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「自分が信じた道へ」父の言葉とスポーツが私の世界を変えた アフガン女子車いすバスケ

試合前の控え室にカメラを向けるとピースサインで応えてくれたニロファ(撮影:越智貴雄)

 アジアパラ大会のような世界大会では、今まで培ってきた価値観が揺らぐような出会いもある。宗教や文化、言語の違う国の人々と触れ合い、言葉が通じずとも、見えてくるものがある。女子車いすバスケに初出場したアフガニスタンチームの取材は、まさにそんな出会いだった。

試合前、国歌を聴きながら目を閉じ右手を胸に当てるニロファ(撮影:越智貴雄)

◆チームを支えるキャプテン

 白のヒジャブ(スカーフ)を着用したアフガニスタンの選手たちが、右手を胸に当てて国歌を歌い終えると、会場が歓声に包まれた。アジアパラ大会2018の女子車いすバスケットボール競技で10月10日、イランとアフガニスタンの試合が開催された。 

「みんな集中して。落ち着きなさい。慌てる必要はない」

 メンバーにさかんに声をかけ、コート脇のコーチの声をメンバーに伝達する姿があった。背番号「7」の小柄な女性は、アジアパラ大会初出場のアフガニスタンチームを率いるキャプテンのニロファだ。

試合前、円陣を組む女子アフガニスタンチーム(撮影:越智貴雄)

◆女性が表に立てないアフガニスタン

 「スポーツは私の生活をガラッと変えてくれました。私の人生において、大きな存在です」とニロファは語る。

 ニロファが生まれた1992年、その頃のアフガニスタンは、複数の勢力が国内の支配権をめぐって内戦を繰り広げていた時代だった。首都カブール市内に住んでいたニロファの自宅の庭に突然、爆弾が落とされたのは、彼女がわずか2歳の時だった。兄が被害に巻き込まれて命を絶ち、ニロファは脊髄(せきずい)を損傷した。一命をとりとめたものの両足が麻痺して歩けなくなる「対麻痺(ついまひ)」を患い、自由に歩き始めるようになったばかりのニロファは車いす生活を送るようになった。

相手ボールを奪おうとするニロファ(中央)(撮影:越智貴雄)

 「幼少期から車いすの生活に恥じらいを感じて過ごしていました。でも、19歳の時に車いすバスケットボールと出会い、見える世界が一変しました。プレーを始めてみると、自分にできることがたくさん発見できて、自信を持てるようになったのです」

 スポーツとの出会いは、時に人の人生を変えうるものだ。しかし、たとえ才能豊かな選手であっても、国によっては競技参加の道すら開かれないこともある。ニロファはこう続ける。
「私のきょうだいは、私が国際舞台に立つのに反対でした。よその男性に知られたり、見られたりするのが心配なのです。アフガニスタンでは家族の女性を表に出すのを嫌がる風潮があり、チームのメンバーの中にも反対する家族が少なくないのです」

◆「自分が信じた正しい道を進みなさい」支えられた父の口癖

 日本では考えられないだろう。アフガニスタンでは、女性が一人で歩くことや一人暮らしをすることは禁じられているという。

 周囲の反対を押し切っても、胸を張って活動できるのは、ニロファが「唯一の理解者」と言い、心の支えになっている父の存在のおかげだ。NGOのガードマンとして勤める父は、口癖のように娘にこう語りかけるという。「自分が信じた正しい道を進みなさい」と。

「私を全面的に信頼してくれた貴重な存在です。男女は同じ権利を持っているんだ、何も気にせずバスケに励みなさいと背中を押してくれました。その父が居なければ、私はここにいないでしょう」

5位決定戦でカンボジアに勝利し、仲間とハイタッチするニロファ(撮影:越智貴雄)

 イランとの戦いはアフガニスタンチームのミスも目立ち、大差で敗北した。前日の日本戦に続いての連敗だった。しかし、ニロファはこの2戦を通じてチームが強くなる感触が得られたという。

「確かに日本は強敵でした。しかし、私達のチームはまだ結成したばかりで伸びしろがあるはずです。何年かたてば、私達も日本のようなチームと肩を揃えて戦える気がします」

 そして2日後の今大会最終戦。アフガニスタンチームは、54対36でカンボジアを下し、6チーム中5位で大会を終えた。ニロファは今後のチームについて口を開くと、「アフガニスタンに住む人達が誇りに思ってくれるようなチームに成長することが当面の目標です」と言って目を細めた。

試合後のインタビューに答えるニロファ(撮影:越智貴雄)

◆アフガニスタン人、日本人である前に、みんな同じ人

 日本にとってアフガニスタンは縁の遠い国だ。2001年のアメリカ同時多発テロ以降、アフガニスタンと武装勢力「タリバン」の名は戦争の映像とともに連日報じられていた。現在でも外務省のHPには、アフガニスタンの情報は「退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)レベル4」と記され、世界の中でも危険度は最高レベルだ。明るいイメージを抱ける人は皆無に等しいのではないだろうか。

 ニロファにそう伝えると、深くうなずき、「私達は毎日一生懸命に仕事を積み重ねて、一歩ずつアフガニスタンを良い方向へ進めています。私自身もこれから競技や人との交流を通じて、アフガニスタンに対する世界のイメージを取り払う努力をしていきます。そして、みなさんに戦争と暴力から解放されたアフガニスタンの姿を見てもらいたいです」と力強い表情を見せた。

 「女性たちは、自分が思うよりもはるかに強い存在です。男と女は社会の半分であり、自分たちが望めば、男性と同様に多くのことができます。私は世界の女性たちのために最善を尽くしていきたいのです」と自身の心情を語った。

 危険と隣合わせで、周囲からの反対もある中で、ニロファはなぜスポーツをし続けるのか。閉会式が終わり、アフガニスタンに帰国する直前のニロファに尋ねると、平和に対する思いを込めたメッセージが届いた。

 「他国のすべての人と同じように、日々平和について考え、平和がある日を願っています。それは、アフガニスタンだけではありません。あなた(日本)の国にも、世界中にも、平和が訪れるように互いに協力していきましょう。アフガニスタン人、日本人である前に、みんな同じ人なのですから」

 スポーツによって、世界とつながり、自信と誇りを持って生きられる。ニロファが歩んでいる「自分が信じた正しい道」の先には、平和という光が見えているのだろう。

(ライター:上垣喜寛/翻訳:鈴木貫太郎)

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