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リオのがした鈴木朋樹「東京・金へイチからのスタート」〜陸上・鈴木朋樹〜

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 2016年9月に行われたリオデジャネイロパラリンピック。そこに、車いすランナー鈴木朋樹の姿を見ることはできなかった。成長著しい彼が、世界最高峰の舞台で、海外のランナーたちとどんなレースをするのか。そんなふうに、リオでの注目選手のひとりとして、昨年から期待に胸を膨らませてきたランナーだった。しかし、代表選考において、パラリンピックへの扉が開かれる瞬間は、彼には訪れなかった。果たして、鈴木は厳しい現実をどう受け止め、そしてどんなふうに次へのスタートを切ったのか。そのことを確かめに、鈴木の元を訪れた。

東京に向けて再スタートを切った鈴木。今年最終戦にあたる大分国際車椅子マラソン大会(30日)にむけてトレーニングを重ねる(撮影:越智貴雄)

東京に向けて再スタートを切った鈴木。今年最終戦にあたる大分国際車椅子マラソン大会(30日)にむけてトレーニングを重ねる(撮影:越智貴雄)

得たのは“後悔”ではなく“自信”

 「結果的にリオに行くことができなかったのは、本当に残念ではありましたが、それまでの過程については何の悔いもありません。すべて全力でやり切った。それは、僕にとって大きな自信となりました」

 強がっているわけではなく、それが鈴木の真の気持ちであることは、落ち着き払った表情や口調から十分に伺い知ることができた。

 しかし、正直に言えば、「あの時、こうしておけば良かった」、そんな言葉が一切ないことに、内心驚いてもいた。

 実は、リオの代表選考の期限とされたジャパンパラ競技大会(6月4、5日)からちょうど1カ月後に行われた関東パラ陸上選手権、鈴木は800mで1分33秒34という好タイムを叩き出し、2016年における世界ランキング3位に躍り出たのだ。これは、「ジャパラ終了時における世界ランキングが8位以内」という代表者推薦条件においても、7位に相当するタイムだった。競技スポーツにおいて「たら・れば」は禁句であることを承知で言えば、あと1カ月前にそのタイムを出していれば、リオ出場への可能性は十分にあったはずだった。それだけに、悔しさが募っているに違いないと考えていたからだ。

 しかし、鈴木にしてみれば、それはまさに周りの“勘違い”に過ぎなかった。実際、「もったいなかった」「もっと早くこのタイムを出せれば」というような、惜しまれる声が、鈴木の耳には多く届いていたという。だが、それは彼の気持ちとはかけ離れていた。

 「確かに、もっと早い段階でそのタイムを出していれば、リオに行くことができたかもしれません。でも、すべてのレースにおいて、僕はその時その時、全力を出し切りました。そのうえで、トレーニングを積み重ねた結果、関東であのタイムが出せたと思っているんです。なので、僕自身は『あぁ、何で今頃』とは全く思いませんでした。むしろ、自分がやってきたことに対して自信を得ました」
 それは、鈴木の本音だった。

東京に向けてスタートをきった鈴木朋樹

東京に向けてスタートをきった鈴木朋樹

東京への“資格”を求めての再スタート

 しかし翌日、日本パラ陸上競技連盟の公式サイトで発表された、リオへの代表推薦選手の中に、自らの名前が載っていないことを確認すると、しばらくの間、何も考えることができなかったという。代表選考期限とされたジャパラまでの世界ランキングや自己ベストタイムでは難しいとはわかっていたが、やはりショックだった。

 鈴木はその後、1週間ほど練習を休んだ。走ることが嫌になったわけでもなく、やる気が失せたわけでもなかった。ただ、それまでの緊張感や肩の荷を下ろし、リオへの挑戦が完全に終わった、という現実をぼんやりと味わっていたような感じだった。

 その間、鈴木はあることを考えていた。
 「これまでのことに対して、後悔していることは、あるのだろうか……」
 自分自身に何度も問いかけた。そして、辿り着く答えは、いつも同じだった。
「いや、一つも悔いはない。やれることはすべてやり切った。それで出られないのなら、仕方ないな」
 そう考えるたびに、鈴木の気持ちは少しずつ整理されていった。

 その一方で、リオに出場することができなかった自分に、鈴木は厳しい評価を与えていた。
「僕は東京で金メダルを目指しています。そのために、リオに出ることは不可欠だと考えていました。でも、そのリオを経験することができなかった。そんな自分には『今、4年後のパラリンピックに出る』と言う資格はないと思っています」

 もちろん、東京を諦めたわけではなく、目標がブレたわけでもない。だが、一度もパラリンピックを経験していない自分が今、4年後を語ることはできない。その前に、まずはやるべきことがある。そう考えているのだ。

 来年8月にロンドンで行なわれる世界選手権は、その第一歩となる。パラリンピックに次ぐ世界の舞台で、鈴木は東京に向けた狼煙を挙げるつもりだ。

 また、トラック競技で800mと1500mの中距離をメインとしている鈴木だが、マラソンにおいても大きな期待が寄せられている。昨年の東京マラソンでは初マラソンながら2位に入り、リオ出場権がかかった今年の東京マラソンでは、コースの勘違いさえなければ日本人トップでゴールした可能性が十分にある快走を見せている。鈴木自身、手応えを感じており、今後はマラソンも視野に入れる可能性もある。

 そんな鈴木にとって、10月30日に行われる大分国際車いすマラソンは、2016年シーズンを締めくくる大事なレースとなる。リオパラリンピック覇者のマルセル・フグ(スイス)や、同6位入賞のエレンスト・ヴァン・ダイク(南アフリカ)、そして日本人トップランナーたちと、どんなレースを見せるのか。22歳の若きランナーに注目したい。

<鈴木朋樹(すずき・ともき)>
1994年6月14日、千葉県生まれ。城西国際大学4年生。生後8カ月で交通事故に遇い、両脚が不自由となる。小学5年の時に車いす陸上に出合い、アテネ、ロンドンパラリンピック代表の花岡伸和氏の指導により、近年着実に力を伸ばしてきた。2015年には初めてパラ陸上世界選手権に出場(800m、1500m)。マラソンでは、2015年2月の東京マラソンで2位となった。

(文・斎藤寿子 撮影・越智貴雄)

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