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パラコラム

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「恩人とともに臨む3度目のパラリンピック」 ~車椅子バスケ・香西宏昭~

日本のダブルエースとして活躍が期待される香西(撮影:越智貴雄)

日本のダブルエースとして活躍が期待される香西(撮影:越智貴雄)

 米・イリノイ大学を卒業後、2013-2014シーズンからドイツのプロリーグ、ブンデスリーガでプロとしてプレーしているのが香西宏昭だ。日本代表では、キャプテンの藤本怜央とともにダブルエースとしてチームを牽引する。今や世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たしている香西。その競技人生には、ある人物との出会いが深く関わっていた。

リオパラリンピック出場を決めた直後、香西は及川HDと熱い抱擁を交わした(撮影:越智貴雄)

リオパラリンピック出場を決めた直後、香西は及川HDと熱い抱擁を交わした(撮影:越智貴雄)

及川HCとの出会い

 香西が車椅子バスケットボールを始めたのは、小学6年生の時だった。学生時代にバスケ部に所属していた父親に連れられて、地元のクラブチーム「千葉ホークス」の練習を見学に行ったのが最初だった。

 この時、彼はその後のバスケ人生において欠かすことのできない重要な人物と会っている。現日本代表の指揮官を務める及川晋平ヘッドコーチ(HC)だ。当時は、千葉ホークスの中心選手で、その年の10月にはシドニーパラリンピックに出場していた。

 及川は、初めて香西に会った時のことを、今も鮮明に覚えている。香西は恥ずかしそうに父親の後ろに隠れ、ほとんど言葉を発しなかったという。それでも、及川は父親にこう言った。

「息子さんがバスケをやりたいと思ったら、ぜひ一緒にやりましょう。できる限りのことはお手伝いしますので、まずは楽しむことが大事です」

 香西がチームに加入すると、及川HCは小学生の香西にも自主練習ができるようにとメニューを作成したり、練習に付きあっては色々とアドバイスをしたりと、何かと気にかけた。香西は、そんな及川HCに信頼を深めていった。

シュートを放つ香西(撮影:越智貴雄)

シュートを放つ香西(撮影:越智貴雄)

背中を押してくれた言葉

 香西にとって、大きな転機となったのは高校卒業後の進路だった。彼が志望していたのは、世界で活躍するトッププレーヤーたちを数多く輩出している、車椅子バスケの名門、米国のイリノイ大学だった。しかし、両親への経済的負担、既に主力となっていた自分が抜けることでのチームへの影響、そして英語での生活や授業への不安など、気になることはいくつもあった。

 なかなか決断できずにいた香西に、及川HCは原点に戻って考えるように促した。尾川HCが香西に投げかけたのは、「なぜ、イリノイ大学に行きたいと思ったのか」ということだった。

 香西には昔からあこがれの選手がいる。2000年シドニー、2004年アテネと、カナダ代表をパラリンピック連覇に導いたパトリック・アンダーソンだ。実はそのアンダーソンは、当時イリノイ大学でコーチを務めるマイク・フログリーの指導を受けた一人だった。そのフログリーコーチから指導を仰ぎ、アンダーソンののような選手になりたいと考えたのが、イリノイ大学への進学を志望した最初のきっかけだった。

 すると、及川HCはこう言った。
「だったら、やっぱりイリノイに行くのが一番じゃないの?それは、自分勝手な行動にはならないと思うよ」
 その言葉に背中を押されるようにして、香西はイリノイ大学に進学することを決意した。

 イリノイ大学進学後の香西の成長は目覚ましかった。3、4年時には2年連続でシーズンMVPに輝き、4年時にはチームのキャプテンを務めた。一躍、世界のトッププレーヤーの仲間入りを果たした香西は、卒業後はドイツのブンデスリーガ―でプロ契約を結び、プレーしている。

 そんな今を、「晋平さんのおかげ」と香西は言う。
「僕にとって、晋平さんの存在は特別なんです。マイクに引き合わせてくれたのも、イリノイに行けるように導いてくれたのも晋平さんでしたから」

 小学生の時から何かと気にかけてくれ、事あるたびに手を差し伸べてくれた及川HCとともに臨むパラリンピック。今、その火ぶたが切って落とされる――。

<香西宏昭(こうざい・ひろあき)>

1988年7月14日、千葉県生まれ。先天性両下肢欠損。12歳で加入した車椅子バスケチーム「千葉ホークス」で中心選手として活躍し、日本選手権3連覇(2005~07)に貢献。自身も2度(06、07年)MVPを受賞した。高校卒業後、米国に留学し、カレッジでの準備期間を経て、10年1月にイリノイ大学に編入。同大では全米大学選手権優勝を経験し、3、4年時にはシーズンMVPに輝いた。卒業後、2013-14シーズンからドイツ・ハンブルガーSⅤでプロ選手としてプレーしている。ドイツでのシーズンがオフの期間には、東京のクラブチーム「NO EXCUSE」で活動している。パラリンピックは2008年北京、2012年ロンドンと過去2大会に出場。リオは3度目のパラリンピックとなる。副キャプテンを務め、キャプテンの藤本怜央と“Wエース”としてチームを支えている。

(文/斎藤寿子)

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