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トライアスロン谷真海が葛藤と戦いの末に掴んだ「メダル以上の宝物」〜東京パラリンピック

トライアスロン女子PTS5バイクを漕ぐ谷真海(撮影:越智貴雄)

「東京パラリンピック」6日目の8月29日、トライアスロン女子PTS5(運動機能障害)クラスの谷真海が自身の集大成と位置づけるレースを戦い終えた。

 結果は最下位の10 位だったが、右足の膝下を切断している谷は本来、障害の程度が一つ重いPTS4クラスが主戦場。それが3年前、このクラスの選手が極端に少ないという理由からパラリンピックで採用されず、一時は出場を諦めなければならない窮地に追い込まれた。

 最終的にはPTS5にPTS4が組み込まれることで落ち着いたが、PTS5の選手の多くは腕に障害があり、足は健脚。右足に板バネ(競技用の義足)を着けて走る谷が太刀打ちするのは難しく、メダル争いどころか対等に戦うことすら厳しい状況でパラリンピックを迎えなければならなかった。

トライアスロン女子PTS5バイクを漕ぐ谷真海(撮影:越智貴雄)

不利な条件でも諦めず夢の舞台に挑戦

 PTS5にも一人だけ、左足に板バネを着けて走るグレース・ノーマン(アメリカ)がいる。2016年リオパラリンピックの金メダリストで東京大会では銀メダルを獲得したが、彼女の場合、谷よりも断端(足の切断箇所)が長い、つまり残っている足が長く板バネをコントロールしやすい。
一方、谷は断端が10cm程度しかなく板バネのコントロールが難しいため、ノーマンとは走り方にもタイムにも大きな差が出てしまう。

 少しだけ想像してみてほしい。試合で勝つために日々の苦しいトレーニングに耐え、技術を磨き、精神を鍛錬するアスリートが、ほとんど勝ち目のない勝負に挑む辛さを。だが谷は「限界への挑戦」を自らに課し、夢の舞台に立つことを選んだ。
実際にレースを終えた直後、「この場に立てて最高に幸せな気持ちの方が大きい」と笑顔で語った谷。だが、カテゴリー変更を余儀なくされたことについて改めて記者団に問われると、涙声になり言葉を詰まらせた。

「すごい理不尽さを感じましたし、本当はこんなことが(スポーツで)起こってはいけないという気持ちなんですけど……パラリンピックというのは全ての人にチャレンジする権利があって、障害のカテゴリーは自分で選べない。不利な条件の中でもまずはチャレンジできるってことが、トライアスロン界では大きな一歩だったんじゃないかと思います」

 彼女の言う「大きな一歩」の実現には、自身の競技に懸ける情熱とそれを支える人々の熱心な働きかけがあり、適したタイミングと方法で国際トライアスロン連合(2020年からワールドトライアスロンに改名)と交渉を重ねた日本トライアスロン連合の尽力があった。

トライアスロン女子PTS5バイクを漕ぐ谷真海(撮影:越智貴雄)

モチベーションを奪った2つの出来事

 新型コロナウイルスのパンデミックによる大会の1年延期も谷に大きくのしかかった。谷が2015年4月に第一子を出産後にコーチとなったプロトライアスリートの白戸太朗(株式会社アスロニア代表)は、当時の彼女の心情をよく知る一人だ。

「カテゴリー変更と大会延期はこの5年間の大きな山で、彼女のモチベーションは二度極端に落ちました。トライアスロンのような長距離系の競技というのは練習が地味で時間も長いので、自分の中から湧き上がるモチベーションがないと、なかなか練習が生活の中に入っていきません。本人も頭ではわかっていても気持ちが乗ってこないことに苦労していました」

 しかし、そこで終わる谷ではなかった。何しろ8年前、東京五輪・パラリンピック招致の最終プレゼンテーションで、大学時代に骨肉腫で右足の膝下を切断した体験をもとに「スポーツの力」を世界に発信した不屈のアスリートなのだ。
カテゴリー変更や大会延期などの外的要因に翻弄されながらも、昨年の冬あたりからは自分でコントロールできないことを気にするのをやめ、やるべきことをしっかりやろうというメンタリティに徐々に変わっていき、気持ちがトレーニングへと向いていったという。

 大会までの限られた時間の中で「バイクの強化に的を絞った」と言う白戸コーチ。

「世界と最も差があったのはバイクですから。バイクは技術とパワーの融合で、コースをうまく走る技術とパワーの出し方や配分などをかなり細かく詰めていきました」

 東京パラリンピック本番のバイクでは全3周回のうち1、2周目はなかなかペースが上がらなかったが、最終の3周目。谷と唯一、同じPTS4クラスで今大会に出場したケリー・エルムリンガー(アメリカ/最終順位7位)が前を走っているのを見て、「これじゃダメだと思って、最後は踏ん張れました。でもその反動がランに来てしまって本当に苦しかった」と谷。

「でも、ここは日本なので最後まで粘る力をもらいました」と地の利に感謝した。

トライアスロン女子PTS5最後のランを義足で走る谷真海(撮影:越智貴雄)

バイクとランの板バネにも知恵と工夫

谷が右足を切断した19歳の頃から20年にわたり、変わらずに彼女の義足を作り続けてきたのが義肢装具士の臼井二美男だ。
谷以外にも多くのパラリンピアンの義足づくりを手がけ、東京オリンピックではその功績が讃えられて、聖火ランナーとして開会式にも登場した。

「とにかく笑顔でフィニッシュできて何より。それだけでもう十分です」と臼井さん。谷がトライアスロンに転向する以前、陸上・幅跳びで出場した3大会(2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン)でも彼女の勇姿を見届けてきた名工は胸を熱くした。

 スイム、バイク、ランの3種目のうち義足が必要なバイクとランは試行錯誤の連続だった。特に各種目を繋ぐトランジションは課題で、板バネの装着や履き替えにかかるタイムロスをいかに減らすかに知恵を絞った。

「2017年にはバイクとランで同じ板バネを使う方法も試しました。でも、バイクのフレームに板バネが当たってしまうなどのマイナス面があって、バイク専用の板バネに戻したんです」

 これ以外にも数えきれないほどの工夫を重ねた末、東京パラリンピックの1カ月前、臼井さんのもとを訪れた谷はラン用の板バネのソールを貼り替える程度だったという。

 どんな条件でも最後まで諦めず、力一杯戦う谷の姿は人々の心を打った。陸上時代と合わせパラリンピック4大会に出場した谷は持ち前の“真海スマイル”でレース後にこう言った。

「メダルには縁がないパラリンピックでしたけれども、自分の中ではそれ以上の大きな宝物をもらったなと思っています」

(文:高樹ミナ)

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