カンパラプレス

パラコラム

パラコラム

「本気スイッチを押したライバルの存在」 ~車椅子バスケ・古澤拓也~

20160630_0073

彼を初めて見たのは、今年3月のことだった。車椅子バスケットボールのシーズン開幕を告げる「車椅子バスケットボール全国選抜大会」。そこで約2カ月後に迫っていた日本選手権に向けて、優勝候補のチーム状況を見たいと考えていた。ところが途中から、これまで目にしたことがなかった、ある一人のプレーヤーに目を奪われていた。キレのある動きでコート上を縦横無尽に走り回り、見事なハンドリングで自在にボールを操るその姿からは、バスケセンスの高さを十分に伺い知ることができた。
 古澤拓也、20歳。2020年東京パラリンピックの若手有望株だ。

20160630_0193

転機となった2年前の落選

「だいぶ変わったな」
 古澤が日本代表の指揮官、及川晋平ヘッドコーチ(HC)からそう言われたのは、昨年12月、リオデジャネイロパラリンピック日本代表の強化合宿に練習相手として参加した時のことだった。1年間の努力が報われたような気がして、古澤は素直に嬉しかった。

 その1年前、2014年12月、古澤は18歳で初めて日本代表候補の合宿に呼ばれた。しかし選考の結果、日本代表12人どころか、強化指定選手20人の中にさえも入ることができなかった。その結果に、それまで味わったことのない悔しさが込み上げてきた。

 だからこそ、古澤は1年間、必死に努力した。週に3回ほどだった練習を6回に増やし、まさにバスケ漬けの毎日を送った。そんなふうに、本気でバスケに取り組んだのは初めてのことだった。及川HCもその変化に気づいていたのだ。

 しかし、古澤はそれまで日本代表やパラリンピックという舞台に、強い関心を抱いていたわけではなかった。その彼がなぜ、選考に落とされたことで、それほどの悔しさが募ったのか。そこには、ある同世代のプレーヤーの存在があった――。

仲間に芽生え始めた“ライバル心”

20160630_0007

 古澤が車椅子バスケを始めたのは、小学6年の時だ。その少し前に始めていた車いすテニスの練習会場で、車椅子バスケの体験会に参加したことがきっかけだった。しかし、すぐに車椅子バスケにのめりこんだわけではなかった。

 先天性の二分脊椎症に合併症が原因で、小学6年で車椅子生活となる前の古澤は、根っからの野球少年だった。「小学校には野球をするために通っていた」と言うほど、熱中していた。そのため、野球でバットを振るように、ラケットを振ってボールを飛ばす感覚が味わうことのできるテニスの方に面白さを感じていた。

 一方で個人競技よりも、野球のように仲間と一緒になって行う団体競技の方が自分には合っている気もしていた。しかし、地元の車椅子バスケのチームには同世代がいなかった。大人の中では、やはり会話は弾まない。加えて中学時代までは大人との体格差が大きく、何をやってもかなわない気がして、あまり楽しいとは思えなかった。

 しかし、高校に入ると徐々に体格差はなくなり、かえって若い自分の方がスピードもスタミナも上回るようになっていった。加えてジュニアの日本代表に選出され、立て続けに国際大会に出場し、同世代の仲間と知り合う機会が増えたことで、古澤の中で車椅子バスケの割合が大きくなっていった。

 なかでも古澤に最も大きな刺激を与えたのが、ジュニアで共に世界と戦ってきた鳥海連志だった。年齢は2つ下の鳥海だが、遠慮のないさばさばとした彼の性格が、古澤には居心地が良く、気が合った。しかし、その時はまだ“良き仲間”でしかなかった。

20160630_0150

 ところが2014年、共に代表候補合宿に呼ばれながら、鳥海は日本代表候補に入り、古澤は落選。さらに鳥海は、翌2015年には12人の代表入りを決めた。このことが、古澤に新しい感情を芽生えさせた。
「連志は、もともとどっしりとした選手でしたが、代表に入ってからは、ますます自信をつけたように見えました。なのに、自分は強化指定選手にも入ることができず、悔しかった。連志の活躍は同世代として嬉しくもありましたが、同時に『負けたくない』と思うようになったんです」
 鳥海への強いライバル心が、古澤を練習へと向かわせていったのだ。

「それまでは何となくバスケをやっていた感じで、日本代表に対しても、それほど強い気持ちがあったわけではないんです。でも、連志が代表入りしたことで、気持ちが変わりました。バスケに対して本気になれたのは、彼の存在が大きいんです」

 それまでオフモードだった“本気スイッチ”が、仲間の成長、活躍によって、オンとなったのだ。

【海外選手を上回った香西への憧れ】

20160630_0236

 高校時代、古澤には憧れのプレーヤーがいた。ドイツ代表のトーマス・ベーメ―だ。スピードこそ自分の方が上回っていたが、ノールックパスなど、巧みなパスワークに魅了させられた。
「あんな選手になりたい」
 ずっと、そう思っていた。

 しかし、そのデーメーをはるかに上回るプレーヤーが日本人の中にいた。香西宏昭だ。現在は、日本代表の副キャプテンを務め、キャプテン藤本怜央とともに“ダブルエース”として日本代表の支柱を担っている。その彼のプレーを初めて目にした時、レベルの高さに驚いた。スピード、チェアワーク(車椅子操作の技術)、パワー、シュートの確実性……すべてにおいて超一流だった。古澤は今、その香西を目標としている。

 香西はアウトサイドからのシュートを得意としており、彼の手から離れたボールが描く放物線の美しさは見ている者を魅了する。ボールが空中を舞い、吸い込まれるようにしてゴールへと入っていく――その間、時間が止まるような感覚を覚えるのだ。実は古澤のシュートもまた、美しい放物線を描く。それは、香西のそれと非常によく似ている。古澤のバスケセンスの高さを感じる所以だ。

 しかし、「課題はまだまだたくさんある」と古澤は語る。なかでも、細身の彼には世界で戦うためのパワーが不可欠とされている。そのため、今春から本格的にウエイトトレーニングを開始した。スピードやキレに加えて、パワーが身に付けば、古澤のプレーに磨きがかかることは間違いない。

「僕の最大の武器はハンドリング。その技術は、同世代では連志にも誰にも負けていないと思っています。それにヒロさん(香西)のような力強さを加えることで、代表の中での自分のポジションを確立させていきたいと思っています」

 リオデジャネイロパラリンピックの後には、2020年東京パラリンピックに向けた代表選考がスタートする。4年後は、自らが主力として代表を牽引するつもりだ。そのためにも今、自らにこう誓っている。
「一切、妥協をせず、全力でやる」
 成長著しい20歳から、今後目が離せそうにない。

(文・斎藤寿子 写真・越智貴雄)

page top