北京、ロンドンと2大会連続でのパラリンピック金メダリストだ。その世界一の試合巧者である国枝相手に、第1セット、ゲームカウント5-2と大きくリードしてみせたのだ。

「あの時の集中力は自分でも驚くほど高かった。体のキレも良く、精神的にも全く雑念のない状態でした。相手の動きも全て見えていましたし、次にどこに打ってくるか、相手の心理も読めました。あんなふうに“ゾーン”に入ったのは初めてでした」
 どこにも痛みのないストレスフリーの状態が、“ゾーン”を生み出していた。

 しかし、それは長くは続かなかった。8ゲーム目、ルーティン通りではなく、審判に促されるまでコートに戻らなかった国枝の姿を見て、「動揺しているのだろうか、それとも作戦なのだろうか……」と考え始めたことをきっかけに、集中力が切れてしまった。それまで調子の良かったサーブで3本連続ダブルフォルトとミスを連発。そこから一気に流れは国枝へ傾き、第1セットを奪われてしまう。続く第2セットも立て直すことができずに奪われ、ストレート負けを喫した。

 その後も、勝ち星はつかなかった。しかし、その結果に落胆はしていない。なぜなら、初戦にあった“ゾーン”がその後も毎試合のようにあり、その時間帯は誰が相手でも優位に試合を進めることができたからだ。コンディションを万全な状態に持っていければ、さらに強くなれることを確信したことが大きな自信となっていた。

「今後勝ちにつなげるには、いかに“ゾーン”を長く維持することができるか。そして、それ以外の時間帯を、いかに粘ることができるか、だと思っています」

 8月、リオ前の最後の実戦となったバーミンガムクラシックで、眞田は世界ランキング8位のマイケル・シェファーズ(オランダ)をストレートで下すと、決勝では国枝に負けはしたもの、それでも第2セットはタイブレークにまでもつれこむ接戦を演じた。調整はまずまずのようだ。リオでは、“ゾーン”に入った眞田のプレーが見られるに違いない。

<眞田卓(さなだ・たかし)>

1985年6月8日、栃木県生まれ。中学時代にはソフトテニスで県大会ベスト4進出。19歳の時にバイク事故で右膝関節の下を切断し、入院中のリハビリで車いすテニスと出合う。2011年からパラリンピックを目指し、本格的に競技として始める。翌2012年ロンドンパラリンピックに出場し、シングルスでベスト16、ダブルスでベスト8。世界マスターズには2014年、2015年と2年連続で出場。日本マスターズでは2015年に初優勝を果たした。シングルスの世界ランキングは日本人では国枝慎吾に次ぐ9位、ダブルスは13位(2016年8月現在)。

(文/斎藤寿子)

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