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競技レポート

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パラ初出場の辻、銅メダルへと繋がった決断 リオパラリンピック

メダルを胸に観客からの声援に応える辻(撮影:越智貴雄)

メダルを胸に観客からの声援に応える辻(撮影:越智貴雄)

 リオパラリンピックの大会8日目にあたる14日、オリンピックスタジアムで陸上女子400m(T47クラス)決勝が行われ、日本記録保持者の辻沙絵(日体大)が、1分00秒62で3着に入り、今大会では陸上女子で初めてのメダルとなる銅メダルを獲得。レース後には「有言実行通り取れて良かった」と嬉し涙を見せた。

ラスト100mで2人を追い抜き3番目にゴールした辻(中央)(撮影:越智貴雄)

ラスト100mで2人を追い抜き3番目にゴールした辻(中央)(撮影:越智貴雄)

ラスト100mの勝負と決めていた

 スタートから飛び出した4人に対し、辻は冷静に予定していた通りのレース展開で後ろから追いかけていった。「後半に落ちてくると思っていたので、自分はラスト100mで勝負すると決めていた」という辻。最終コーナーに入り疲労で足が動かなくなった2人を追い抜き、3番目に浮上。そのままゴールし、銅メダルを獲得した。

「(3着でゴールしたことは)わかってはいたが、ゴールした瞬間、本当にメダルが取れたことが信じられなかった」と辻。パラリンピックは予想以上に輝かしい場所だった、と振り返った。

 自身初の国際大会となった昨年の世界選手権でも「全く緊張することはなかった」と強心臓ぶりを見せていた辻だったが、やはりパラリンピックは別ものだった。この日、競技会場に入る前、辻は緊張で冷静になることができなかったという。そこで日本で応援している高校時代の親友に連絡を取り、正直な気持ちをぶつけた。

スタート位置についた辻(撮影:越智貴雄)

スタート位置についた辻(撮影:越智貴雄)

「レースをするのが怖い……」

 すると、親友はこう言って励ましてくれた。
「大丈夫。たった1分で終わること。沙絵にならできるよ」
 その言葉が辻の気持ちを落ち着かせてくれた。

 親友の言葉を胸に、辻はスタートに着いた。そして、こう自分に言い聞かせた。
「大丈夫。きっと、できる。何が何でもメダルを取ってみせる」

スタート直後の辻(撮影:越智貴雄)

スタート直後の辻(撮影:越智貴雄)

 号砲とともにスタートすると、勢いよく飛び出した4人にみるみるうちに距離を開けられた。しかし、辻に焦りはなかった。
「昨日、スタートリストを確認したら、みんな似たようなタイムだったので、自分のレースさえすれば、結果は自ずとついてくる、と思いました。なので、誰が飛び出してもそれについていかずに、自分はラスト100mが勝負だと思って走っていました」
 その言葉通り、最終コーナーで落ちてきた2人を一気に追い抜き、ゴールを駆け抜けた。

「ラスト100mでの勝負」――それは、辻が400mに転向して以来、ずっとテーマとしてきたものだった。

 辻曰く、400m走とは疲労の原因である“乳酸との闘い”なのだという。その乳酸が最もたまる状態である最後の100mは、ランナーにとって最も過酷だ。だからこそ、そこでいかにスピードを落とさずに走り切ることができるかが、勝敗のカギを握る。辻はそう信じて、オフシーズンに厳しい練習を積んできた。

「500、400、300、200、100メートル×2セット」
「3000mタイムレース」
「100mインターバル×30~50本」

 その練習がいかに過酷かだったかは、メニューの一例を見ても容易に想像することができる。同じメニューに取り組んだ日体大陸上競技部の仲間の中には、途中で具合が悪くなった選手もいたという。

「全てのメニューがただ決められた距離を走るのではなく、タイムが決められていたり、他の部員と競い合いながら走らなければなりません。だから、力を抜くことは絶対に許されないんです」

 そうしたオフシーズンでの過酷なトレーニングを積み上げことによって培ってきた力が、この日、パラリンピックという世界最高峰の舞台で発揮されたのだ。

400m予選で力走する辻(撮影:越智貴雄)

400m予選で力走する辻(撮影:越智貴雄)

はじめは受け入れられなかったパラの世界

 辻が本格的に陸上を始めたのは、昨年3月のこと。実は、彼女はもともとハンドボールの選手だった。小学5年の時に友人たちと始め、誰よりもハンドボールに熱中した。中学卒業後は地元の北海道を離れ、茨城県の強豪校、水海第二高校に進学し、2年時にはインターハイでベスト8に進出した。日体大にもスポーツ推薦で入り、ハンドボール部に所属。関東の1部リーグでプレーをしてきた。

 そんな彼女が、なぜ陸上を始めたのか――。それは2013年に決定した2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催がきっかけだった。ハンドボール部の顧問が彼女の素質の高さを活かせればと、パラリンピックを目指すことを提案したのだ。しかしはじめ、それは辻にとって受け入れることのできないものだった。

 辻は生まれつき右腕の肘から下が欠損している。だが、勉強も運動も、すべて特別扱いを受けることなく、他の友人と同じようにやってきた。だから自分を、一度も「障がい者」と思ったことはなかった。にもかかわらず、なぜ自分がパラリンピックを目指すのか、その理由が全く理解することができなかったのだ。

 それでもやがて受け入れることができたのは、パラリンピックに出場し、世界を知ることが、将来教師を目指す自分にはプラスになると思ったからだった。自分が見て、味わった“世界最高峰の舞台”を、子どもたちに伝えたい――。それが、パラリンピックを目指す最初の理由だった。

 大学で行われた身体能力テストを受けた結果、辻には高い瞬発力が備わっていることが判明した。そこで、その瞬発力を活かせる競技として、陸上を勧められたのだ。

 実は辻は、走ることがあまり好きではなかった。しかし、実際に陸上を始めてみると、単に「走る」という動作にも、さまざまな要素が詰まっていることがわかり、面白さを感じるようになっていった。さらに、練習すればするほど、みるみるうちにタイムが伸びていくことが何より楽しかった。

 陸上の練習を始めて2カ月後に出場した大会では、100m、200mで日本新記録をマーク。さらにその2カ月後の大会では100mで記録を更新。すると、「やるからには上を目指したい」という気持ちが自然と湧き出て、パラリンピックへの思いを強くしていった。

表彰式で笑顔の辻(右)(撮影:越智貴雄)

表彰式で笑顔の辻(右)(撮影:越智貴雄)

メダルへとつながった大きな決断

 その後、辻にとって大きな転機となったのが、昨年の世界選手権だった。初めての国際大会ながら、100mで6位入賞。陸上を初めてからまだ半年あまりだったということを考えれば、十分な戦績と言えた。

 しかし、辻は違った。喜びはなく、感じたのは世界トップとの差だった。彼女の頭には、先輩の姿があった。同大会、男子走り幅跳び(T42)で優勝し、金メダルを獲得した山本篤だった。

「金メダルを首にかけて、国歌を聴きながら、センターポールに掲げられた日の丸を見ている篤さんが、本当にかっこ良かったんです。もう、『私も、ああいう選手になりたい!』と強く思いました」

 そこで決断したのが、メインを400mに変更することだった。実は、その大会で400mのレースを見たところ、トップの選手だけが頭ひとつ抜けており、2位以下は団子状態。世界ランキングを見ても、1分を切っていたのはわずか2人で、その2人も59秒台と56秒台と大きな開きがあった。それを見た辻は、400mの方に自らの可能性を感じた。

4年後の2020年は、もっとトレーニングを積んで、一番いい色のメダルを取りたいと話す辻(撮影:越智貴雄)

4年後の2020年は、もっとトレーニングを積んで、一番いい色のメダルを取りたいと話す辻(撮影:越智貴雄)

 中学時代にはハンドボール部に所属していながら、陸上大会に駆り出され、800mに出場したこともある辻は、もともと中距離には自信があった。
「きちんとトレーニングを積めば、絶対に1分を切れる」
 辻は迷うことなく、400mにシフトすることを決意した。

 メインの種目変更と同時に、もうひとつ、辻は決断を下している。それは一度、ハンドボールを封印することだった。実は陸上を始めてからも、辻はハンドボール部の練習にも参加していた。しかし、陸上とハンドボールとの掛け持ちの生活は予想以上にハードだった。そのため、体力的にも精神的にも厳しい状態が続いていた。それでも、ハンドボールから離れることができなかった。

 だが、世界選手権で金メダルへの思いを強くした辻は、「本気で世界の頂点に立とうと思うのなら、陸上一本に絞らなければいけない」と、完全に陸上へシフトすることを決意した。しかし、それは辻にとっては決して簡単なことではなかった。だからこそ、そうまでして選択した陸上で、結果を出したいという気持ちが強くあった。

「大好きなハンドボールをやめたことを、自分自身が100%良かったと思えるように、精一杯やろう」
 それが、パラリンピックでの自分に課したテーマでもあった。それが達成できたことに喜びと安心が入り混じり、銅メダルを獲得したこの日、涙となってあふれ出てきたのだ。

 しかし、元来負けず嫌いの辻である。これで満足しているわけではない。表彰式で、辻は隣で金メダルをかけてもらう中国人選手の姿を見ていた。そこには、もう既に4年後を見据えた彼女いた。

「やっぱり、金メダルはいいなと思いました。4年後の2020年に向けて、もっとトレーニングを積んで、今度は一番いい色のメダルを取りたいと思います」

 まだ陸上を始めて1年半で、辻は世界の頂点が見える位置にまで登り詰めた。次は、その頂点に立つための4年間を過ごすつもりだ。

(文・斎藤寿子)

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