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パラコラム

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目が見えない人にだけ“見える”世界 最新科学でわかった全盲パラ選手の驚異の能力 / パラスポーツ進化論

走り幅跳び・視覚障害クラスでは、選手はアイマスクをつけ、競技アシスタントの声と手拍子を頼りに助走し跳躍する(撮影:越智貴雄)

 人が得る情報の8~9割は視覚に由来する。それゆえ、視覚優位の構造が強まっている現代社会では、視覚障害者は世界に存在するほとんどの情報に接することができない──。

 このフレーズは、目が見えない人の世界を説明する際の“定番”としてよく使われるものだ。結論から言ってしまうと、この言い回しに、明確な科学的根拠はない。目の見える人にとって「そうなんだろうなぁ」と思わせるだけのものなので、次にどこかで見たり聞いたりしたときは、眉にツバをつけてその情報を確かめた方がいい。

日本パラリンピック委員会の河合純一委員長(撮影:越智貴雄)

 この言説が怪しいことは、目が見えないアスリートと接してみるとよくわかる。
日本パラリンピック委員会の河合純一委員長は、全盲のスイマーでパラリンピックで金5個を含む21個のメダルを獲得したパラスポーツ界のレジェンドだ。

 河合さんは、誰かが話をしようとすると、その人が話し始める前に顔を向ける。あたかも話し始めようとしている人が見えているかのようだ。河合さんは、こう話す。
「杖と足の裏、指先の感覚、風でこすれた葉っぱの音や人とすれ違った時の匂いや靴の音。そういったもので日々の変化は感じられるものです。歩いている時にコンビニの前を通ればわかるし、ひとりで服屋さんに行って買い物もします。私よりアクティブに街を動く人もたくさんいますよ」

ブラインドサッカー。選手たちは、高い空間認知力を武器に相手の気配を感じ取りながら競技を行う(撮影:越智貴雄)

 たしかに、目が見えない状態で競技をするブラインドサッカーでは、ボールを持ったドリブラーが、フェイントをかけながら二人、三人とディフェンスの選手を抜いていく。まるで、選手の位置がはっきり見えているかのようだ。視覚障害者の人たちは、その人たちのやり方で世界を“見ている”。

最新の脳研究でも、そのことを裏付ける結果が出ている。

人間の脳では、後頭葉(後頭部付近)で視覚に関する情報が処理されている。ところが、視覚障害者はその後頭葉の部分で触覚、嗅覚、聴覚の感覚を処理しているという(※1)。視覚障害者は、口先で「チッチッ」という小さな音を出し、その音の広がりと反射で周囲との距離を測る「エコーロケーション」で自らの周りの環境との距離を測る。こういった作業でも後頭葉の動きが強まるという研究結果がある。

記憶力の良さが飛び抜けているという、木村敬一選手。試合では、選手同士の障害の差異をなくすためにブラックゴーグルをつけて競技を行う(撮影:越智貴雄)

 これだけではない。中学3年生の時に全盲になった河合さんに水泳を教えた寺西真人さんは、全盲選手の記憶力の高さに何度も驚かされたという。東京パラリンピックで男子100メートルバタフライ(S11クラス)で金メダルを獲得した木村敬一選手(31)は、そのなかでも飛び抜けていた。

「木村は1年前の練習メニューで出したタイムも覚えているから、私なんて、記録をノートに取ることもしていませんでした。合宿先でホテルに同行しても、一度行ったところはすべて覚えるから、私のやることはホテルの部屋まで連れて行って、部屋の中の危ないところや電源の場所など最低限のものを教えてあげるだけよかった」

 寺西さんによると、ロンドンパラリンピックのゴールボール女子で金メダルに輝いた浦田理恵さんも、記憶力がよかった。浦田さんは、試合中に投げられたボールのスピードやコースをすべて覚えていたという。

東京パラリンピックでの金メダルに喜ぶ、木村敬一選手(左)とタッパーの寺西真人さん。(撮影:越智貴雄)

 指先の感覚も、世界とつながるための大事なツールとなる。

 視覚障害者のスイマーの場合、その傾向はさらに顕著になる。水の中では音がほとんど聞こえない。聴覚情報も頼りにならない中で、指先が水に触れた時の感覚が重要となる。寺西さんは、水泳部の顧問として生徒に泳ぎ方を教える時、「指先の感覚」の教え方に苦労したという。

「水泳の練習では『水をつかむ』という言葉を使うのですが、全盲の子にはそれを教えるのに苦労しました。見よう見まねで教えることができない。それで、動作を一つずつ言葉で分解して、指先の感触を感じさせながら教えるんです」

 全盲者への泳ぎ方への指南書など、当時はなかった。日々格闘する中で考え出した教え方だったが、水中で感じる感覚の重要性は、これも最新の科学で重要なことがわかってきた。
木村選手の脳の動きを分析した東大大学院総合文化研究科の中澤公孝教授の研究結果によると、木村選手が水泳の動作をした時は、目が見える水泳選手に比べて大脳の内側面にある「楔前部(けつぜんぶ)」と呼ばれる部分が活発に動いていた。楔前部は、脳の中では外界で得た情報を統合処理して身体の動きにつなげる役割をする。脳梗塞の後遺症で楔前部に障害が残ると、手足の麻痺やろれつが回らず発音ができなくなる言語障害が発生するのはそのためだ。中澤教授の著書『パラリンピックブレイン』には、こう書かれている。

〈一般に晴眼者であれば、身体内部から送られてくる感覚情報が高度に統合処理されている。しかし視覚を喪失している木村選手の場合、残された感覚情報のやはり高度な統合処理が必要となるはずである。そして、この役割を担っているのが楔前部と呼ばれる領域だと考えられる〉

タッパーの寺西真人さん(撮影:越智貴雄)

 寺西さんは、水泳のレースでは全盲の選手に触覚を通じて泳ぎを変化させる「タッパー」をしている。タッパーとは、練習やレース中にプールサイドに立って「タッピング棒」と呼ばれる棒で選手の頭や身体を叩き、ターンやゴールのタイミングを教える。東京パラリンピックでは木村選手のタッパーを務め、金メダルに導いた。

「平泳ぎと自由型、バタフライではタッピングするタイミングは違うし、選手によって好みもあります。木村の場合は、できるだけターンする位置まで引き込みたいので、ギリギリまで我慢します。腕や頭の動きを見てタイミングを決めるのですが、壁から遠い場合は軽く叩く。ベストなら通常通り。壁に近い場合は強く叩く。東京パラの時はギリギリまで引き込んで木村の頭を勢いよく叩いたから、タッピング棒が折れてしまいました(笑)」

 笑って話す寺西さんだが、タッパーが背負うプレッシャーは相当なものだ。タイミングが狂えばレースのタイムが0.1秒以上変わり、1メートルの差が生まれることもある。世界のトップでは、100分の1秒~100分の2秒の誤差を目指して、選手に合図を送ることを目指す。そこでも大事なのは「感覚」なのだという。

「木村とも中学生の時から一緒にやっていますが、1カ月離れたら感覚がズレます。1週間でも厳しいでしょうね。レース前の合宿では1~2週間かけて、感覚を選手と合わせていく。それができなかったら、責任が重くてタッパーの仕事はできません」

 選手が水の中で感じている全身の感覚と、ターンの時のタッピングの感覚を一致させる。全盲のスイマーが持っているその感覚は、一流アスリートのみが理解できる超人的な領域なのだろう。

パラリンピックで金5個を含む21個のメダルを獲得した河合純一さん=2005年撮影(撮影:越智貴雄)

 一方、「目が見えない人=感覚が鋭い」と言われることに、河合さんはちょっと違った見方をしている。

「視覚障がい者が持っている能力は、特別なものではないと私は思うんです。目が見えなくなったから耳がよくなったわけではない。それよりも、目が見えていた時にはわからなかった必要な情報が、目が見えなくなったことで聞き分けられるようになった。誰でも持っている能力で、英語の勉強をしていると、だんだんと発音が聞き取れるようになるのと似ているんじゃないでしょうか」

 注意の向け方を変えることで、見えることがあるのだという。河合さんは続ける。

「例えば、こんな話もあります。私の知っている大学の先生が、全盲の学生を受け入れることになった。その生徒がどうしても分子構造がわからないと言うので、他の学生と一緒に模型を作ってあげた。するとその学生の方が、今まで教科書で学んでいた平面の分子構造よりも理解できて勉強になったという感想を言ってきたそうです」

 目の見えない人たちは、その人なりの方法で世界を認識している。それに、脳の動きが適応していく。全盲アスリートの活躍は、最新の研究成果によってこれまでの常識が覆されつつある。
目が見えない人にだけ“見える”世界はたしかに存在する。それでも、あえて河合さんに「目が見えるようになりたいですか」と聞いてみた。

「20歳の時だったら『見えるようになりたい』と答えたかもしれませんが……。47歳の今では、目が見えないままでもいいですね。目が見えないなりに楽しみもたくさんあるんですよ。見えているからこそ、見えないものがある。私たちには錯覚がない。だって、見えていないんですから」

※1 Corinna M. Bauer,Gabriella V. Hirsch,Lauren Zajac,Bang-Bon Koo,Olivier Collignon,Lotfi B. Merabet「Multimodal MR-imaging reveals large-scale structural and functional connectivity changes in profound early blindness」 
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0173064

(取材・文:土佐豪史)

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