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パラコラム

パラコラム

言葉を探し続けるパラスポーツを伝えるリポーター後藤佑季さん

 大学時代に偶然、リポーターという仕事に巡り合い、自分にしかできない役割を探し続けている人がいる。NHKパラリンピック放送リポーターの後藤佑季さん(25)だ。後藤さんは、2017年の大学在学中にNHKが障害のある人を対象にした公募に応募し、多くの候補者の中から3人、抜擢されたリポーターの一人だ。後藤さんは聴覚障害で人工内耳を装用している。(*人工内耳とは、耳かけ式のマイクで音を拾い、その音が手術で耳の奥に埋め込んだ受信装置へ伝わり、この信号が聴神経を介して脳へ送られ音や声として認識される)
 後藤さんが見つけた役割とは、健常者と障害者が通じ合える「共通の言葉」を作り出し、人に伝えることだ。NHKリポーターとして採用され3年が経過した後藤さんに現在の心境を伺ってみた。

【「感動」に変わる言葉を探す】

Q:パラスポーツを取材するようになったきっかけは?

 NHKが障害のある人を対象に東京パラリンピックに向けてリポーターを募集していて、そこに応募し、採用されたことがきっかけです。中学、高校とずっと陸上部で大学では陸上競技同好会に入っていたので、オリンピックも大好きで見ていました。正直、リポーターになる前にパラスポーツに興味があったかと言うとそうでもなかったと思います。リポーターという仕事に応募してから、与えられた使命としてパラスポーツに関わるようになりました。

選手の思いに向き合い取材する後藤さん(撮影:越智貴雄)

Q:パラスポーツ取材を通して思ったことは?

 取材していて、表には出ないような選手の苦労と努力も知ることができて、余計に熱量を持つようになりました。今はアスリートがカッコよく、凄い存在だと思って取材を続けています。

 パラポーツに限らず、一生懸命な姿に強く惹かれます。その懸命さと同様に、心を動かされるのは選手たちの覚悟です。その「覚悟」というのは、例えばプライベートはほんのわずかで練習に必死になって、一瞬の為だけに4年間費やすような、自分にはとうてい出来ないことを実践しているところにあります。

 特にパラアスリートはその覚悟をする局面が多いと感じています。中途の障害の人だったら障害を負った時もそうだし、世間や社会からの目を意識して戦わないといけない局面があるはずです。そういう覚悟を持つ局面がすごく多いから、みんな「感動した」と口にするのかなと思います。

 もちろん感動したという言葉の中には、単純に障害のある人はもっと出来ないと思っていたから、こんなに出来るなんて凄いという人もいるだろうし、中には自分には出来ないことを実現している人に感動する人もいると思うんです。でも、私自身はその「感動」という言葉を安易には使いたくなくて、それに変わる言葉を探し続けていました。そして、最近やっと「覚悟」と言う言葉を見つけ出しました。
「覚悟がある人たち」がパラアスリートなのかなあと。だからその覚悟という部分を中心に置いて、これからも取材し、伝えていきたいなと思っています。

Q:リポーターとして平昌パラリンピックの経験も経て3年経ちましたが、どのような3年間でしたか?

“共通の言葉を見つけてきた3年間”だったと思います。障害のある人たちと障害のない人たちが使っている日本語は同じなのですが、表現しきれない部分があると思います。 例えば、健常者の間で使われる「普通」という言葉も、私たち障害のある人にとっての「普通」とはニュアンスが異なります。言葉自体がそもそもマジョリティによって作られているので、マジョリティの「普通」というものを表現するためのものでしかなくて、マイノリティの人の表現には充分ではありません。

 特に私みたいな「外から見えない障害」は、その困り事をどうしても伝えきれないのです。例えば「私は騒がしい所に居ると、人工内耳が均等に音を拾ってしまう」という話をしても、理解してもらえない場合があります。マジョリティの言葉の中から、マイノリティの事をうまく伝えられるような言葉を丁寧に見つけて行くというのが、この3年間で私が一番ずっとやってきた事だし、まだまだ磨ける力だと思っています。
パラスポーツとかパラアスリートとか、あとは共生社会の実現に向けて、何を伝えられるかっていう道でも、言葉をずっと探してきたのかなあと思います。

【選択肢が出来ることが大事】

Q:昨年8月に放送した「おはよう日本」で、後藤さんの言葉「(障害を)見せる選択肢もあるけど、見せない選択肢もある」が心に残りました。

 その言葉は、最初台本に入っていなかったんです。「義足のファッションショー」の事だったので、「(義足を)見せてもいいという話で終わりたいね」という流れでした。でも、私は、見せない選択肢もあるというのを私の口から言わないといけないと思い、ディレクターと上司に相談して話し合い、あの言葉が作られました。

入念な事前チェックをスタッフと行う後藤さん(左)。疑問点があればその場で修正するのは、日常茶飯事となっている(撮影:越智貴雄)

 取材していて常に思うのは、障害のある人は持っている選択肢が少ないということです。選択が出来ない社会は、障害のある人にとっては辛い事。障害のあるなしはもとより、選択肢が増えるような社会を作っていく必要があると思います。その先にあるのが、みんなが生きやすい共生社会なんだろうなと思います。そうすると、オープンにする自由もあれば、オープンにしない自由というのが絶対にあるというのが私の意見です。
 聴覚障害は隠せるので、私は見せた方が楽だけれど、見せるか見せないかは自分の自由だから、困ってないなら見せなくてもいいと思います。

Q:番組の台本にそのような表現を入れるのに、どのようなやり取りをされてるんですか?

企画を出す時に、取材相手言葉の中で伝えたい部分や、伝えたいテーマについての提案をたくさん書きます。伝えたいことについてはあまり悩むことはないのですが、それをどうしたら伝えられるか、どういう言い方だったら、どういう言葉だったらという検討に時間がかかります。
「それ違うんじゃないの?」「その表現だと初めて聞いた人はわからないでしょう」とスタッフのみなさんから言われて、頭を抱えるのが毎回のことです。だから毎回考えて毎回生み出しているという感じです。
 特に「おはよう日本」の時のような、放送時間は短いけど大きなテーマを伝えたい番組のときは、短時間でどんなメッセージを込められるかを検討するのに時間をかけます。「てにをは」だけで何時間もスタッフと議論することもあります。

出演直前の後藤さん。自分にしか伝えられないものは何かを常に意識して最終チェックに臨む(撮影:越智貴雄)

【はじめて気づいた抑揚の意味】

Q:今までで一番大変だったのは?

 ナレーションです。リポーターを始めた当初、ディレクターから「もっと元気な感じで」という指示が飛んできたことがありました。声のボリュームを上げてみたり、トーンを高くしてみたりするものの、どれを試しても「何か違う」と言われる始末。さらに、「深刻そうなテンションで」と言われても、まったく想像がつかなかったのです。

Q:それをどうやって解決されたのですか?

 言語聴覚士さんに相談をしました。ナレーションでよく指摘されるのは、声の大きさと高さですが、抑揚も一つの大事な要素ですよと言われて、抑揚をつける練習をしました。最初はちょっと意識をする練習で、なんの変哲もない文章をわざと抑揚をつける訓練を重ねました。抑揚という言葉は知っていましたが、一つ一つの言葉を意識し、認識を結びつけて、正しい回路に結びつけるような事をやっていました。そこから抑揚というものがあるんだなあと意識できるようになりました。

 私は9歳まで補聴器を利用していましたが、補聴器だと抑揚はあまり聞き取れないらしいんです。9歳までに音の感じとり方の脳が固定化されてしまっていて、抑揚が聞こえていても意識していなかったようです。テレビでアナウンサーの読みを意識して聞いてみると、確かに抑揚がついていると感じて驚きました(笑)

 そういうのがちょっとずつわかるようになってきたというのが、やっと今そこまで来た段階なのです。ここに辿り着くまでは、すごくすごく長い時間がかかりました。

日々、伝える能力を試される現場だからこそ、自身を磨けるチャンスにもなっている(撮影:越智貴雄)

Q:抑揚なども個性だからとも捉えられませんか?

 完璧を目指す必要はないと言うのが、上司と言語聴覚士さんとの共通認識です。ただ私らしさ、聴覚障害者らしさは残したままで、もっと伝わるように技術を磨きたいです。ちょっと「す」と「し」の発音が弱いんですけど、それが別の意味に聞き取れてしまうようなことがないように、そこは精度を高められるようにしようという認識です。

【言い続けてまわりを巻き込む】

Q:子供の頃はどのような感じでしたか?

 小さい頃から基本、負けず嫌いでした。勉強とか、スポーツの、他の学年の子とかに勝ちたいという子供でした。両親の方針で、小学校からろう学校ではなく普通校に通いました。「狭い世界じゃなくて、もっと広い世界で自分達が亡くなった後もこの子は一人で生きていくのだから、一人で生きていく力をつけなきゃいけない」という方針がありました。とはいえ、あなたは聴覚障害だから手話も覚えておかなくてはと、小学校に入る前に、岐阜の難聴の子供達が通う園で、手話を覚えたり、口話を覚えたり、先生とのコミュニケーションで「補聴器の電池が切れたので変えてもいいですか?」というシーン等を練習したりしました。あと手話サークルにも入れられていました。「この子は一人で生きていくんだ」というふうに教育をされていたので、私にとってはこれが当たり前で、生きてきた世界がそうだったという感じですね。

Q:大学進学はどのように決められましたか?

 高校2年か3年の時に国立大学に行こうと決めました。でも大学の試験では英語のリスニングの壁があるんです。(人工内耳ではスピーカーから出る声はとても聞き取りにくい、という理由で)大学のセンター試験ではリスニングは免除されるのですが、本試験では認められませんでした。なので、リスニングのない大学を受験しました。その頃、家から近い国立大学と、私立の慶應義塾大学を受験することにしました。しかし、国立大学に落ちたので慶應に行くしかないと、親を説得して渋々OKをもらい、慶應に行くことになりました。大学に行くお金は、奨学金を探して応募し、アルバイトもして、学費と生活費は全て自分で賄いました。

Q:大学生活はどうでしたか?

 大学に入学する前に、大学の情報が何もわからなかったんです。私の近くには慶應へ行った先輩がいなくて、どういう授業があって、どういうサポートが受けられるんだろう、何に困るかすらもわからなかったので、大学の学生部に入学式前に相談をしました。自分の障害の状態を話して、どういうサポートを受けられますか?と聞いたら、中野泰志教授という、ユニバーサルデザインや障害児教育を研究している教授がたまたま慶應にいるからと、学生部の方が中野教授を連れて来てくれて3者面談をしました。そして、後藤さんはこういう事に困るのであれば、学校ではこれをやってあげましょうと発展的な展開が生まれました。例えば、マイクだと聞き取りにくい環境を改善しようと、Rogerという音声装置を学校が「情報保障」として用意すべきと判断して使わせてくれました。私が学べる環境を一緒に作り上げてくれました。学生部も先生達も快く協力して下さったので、そういう方たちにも恩返しがしたいと思いました。

 4年間の大学生活で思ったのは、私が聞こえてないことがあるのを、私しか知らないという事です。私が話せるので、まわりは聞こえていると思ってしまう…。でも私は授業を100%で聞き取れていない。それでも私は聞こえにくいことを言い訳にしたくなかった。逆に、首席をとれたら凄くない!と思ったんです。私に可能だったと言うのがわかったら、後に続く人たちもそういうサポートがあれば僕たちも出来るんだ、というふうになるかなと思う気持ちもあり、更にやる気が出て4年生で首席をとることが出来ました。

Q:そういう意味から言うと、自分は恵まれていたと思いますか?

 恵まれていたと思います。私はあくまで成功体験を積んできた一例でしかないと思っています。私が「やったほうがいいよ。やったほうがいいよ」と言っても、そういう環境ではない人たちにとっては、「あなたは恵まれているからいいよね」という一言になると思うので、そこは押し付けないようにしようと思っています。

【普通ってなに?】

Q:2021年のパラリンピックに向けて何か考えている事はありますか?

「普通って何?」を問い直す機会になってほしいと思っています。というのも、「普通さあ」と、何気なく使ってしまう言葉ですが、「普通」って人それぞれだと思うんです。その「普通」が私のような聴覚障害者には全く当てはまらないことがあります。

 みんなの心にある普通という言葉の概念を一度、崩してみてほしいです。崩れた後に、「みんな何かが出来なくて当たり前だ」という考えが広がり、出来ないことと出来ることが組み合わさってパズルが出来上がるように、新しい普通が作られていくといいなあと思います。

8月24日の東京パラリンピックに向けて取材を続ける後藤さん(撮影:越智貴雄)

Q:憧れてる人はいますか?

 特定の人はいないですが、私は凄い人になりたいっていう。それだけ(笑)

 完璧主義者なので何でも出来る人になりたいんです。でも、全然出来なくて、自分ができない事に凄いムカつくから、それを指摘された時には「んー!」ってなるんです。でも「そうだな。そうだな」と思って、また反省してやるということの繰り返しなんです。大口を叩いてばかりですみません。

 インタビューに答えてくれた後藤さん。東京パラリンピックのアスリートの活躍を後藤さんならではの視点でとらえ、「共通の言葉」を作り出しながら、私たちに競技の熱気を届けてくれることでしょう。後藤さんのますますの活躍が楽しみです。

(取材・文:上垣 喜寛)

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