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「母とアスリート」

「母とアスリート」

「母とアスリート -上原鈴子と大祐-」

バンクーバーパラリンピックで銀メダルを獲得した上原大祐さん(右)と母の鈴子さん(撮影:越智貴雄)

 2010年のバンクーバーパラリンピック。アイススレッジホッケー日本代表は、準決勝で強豪カナダ代表を破った。大番狂わせだった。その後、見事団体銀メダルを獲得。その中心にいたのが、上原大祐という人物だ。生まれつき「二分脊椎」という障害を持ち、車いすでの生活を送りながらも、底抜けの明るさで人を惹きつける男。その母親も、やはりどこまでも明るい人物であった。

「見たい」「聞きたい」「行きたい」「やりたい」 を尊重する。

 大祐はウルトラマンがすごく好きでした。あるとき、「怪獣カードが欲しい!」と言ったのでいっぱい買いました(笑)。私もね、怪獣全部覚えたんですよ。そうすると、話が通じるし、一緒に遊んでいても面白いでしょう?

 大祐は、遊びも自分で考えるような積極的な子でした。例えば砂場で山をつくるとき、あの子はまわりの子たちに「穴掘って!」「お水持ってきて!」って言う。そのまま、水を穴にジャーって流して、最後は「バーン!」と崩すのも含めて遊び。

 3歳のときに、3カ月入院していたんですけど、そのときも楽しいことがいっぱいで。それまでは移動といっても、おんぶや抱っこ、あとはベビーカー。だけどその病院には、車椅子が沢山あったんです。「僕も乗りたい!」と言ったので、一番小さいものを貸してもらって。廊下を行ったり来たり、ずーっと乗ってました。ニッコニコしていて、今でもあの顔は忘れられないな。大祐は好奇心が旺盛でしたので、「あれ見たい」「あれやりたい」としょっちゅう言ってきました。いつでもその気持ちを最優先させました。

息子の大祐同様、いつでも笑顔を絶やさない上原鈴子さん(撮影:越智貴雄)

全力で考えれば、何でもできる。

 子どもたちって、いっせいに自転車に乗り始める時期があるじゃないですか。そうすると大祐も、「僕も乗りたいな」と言うんですよ。「よし、わかった」と。できない、とは言わない。「ダメ」「できない」って言ったら、絶対にシュンとなるじゃないですか。希望は、残した方がいいに決まっている。あちこち探しました。そうしたら、手でこぐ自転車が高崎で売っていたんです。手でこぐ自転車が届いた日。「庭で大ちゃん乗ってみ。これ、手で進むんだよ!すごいでしょう!」と言ったら、目が輝いていました。

 スケート教室も、補装具つけて立たせて、その上からスケート靴はかせて、リンクに連れて行って遊ばせました。先生からは「無理でしょう」と言われたけれど、「やり方を考えてみます」と。何でもやればできるんですよね。小学校1年のときだったと思います。そのときの経験が、アイススレッジホッケーに活きているのかもしれません。本人が諦めないかぎり、私も絶対諦めないと思ってた。

車椅子でも伸び伸びと過ごした中学校時代(撮影:越智貴雄)

目標があれば、負けない。

 大祐の足の障害は、生まれてすぐ発覚しました。脊髄のところが丸く薄くしか膜がはってなかったから。どうやら髄液が、漏れてるらしいとなって。とりあえず手術。泣いた泣いた、可哀想でね…。あーって感じ。「なんで私たちばっかり?」っていつも思ってました。こんなに不幸な親子は、私たちしかいないと。生まれて2年くらいはずっと閉じた世界で生きていました。全然他のことは目に入らない。

 そうしたら病院の先生が「ひまわり園」といって、体が不自由な子達が集まる場所があるから行ってみたらどうですか?と勧めて下さって。いろんな子どもたちがいて、うちの子よりも障害が重い人、軽い人。で、お母さんたちがすごく明るい。私なんて毎日メソメソしているのに。それで私も、その日からだんだん前向きになっていった。自分たちだけじゃない、という心強さ。

 また、ある日「次の子欲しいんですけど」と先生に相談しながら、「大祐は遺伝ですか?」「私のせいですか?」とたずねたんです。そうしたら、「違いますよ」と。「だれが悪かったわけではないんだよ。毎日泣く必要ないんだよ」「自信を持って産んでください」とはっきり言ってもらいました。それまで自分だけが悪いと思ってましたが、それからは、絶対に大祐を「元気に・明るく・自立させる」、という目標ができました。何を言われても、何があっても、気持ちで負けなくなった。

「やめなさい」より「やりなさい」。

 小学校に入ってからの大祐はますます活発で、何でもやりたがるので「やりなよ、やりなよ」と相変わらず言ってました。「大ちゃん、足はね、神様がいたずらしたんだけど、とっても明るく元気な心を授けてくれたから、大丈夫だよ!」と繰り返し伝えていました。

 簡単なの。子どもが「見たい」っていったら見せればいい。「行ってみたい」といえば、行けばいい。こんなに簡単なことはない。幼稚園の頃も、午前中1回泥だらけになって、午後着替えてまた泥だらけ。でも、遊べるんだからいい。服なんて洗うだけでいい。「服を汚しちゃいけない」というのは、大人の都合なんじゃないかな。洗濯するのは嫌ですからね。泥で遊んだ服って大変なの。こすってもこすっても落ちない。そりゃ親はね、嫌です。でも、私も一緒に楽しんでやっていたから洗濯も苦ではなかった。

バンクーバーパラリンピックアイススレッジホッケーで銀メダルを獲得した(撮影:越智貴雄)

ほどよい距離で見守る。

 大祐が大学に入る前から「ホッケーやろうよ」と、車椅子メーカーの社長さんから誘われていたみたいです。長野サンダーバーズというチームがあって、そこに入ったら、すぐに頭角を表しました。試合を見に行ったら、「俺エース」という感じで相変わらずだなと。周囲の期待も日に日に高まり、パラリンピックに行けるんじゃないかなと言われはじめていました。よく「点取ると最高!」って自慢顔で言っていました。

 トリノは見に行けなかったのですが、バンクーバーは行けました。準決勝のカナダ戦。目の前で大祐が決勝点を決めて大活躍したから、試合後に抱き合って泣きました。これまでの子育てでは「距離感」を大事にしてきました。本人が「やりたい」と言ってきたら、私もぐっと近づいて、そのためには何でもする。それ以外のときは、ほどよい距離で見守る。ただし大祐が「助けて」と頼むことはできる距離にはいる。そういったことが、実を結んだと実感した瞬間でした。

(取材・文:澤田 智洋)

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