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パラコラム

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下半身マヒの事故から15年、元ダンサーが再び踊った それを支えたロボット開発者たちの熱意 / パラスポーツ進化論

パワードスーツを装着してダンスを披露したシルケ・パンさん(撮影:越智貴雄)

 車いすで暮らしていた少女が、アルプスの大自然の中で生きる人たちに励まされ、最後は一人で立てるようになる──。アニメ『アルプスの少女ハイジ』でクララとハイジが抱き合う場面は、日本のアニメ史に残る名シーンだ。

 ただ、回復可能な病で一時的に歩行障害が起きていたクララとは違って、脊髄損傷で胸から下が完全に動かない「対麻痺(ついまひ)」の車いすユーザーは、医学的には再び歩くことはできないと考えられてきた。ところが今、そういった患者たちが、最新のロボット技術によって自立歩行できるようになっている。

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演舞前、パンさんの紹介として(上)サーカス俳優をしていた時の様子と(下)パラアスリートとして活動する様子が画面に映し出された(撮影:越智貴雄)

 下半身麻痺の女性が、ゆっくりと車いすから立ち上がる。そして、共演するバレエダンサーと一緒に美しく踊り始めた。約5分間の踊りが終わった時、会場の雰囲気は一変していた。ある人は歓声を送り、ある人は涙を拭いながら、鳴り止むことのない拍手が続いた。

 スイス・ローザンヌ州で11月4、5日(現地時間)の2日間にわたって開催された「スイス・ロボティクスデー」で、イベントの最後を飾るステージに立ったのは、脊髄損傷で車いす生活を送るシルケ・パンさんだった。パンさんはサーカス俳優をしていた2007年、空中ブランコの事故で下半身が動かなくなり、車いす生活を送っていた。

 その後、車いす競技のパラアスリートとして活躍するなかで、最新テクノロジーの開発者と「パイロット」と呼ばれる障害者が協力して日常生活の動作に挑む「サイバスロン競技大会(2016年)」に出場するすることになった。パンさんが挑戦したのは、モーターが搭載されたパワードスーツを身につけて自立歩行や階段を上る「パワードスーツ(外骨格)レース」。パイロットとして開発者たちと議論を重ね、銀メダルを獲得した。

 それから6年経った2022年。パンさんはこのイベントでダンスを披露した。パンさんは、ケガをした時に医師から「一生歩くことはできない」と言われた。それでもあきらめずにリハビリを続け、最新のテクノロジーがそれを支えた。「ずっと、ダンスをしたいと思っていたの。今日、それが実現できてとてもうれしい」と話す。

 歩行ロボットを開発したのは、スイスでパワードスーツを開発するベンチャー企業「TWIICE」最高経営責任者(CEO)のトリスタン・ボウガ博士らが率いるチームだ。米国デューク大学でロボット工学の研究をした後、スイスに戻って下半身麻痺の車いすユーザーのためのパワードスーツを開発している。ボウガさんによると、下半身が完全に麻痺している障害者が自立歩行をしながらダンスをするのは世界初だという。

トリスタン・ボウガさん(撮影:越智貴雄)

 ボウガさんは、大学を卒業後、米国のデューク大学に留学。脳とコンピューターをつないで情報のやり取りをするブレイン・マシン・インターフェース(BMI)の研究者だった。2008年には、サルの脳に電極を埋め込み、そこから得た信号で二足歩行できるロボットの開発に初めて成功したことを発表。その成果は世界を驚かせた。

 BMIは今、世界を変える未来の技術として世界で注目されている。ツイッター社を買収したイーロン・マスク氏が創業した米国のニューラリンク社は、BMI技術を応用した脳に埋め込むためのチップを開発した。このチップを入れると、頭に思い浮かんだ文字がパソコンに入力できる。

 ただ、世界から注目が集まるBMI技術の分野で世界最先端の研究をしていたボウガさんだが、一方で限界も感じていたという。ボウガさんは言う。

「サルを使った動物実験では成功しましたが、同じ技術を人間の脳に転用して実用化するには長いプロセスが必要でした。私は、もっと短い時間で人間に適用できるような技術の開発をしたかった」

BMI「非侵襲型」。2016年サイバスロン大会より(撮影:越智貴雄)

 BMIには、「非侵襲型」と「侵襲型」の技術がある。非侵襲型では、頭にヘッドセットをつけて、頭皮から脳波の信号を探知する。一方、侵襲型は脳に直接的に電極を差し込む。侵襲型は脳から直接信号をキャッチするので精度は高いが、人間の身体や精神に副作用が出るリスクがある。

 たとえ非侵襲型であっても、脳の微細な電気信号を機械で読み取るには高価な機械が必要だ。2014年のサッカー・ワールドカップブラジル大会では、脳の信号を非侵襲型の機械で読み取って機械を動かす外骨格スーツを装着した男性が始球式に登場した。だが、装備だけで40キロ以上あり、それから8年がたっても現在でも実用化には至っていない。

「ワールド・カップのプロジェクトは、米国の大学チームが行った先駆的な取り組みでした。ただ、私たちは、よりシンプルで使いやすいスーツ作りを目指したのです。脳波で制御するなどの複雑な構造ではありませんが、軽量で安価なんです」(ボウガさん)

演舞前、ボウガさんとパンさんが一緒に製品開発をする様子が画面に映し出された(撮影:越智貴雄)

 スイスに戻ってきたボウガさんは、ベンチャー企業「TWIICE」を立ち上げた。人間にとって安全で、製造コストが低い外骨格スーツの開発するためだ。下半身が完全に麻痺している人のために、今、自分ができることは何か。そのことを考えたうえでの決断だった。

 では、脳の働きを読み取ることをあきらめたボウガさんが、次に“頼ったもの”は何か。それは、障害者の人たちの意見を聞き、一緒に製品開発をすることだった。パンさんも、ボウガさんたちが目指すものに共感し、TWIICEに参加した。

 ボウガさんに限らず、サイバスロンに出場するチームは、障害者であるパイロットと一緒に製品開発をする。パンさんも、「私の意見をいつもていねいに聞いてくれる。とても大切な友人なの」と話す。

 ボウガさんは言う。

「彼女と一緒にこの機械を開発できたことは、とても素晴らしい経験でした。それは、どんな本を読むよりも、素晴らしい科学者と接するよりも、私にインスピレーションを与えてくれるものでした」

(上)2016年のサイバスロンで銀メダルを獲得したシルケ・パンさんと(下)パンさんとTWIICEチームメンバー(撮影:越智貴雄)

 外骨格スーツの技術の進歩は急速に進んでいる。サイバスロンという障がい者のための新しいイベントを通じて技術が世界に知れ渡り、機械の軽量化も進む。

 下半身麻痺の人が自由に歩くことができるようになれば、世界は大きく変わる。機械のさらなる軽量化や歩行速度の上昇、安全性を高めることなど課題はまだ山積しているが、パンさんのダンスは新しい未来を想像させるものだ。ボウガさんは続ける。

「街を走る車について、誰もがそれを『道具』として見ています。それと同じように、私たちのロボット技術も世の中で当たり前のものになっていくでしょう」

 障がい者と開発者が一緒に技術開発して、最先端の技術を競うサイバスロンは、世界で急速に広まっている。2024年に開催予定の次回大会では、この日に見られた以上の感動が、会場に広がることになるだろう。

取材・文:西岡千史 通訳:すんみ

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ダンスパフォーマンスは、「カンパラプレス」のYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=HNTSTZnX4HU)で公開しています。

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