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パラコラム

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「満を持して臨む2度目のパラリンピック」 ~陸上・高桑早生~

「4年後のリオでは、今の自分を超えられるように頑張りたいと思います」
 2012年、初めて出場したロンドンパラリンピック、全競技を終えた高桑早生は、自らに語りかけるように“ロンドン超え宣言”をした。その目にはさまざまな感情が入り混じった涙が浮かんでいた。

ロンドンで、短距離で決勝進出を果たすも、トップアスリート達との距離が遠かった(撮影:越智貴雄)

ロンドンで、短距離で決勝進出を果たすも、トップアスリート達との距離が遠かった(撮影:越智貴雄)

3年間立ちはだかった“14秒の壁”

「こんなにも素晴らしい舞台で走ることができたことに、幸せを感じました。ただ、世界との距離は遠かった。やっぱり悔しい気持ちがあります」

 超満員のスタジアムの中を走り抜けた、その興奮冷めやらぬ中、高桑の視線は既に次に向かっているように感じられた。あの時の彼女の姿は、しっかりと脳裏に焼き付いており、今もはっきりと覚えている。

 あれから4年。いよいよ高桑にとって2度目のパラリンピックが幕を開ける。振り返れば、ここまでの道のりは決して平たんではなかった。

 ロンドン後、まず最初に彼女の前に立ちはだかったのは「14秒の壁」だった。当時の自己ベストは13秒96。ロンドンのちょうど1年前、2011年9月に行われたジャパンパラ競技大会(ジャパラ)で高桑は自身初となる13秒台をマークし、一躍日本のトップランナーとなった。だが、ロンドンも含めて、それ以降、一度も13秒台を出すことができずにいたのだ。

 ようやくトンネルの向こうに光が見え始めたのは、2014年5月のことだった。取材の帰り道、携帯電話を見ると、高野コーチからの着信があった。急いでかけ直すと、「やりましたよ!」という声が飛び込んできた。一瞬にして、それが何のことかすぐにわかった。

 聞けば、一般の陸上競技の記録会に出場し、13秒98を出したという。実に3年ぶりとなる13秒台。普段は落ち着いた口調の高野コーチも、この時ばかりは喜びを隠し切れない様子であることは、電話口からも伝わってきた。

 2か月後の7月には、13秒69と自己ベストを更新し、高桑はついに日本記録保持者となった。さらに同年10月のアジアパラ競技大会では、13秒38をマーク。残念ながら追い風参考記録となったが、高桑の走りが確実にレベルアップしていることを証明するには十分だった。

今年のパラ陸上日本選手権で2年ぶりの自己ベストを更新した高桑(撮影:越智貴雄)

今年のパラ陸上日本選手権で2年ぶりの自己ベストを更新した高桑(撮影:越智貴雄)

 しかし、そのまま順風満帆というわけにはいかなかった。2015年は再びスランプ気味となり、一時は14秒台に逆戻りする時期さえあったほどで、結局一度も自己ベストを更新することができなかった。

 それでも高桑は“本番”に向けて、しっかりとピークを合わせてきた。いよいよパラリンピックイヤーとなった今年は、GWに行われた日本選手権でいきなり13秒59を叩き出し、2年ぶりとなる自己ベストを更新。さらに1カ月後のジャパラでも13秒62と安定した走りを見せ、見事、リオの日本代表に選出された。

 そんな高桑に、最後の壁として立ちはだかったのが、“慣れ”からくる“癖”だった。より義足をたわませて大きな反発力を生み出すために、高桑は義足側の脚でしっかりと地面をとらえることを課題としてきた。日本選手権では、それがほぼ理想通りにできるようになっていたことが、自己ベスト更新へとつながっていた。

 ところが、日本選手権後は気持ちよく走ることができなくなっていた。その理由は、地面をとらえることを意識するあまり、脚が後ろへと流れてしまい、前に蹴り出すという動作が、以前よりも失われてしまったのだ。リオまでには、どうしても修正しなければならない課題となっていた。

リオ大会直前に「やるべきことはすべてやってきた」と話した高桑(撮影:越智貴雄)

リオ大会直前に「やるべきことはすべてやってきた」と話した高桑(撮影:越智貴雄)

すべてをやり切ってリオへ

 開幕を10日後に控えた8月28日、慶應大学日吉陸上競技場では、高桑の国内最後の練習が行われた。練習前のひと時、談笑する彼女の表情や言葉から、早くも調整がうまくいっていることが伝わってきた。

 見ると、体つきも少し変化しているように感じられた。夏の間の合宿で、さらに体が強化されたことは一目瞭然だった。
「やるべきことはすべてやってきた。心身ともに満を持してリオへ」
 高桑には、そんな雰囲気が醸し出されており、いよいよ迎える本番が待ち切れない気持ちにさせられた。

練習風景(撮影:越智貴雄)

練習風景(撮影:越智貴雄)

 たっぷりと時間をかけて行われたウォーミングアップ後に、練習が行われた。黙々とメニューをこなす高桑。以前なら、その傍らにはいつも高野コーチの姿があったが、気が付くとコーチの姿は遠くにあり、他の練習生の指導にあたっていた。いつの間にか高桑はすっかり自律したアスリートとなっていたのだ。それこそが、ロンドン後の4年間で、一番成長した部分だと高野コーチは感じている。

 練習の最後にはタイムトライアルが行われた。それがリオ前の国内最後の走りとなったのだが、高桑の走りは確実に2カ月前とは変わっていた。脚が後ろに流れるのではなく、前に前にという動きが戻りつつあることが傍目からも感じ取ることができた。本番への期待感が膨らんだことは言うまでもない。

 翌日、日本を発つという高桑に、最後に目標を聞いてみた。
「今度こそはという思いが強いですね。今度こそは、確かなものを持って帰ってきたいと思っています」

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 100m、200m、走り幅跳びと3種目に出場する高桑。最もメインとしている100mの決勝は、スタジアム内で行われる陸上競技全日程の最終種目となっている。オリンピックで言えば、日本が銀メダルを獲得した4×100mリレーにあたる。つまり、スタジアム中の目が注がれることになる。そんなスポットライトを浴びるファイナリスト8人に、高桑も加わるつもりだ。

 果たして高桑は、世界の超人たちとどんなレースを繰り広げるのか。4年間、待ちに待った舞台の幕開けは、もうすぐだ。

<高桑早生(たかくわ・さき)>

1992年5月26日、埼玉県生まれ。小学6年の時に骨肉腫を患い、中学1年の時に左足を切断。中学時代はソフトテニス部に所属した。高校から陸上を始め、2年の時にはアジアパラユースに出場。初めての国際大会ながら、100m、走り幅跳びの2冠を達成した。2010年アジアパラリンピック(現アジアパラ競技大会)では100mで銀メダル、走り幅跳びでは5位入賞。2011年に慶應義塾大学に入学し、体育会競走部に所属。2012年ロンドンパラリンピックでは100m、200mともに決勝進出を果たした。2014年アジアパラ競技大会では100mで銅メダルを獲得。2015年10月の世界選手権では走り幅跳びで銅メダルを獲得している。今年4月の日本選手権で13秒59のアジア新記録をマーク。リオは2度目のパラリンピックとなる。

(文/斎藤寿子)

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