カンパラプレス

「母とアスリート」

「母とアスリート」

「母とアスリート -反町由美と公紀-」

東京パラリンピック出場を目指す反町公紀さんと母の由美さん(撮影:越智貴雄)

 反町公紀(まさとし)は、ラグビーが大好きな少年だった。全国大会にも出たことがあり、将来を期待されていた。ところが中学1年のとき、突然の事故にあう。右半身が動かなくなり、高次脳障害も残ったが、公紀は陸上を始める。すぐに頭角を表し、ジャパンパラの陸上男子200メートルと400メートルで優勝。その影には、母由美の献身的なサポートがあった。

思いは、必ず届く。

 もともとはラグビーを頑張っている子で。全国大会で優勝して、秩父宮で試合もしてるんです。事故の前日もラグビーの練習をしていました。びっくりです、本当に。全く予想できなかった。冬休みのことでした。警察からの電話で、マーちゃん(公紀)が車にひかれたと連絡がありました。

 あわてて駆けつけたら、道路に倒れていた。運が良かったのですが、うちの子をはねた車の2〜3台後ろにパトカーがいたんですよ。救急車を手配してくれたり、対処はとても早かった。そこにおまわりさんがいなければ、もう駄目だっただろうなあって。本当によく生きて、しかも、よく今走ってるなっていう。

 そのまま、彼の意識が戻らないまま年が明けました。豊岡(群馬県)の河川敷で、年初めにグラウンド開きというのがありました。そこから、マーちゃんが入院している病院が見えてたんですよね。そしたらラグビーの監督や仲間が「公紀、目覚ませえ!」と全員で叫んでくださって。その足で病室に行ったら、なんと意識が戻っていたんですよ。後で本人に聞いたら、「声が聞こえた」って。みんなの声が聞こえたんで、こっち来なきゃって思ったって。届くんでしょうね、人の思いって。だから私、チームには本当に感謝しかありません。

「今を生きる」公紀さんから母へのメッセージ(撮影:越智貴雄)

わずかな成長でも、面白がる。

 病院にはほぼ1年入院して、その後リハビリ病院に転院しました。私もずうっと事故の日から、一緒に寝泊まりしてました。その後はマーちゃんが暴れる時期があって。川に飛び込もうとしたりとか、ワーッと病院から飛び出しちゃったり。たまに私も首をしめられたりね。ほんっと、そのときだけは私も、「あ、これ地獄だなあ」と思いましたね。

 その後は少し落ち着いて、友達の顔がわかるようになったり。今も全体に麻痺は残ってるんですけど、右手がまず動かないですね。右の足は全く感覚がない。いわゆる高次脳障害なので、失語、失行、失認、いろいろ。本当に症状はバラエティに富んでいます。

 でも、今はスマホを使ってコミュニケーションとれるんですよ。「寒くない?」と送ると「大丈夫です」と返ってくる。面白いですよ。最初のころは本人に「元に戻って」って泣きながら言っちゃうことがあったんです。そうしたらある日、スッとわたしのこと抱きしめてくれて、そして鉛筆で紙に何かを書き始めて。見たら「今を生きる」って書かれてたんですよ。ガーンって。それで、ああ、私自身ももう完全に前向かなきゃって思った。彼のほうが早く成長していた。その成長が毎日面白かった。

現役の教員で、情報と家庭科を教えている由美さん(撮影:越智貴雄)

挑発して、前を向かせる。

 おかげさまで前進はしてるのかな。前へ前へ。ラグビーやらせておいてよかったなって。私も仕事があるので、何かスポーツをやらせたいなと思っていたんです。エネルギーがあり余っている子はラグビーみたいにガンガン動くスポーツをやらせた方がいいんじゃないかって。6歳のときかな。「やる」と即決でした。

 負けず嫌いなところもあったので、そこをいつもくすぐってきた。「そんなことでいいの?」「それであんたくやしくないの?」みたいな。とことんそれでやってきましたね。挑発にうまく乗るんですよ。今もそうです。「今日練習したくないな」と彼が言うと「ああ、どうぞどうぞ、別にいいですよ」「あんたの目標がそれだったらどうぞご勝手に」って。そうすると、気がついたら家の外に出て坂道ダッシュを始めている。いつもそんな感じですね。

世界一忙しい障がい者になりなさい。

 陸上は、高校で友達に誘われたんですよ。まずは町田の大会を観に行って。そのときに「僕もやりたい」って言った。それからは毎日走ってますね。私はいつも彼に「世界一忙しい障がい者になりなさい」って言ってます。

 例えば今日も、学校へ行って、走る練習をして、夕方からは家庭教師と勉強。本当に忙しい。日々学校と練習の合間に、ST(言語聴覚療法)、OT(作業療法)、体幹トレーニング、足のマッサージ治療、リハビリ、英語の勉強。毎日ぎっちり。最初のころは脳疲労が激しくて、「脳が疲れる」って言ってました。そうかそうか、そうだよねって。4分の1しかないんだもんね、普通の人の、なんて。

 でも最近それが少なくなりました。高次脳機能障害はリハビリの仕方も人それぞれだと思うんですけど、脳外科の先生が、「脳にいい酸素を送ることが一番の改善です」っておっしゃった。結局それって、有酸素運動じゃないですか。体を動かしたりとか、楽しくして笑うとか、そういうのが脳に一番いい刺激なんだと思った。人生を走り続けることで、いい循環がどんどん生まれてるっていう感じですよね。

走ると「アスリートスイッチ」が入る公紀さん(撮影:越智貴雄)

真っすぐなんていかないという構え。

 本人にとっては、今は陸上しかないのかもしれないです。やっぱりあの子の性格なんですけど、立てた目標だけは、やり切りたいっていうのがあるんですよね。だから東京パラに向けて俺はやるっていう、そういう感じみたいですね。よくやるなあと思いますね。何があなたをそうさせているんですかぐらいの感じで。

 うちは本当、皆さんみたいに立派な育て方じゃなくて。事故にあってからは特に、もう彼がやることを応援するしかないなって。人生1回きりだからって。もう、1回ポシャッてるんだもんねって。だったら、もう後悔しないほうがいいよねっていう話は二人でしましたね。

 同じ高次脳機能障害のお子さんを持つ方にお電話したら、「あらお宅は事故から何年?」「5年です」「ああ、まだまだ序の口よ。私なんてもう30年。あはははは」なんて笑われて。「高次脳機能傷害の子は、絶対真っすぐなんかいかないのよ」って言っていて。仮に少しうまくいったって、あっちにドン、こっちにドン、ってぶつかるのよって。だったら、本人がやりたいことやらせてあげたらいいじゃないって言っていただいて。私の今までのやり方でいいんだなと思えた。

(取材・文:澤田 智洋)

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