「いつからでも変われる」久野竜太朗 東京世界陸上の熱狂の後に開幕した世界パラ陸上で100m銀 29日午前の表彰式後に語った“憧れになりたい理由”

準決勝で10秒91をマークし、アジア記録に並んだ久野竜太朗(撮影:越智貴雄)
東京で開催された世界陸上が大きな熱狂を呼んだ夏。その興奮が冷めやらぬ中、9月27日、ニューデリーではもう一つの「世界陸上」、世界パラ陸上が開幕した。
大会2日目の28日夜、男子100メートル(T12=視覚障害)の決勝に日本の久野竜太朗(シンプレクス)が登場した。初日の27日の準決勝では10秒91をマークし、アジア記録に並ぶ快走。迎えた決勝では11秒01でフィニッシュし、堂々の銀メダルを手にした。
競技を始めてわずか3年。26歳のスプリンターは、早くも世界の表彰台にたどり着いた。29日午前に行われた表彰式を終え、久野が口にしたのは「いつからでも変われる」という言葉だった。親友の死、進行性の病を抱えながらも、それを力に変えて走り続ける姿は、「誰かの希望になりたい」という誓いそのものだった。
わずか3年で世界の表彰台へ

銀メダルを首にかけられ笑顔の久野竜太朗(撮影:越智貴雄)
「昨日は悔しさの方が強かったんです。でも、こうして表彰台に立ち、メダルを首にかけてもらったら、めちゃくちゃ嬉しかったですね」
29日午前、表彰式を終えた久野竜太朗(シンプレクス)は、銀メダルを胸にそう語った。男子100メートル(T12=視覚障害)は大会2日目の28日夜に決勝が行われ、久野は11秒01で堂々の2位に入った。
大会初日の27日には予選と準決勝が行われ、久野は準決勝で10秒91をマークし、アジア記録に並ぶ快走を披露。わずか競技歴3年で世界の頂点に迫る走りを見せ、決勝の舞台に立ったのだ。
しかし、本人の口から出てきたのは喜びだけではなかった。 「金は諦めていません。今のままでは届かないと痛感しました。でも、それは絶望じゃなくて挑戦する理由になる。ここからもっとやっていきたい」
病の進行、親友の死――それでも誰かのために

男子100メートル(T12)で力強い走りを見せた久野竜太朗(撮影:越智貴雄)
高校卒業後に就職して3年間働いたが、その頃、進行性の病・網膜色素変性症が急速に進み、さらに親友を亡くしたことで気持ちは大きく沈んでいった。
「気持ちが落ちて、何も手につかない時期がありました」
このままでは働く術を失ってしまう。そう思い、手に職をつけようと盲学校に進学し、あん摩マッサージ指圧師の資格取得を目指した。しかし、入学当初は心ここにあらず。学びに身が入らなかったという。
そんな時に目にしたのが、同じ盲学校に通う子どもたちの姿だった。
重い病気や障害を抱えながらも、ピアノに打ち込み、スポーツに全力で取り組む姿。その姿に、久野は胸を打たれた。 「病気のことを気にせず全力で楽しんでいる。その姿に勇気をもらいました。僕も、同じように誰かに勇気を与えられる人になりたいと思ったんです」
陸上との出会いが、人生を変えた

表彰式でメダルを胸に笑顔の笑顔の久野竜太朗(左)(撮影:越智貴雄)
子どもたちの姿に勇気をもらった久野は、いろいろなスポーツに挑戦する中で、陸上競技の大会に出場する機会があった。初めて挑んだ100メートルを走り切ったとき、声援を送っていた子どもたちが笑顔で喜んでくれた。 「走ることは嫌いじゃなかったし、子どもたちが喜んでくれるのが何より嬉しかった。これで行こう、と決めました」
中学では幽霊部員の弓道部、高校では陸上部の助っ人で大会に出ただけ。視力が落ちていく時期に「できるうちに好きな格闘技をやってみたい」との思いでキックボクシングに挑戦したこともあったが、それも1年間限り。遊びの延長に近く、本格的に打ち込むには至らなかった。
「スポーツを本格的にやるのは、これが初めてでした」
そう振り返る陸上こそ、久野にとって初めて真剣に取り組んだ競技だった。
そして、わずか3年。久野は日本代表として、世界の表彰台に立つスプリンターとなった。
「金は遠い」でも、ここからがスタート

『いつからでも変われる』と語った久野竜太朗。23歳のスプリンターは世界の頂点を目指す(撮影・越智貴雄)
28日夜(大会2日目)に行われた決勝で、久野は世界の壁を見た。カシャハァリが叩き出した10秒42という圧倒的な世界新記録。 「金は遠いな、と思いました。でも同時に、やっとスタートラインに立てたとも感じたんです」
悔しさと希望が交錯するレース。だからこそ久野は言い切る。 「いつからでも何かを始めて、本気になれば何にでもなれる。そういうことを伝えられる存在になりたい」
レース直後には「支えてくれた方々にめちゃくちゃ感謝を伝えたい。メダルはうれしいけど、悔しい。この経験を力にして、ロス・パラリンピックでは金を獲りたい」と前を向いた。
親友を亡くし、視力が急速に落ちていく中で、気持ちが沈み、どうしていいかわからない時期もあった。だが、盲学校で出会った子どもたちとの出会いが、彼を走らせた。今は自らが「誰かの希望」になるためにトラックに立つ。
29日午前の表彰式で銀メダルを首にかけた久野は、静かに、しかし確かな眼差しで前を見据えた。
「いつからでも変われる」――その信念を胸に、26歳のスプリンターは世界の頂点を目指し走り続ける。
(取材・文:越智貴雄)