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「母とアスリート」

「母とアスリート」

「母とアスリート -竹澤静江と海音-」

知的障害者サッカーの日本代表候補の竹澤海音(右)と母の静江さん(撮影:越智貴雄)

 息子の海音(かいと)に知的障害があるとわかった日から、竹澤静江さんの戦いは始まった。社会を変えようと奔走し、ときには涙しながらも、豪快に前進する。海音は、知的障害者サッカーの日本代表候補に選ばれるまで登りつめた。静江さんの力の源は、息子と知的障害サッカーの選手たちである。

医療より、愛と絆。

 海音が2歳のときに、もしかしたら何か障害があるのかなと思いました。例えば、「青色のクレヨンでぬり絵しよう」と言っても、茶色を選んだりする。徹底的に桃色が何かを教えても、翌日には忘れている。

 小学校1年生のときにIQテストを受けたら「知的障害」という診断でした。この時期にはほぼ確信してはいたけれども、ショックでしたね。あの日のことは本当に忘れられない。軽度から中度の知的障害があるでしょうということと、具体的に言えば、国語では最終的に小学校低学年レベルまでしかいけない。スポーツに関しては不器用さがどうしても伴うので、みんなと同じレベルでやるのは難しいだろうと。ガーンとなりましたね。

 ただ、私も医療関係に従事する人間なんですけど、医療の言葉だけにとらわれる必要はない。まだ何年かしか生きていない人間の、可能性を限定してしまうことのほうが不自然に感じる。障害があろうが、病気になろうが、母親や家族の愛情と、子どもとの絆が何より大事だと私は思っています。

強い気持ちで戦い続ける静江さん(撮影:越智貴雄)

横ではなく、前を見る。

 海音が行く小学校には、特別支援クラスがなかったんですね。そこで私は、支援クラスをつくっちゃいました。教育委員会にも掛け合って。空いている教室が2つあったので、仲間に声をかけて自分で掃除しました。そこで、「交流級」というアイデアを思いついたんです。

 体育、家庭科、音楽、給食の時間はみんなと一緒に受ける。そして、書く、読むという難しい勉強の授業は、ゆっくりと支援クラスで学ぶ。その中で、海音が高校生になるまでに小学校レベルの国語力を身につける、という目標を立てました。

 それくらいの能力があれば、生きていける。そうすると、私も気が楽になって、息子ができないことを悲しむ必要もなくなった。息子も、みんなと同じように国語ができないことで追いつめられることもない。横と比べるのではなくて、前を向いて自分たちなりの目標を設定することで楽になった。穏やかに息子と過ごせるようになりましたね。

日本代表入りを目指し練習する息子の海音さん(撮影:越智貴雄)

期が熟すまで、待つ。

 海音が好きなことに関しては、もっと高い目標を持ちたいなって思っていました。特にサッカーは本人がやりたいと言ったので、サッカースクールに通わせながら、プロを目指しました。キーパーとして、小学校で「セレクション」という選抜にも受かって。チームに4人キーパーがいたんですけど、彼はいきなりAチームでのスタメン。小学校1年生のときに言われた「スポーツは一般レベルでは難しい」という話はやっぱり違ったなと。障害をもっている人が、可能性にふたをされるのはよくないと、改めて思いました。

 でも、中学校2年生の終わりに、海音に知的障害があるという情報がクラブチームに流れちゃって、イジメにあってしまった。かなり壮絶なイジメ。海音は、そこからサッカーが嫌になっちゃってチームを離れた。でも、いつか彼はサッカーに帰ってくると信じていたから、私は知的障害者サッカーとのつながりを新たにつくりました。だから絶対に乗り越えてくれ、という気持ち。

 そうしたらある日彼が「お母さん、知的障害者のサッカーやりたい」と言ったんで、すぐに連盟に連絡して、心の中でガッツポーズ。チームの監督に全部お話をしました。そうしたら監督が、「お母さん、やっと熟しましたね。今タイミングが来ましたね」と言ってくれたんです。待って、全部がきちっとクリアになるまで待って、やっと彼がサッカーと向き合うときが来ましたね、って言われたときに、ああ、監督も私と同じように待っててくれたんだなと。そこから私も知的障害者サッカー一本で行こうと決めて、私は知的障害者サッカー推進の理事長にもなりました。

いつも全力で壁を突破してきた静江さんと海音さんおんヒストリー(撮影:越智貴雄)

努力はいつか、線になる。

 知的障害者サッカーの監督・コーチの温かさは、本当にありがたいなと思いました。こうして今は、知的障害者サッカーに、親子して向かって行っています。海音が今日本代表候補に選ばれているのは、サッカーに背を向けずに一生懸命努力する姿勢が実ったからかなと思います。やっぱりキチッとやってきたものに対しては、キチッと答えが出るなと実感しました。

 数えきれないほどの壁が立ちはだかってきても、そこであきらめないでトライすることが大事なのかなと思います。健常から知的障害にカテゴリーを変えても、今日本代表候補に選ばれている背景には、イジメられて離脱するまでの努力の蓄積が活きている。その後再び努力し始めたことで、点と点が結ばれて、隙間がスッとなくなって、ああ線になったなって私は思っています。

 本当に努力したことは絶対に結果が出るんだ、ということを、私は海音にわかってほしい。「努力」の点が「結果」という線としてつながったことは本当に嬉しいなって。今は海音もチームになじみ、楽しくサッカーができています。

折れないと決める。

 たとえ何があろうと、私は「自分の言うべきことは、死ぬまで言い続ける」と決めています。例えば県立高校の中に特別支援級をつくったほうがいいとお願いしてダメだったときに、県庁を出た瞬間に横断歩道で泣いてしまったことがあります。そのときに「たぶんみんなここで折れるんだろうな」って思った。だけど折れちゃいけない。やっぱり自分が折れないで、やらなくちゃいけないっていうところは信念を持って。

 障がい者と健常者を、教育の中で分けることが全ての過ちの始まり。大人がそういう制度をつくっちゃうから、子どもがちょっと違う人を見ると、何か言いたくなっちゃう。なので、私たちのサッカーチームでは、知的障害者と健常者の混合チームもつくっています。インクルージョンチーム。今度、高校生の大きなサッカー大会に参加できることになったので、まずはそこに出て行ける選手を育成しています。

 引きこもりたくなるほど心が折れてる日もあるんですけど、ダメなら何度でもやり直せばいいですし。嫌なことがあったら、「まあいいや」って口に出して割り切る。でも今の私は、エネルギーを障がい者の選手たちからもらっていますね。ほんとにピュアだから。だからまだまだ頑張れますね。

(取材・文:澤田 智洋)

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