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パラコラム

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「探し続けた存在意義」~車椅子バスケ・永田裕幸~

リオでは、自分の強みを出しチームの勝利に貢献したいと話す永田(撮影:越智貴雄)

リオでは、自分の強みを出しチームの勝利に貢献したいと話す永田(撮影:越智貴雄)

 2013年11月に初めて日本代表として国際大会の舞台を踏んだ永田裕幸は、それ以降、日本代表候補の常連となった。2014年には代表12人に入り、世界選手権、アジアパラ競技大会に出場した。だが、永田には代表チームにおける自分の存在意義が確立されていないことに、人知れず悩んでいた――。

初のパラにのぞむ永田(撮影:越智貴雄)

初のパラにのぞむ永田(撮影:越智貴雄)

【見失いかけた自分自身】

「果たして、自分には何ができるのだろうか」
 永田が自分の役割を模索する中、彼のライバルとして急速に台頭してきたのが、当時高校1年生の鳥海連志だ。技術的にはまだ粗削りな部分はあるものの、スピードやハンドリングにおいては、代表の中でもトップクラス。その鳥海は、永田と同じ持ち点の選手だった。また一人、ライバルが出現したのだ。

「豊島(英)、藤澤(潔)、そして鳥海と、同じ持ち点の選手たちはみんな、それぞれ強みがある。オレにはいったい、何があるのか……」
 悔しさ、焦り、不安に襲われながら、永田は自分の強みを模索する日々を過ごしていた。

 ようやく答えを見つけることができたのは、2015年8月の代表候補合宿でのことだった。それは約2か月後、リオデジャネイロパラリンピックの出場権をかけて行われるアジアオセアニアチャンピオンシップ(AOZ)のメンバー入りを目指して、選手たちの最後のアピールの場でもあった。

 まさに崖っぷちに立たされた思いで、その合宿に臨んだ永田は、もう一度自分を見つめ直した。
「自分の最大の強みは、カットインプレーとトランジションの速さ。だったら、それをアピールしていくしかない」
 ライバルたちの存在を気にしすぎるあまり、永田は自分自身を見失いかけていたことに気づいたのだ。

 すると、合宿終盤に行われた練習試合では、相手の隙を付いて積極的にゴール下に切り込む永田の姿があった。そんな永田のプレーを、周囲も高く評価していた。

 永田は言う。
「あの合宿の頃が、一番辛い時期でした。若い鳥海が出てきて、かなりやばいなと感じていたんです。でも、だからこそ、自分がどうすべきかを本気で考えることができました。結果的には、彼の存在がいい刺激になりましたし、自分のレベルアップにもつながったと思っています」

シュートを放つ永田(撮影:越智貴雄)

シュートを放つ永田(撮影:越智貴雄)

【自分を認めてくれた指揮官のために】

 リオは、永田にとって初めてのパラリンピックとなる。そこでの目標は、「自らの力をすべて出し切り、及川晋平ヘッドコーチ(HC)の期待に応えること」。昨年のAOZでは、それができなかったと感じている。だからこそ、リオでは自分の仕事を全うするつもりだ。

 永田にとって、忘れられないことがある。それは2014年、世界選手権の直前に行われた合宿でのこと。そこで永田は、ある悩みを抱えていた。
「自分が得意としているのは、攻撃に転じようとする相手のボールをカットするプレー。でも、それはチームの約束事に反するプレーでもあって、やるべきではないのかなと迷っていたんです」

 するとある日、及川HCにこう言われた。
「自分の強みはなくしてはいけない。すごくいいプレーなんだから、どんどんやりなさい。ただし、相手の動きをきちんと止めてからカットにいくこと。その精度を高めれば、チームにとっても大きな武器となるはず」

 及川HCが自分の強みを認めてくれていたこと。そして、それを伸ばそうとしてくれたこと。それが永田には、何より嬉しかった。そして、そんな指揮官の期待に応えたいという気持ちが強くなっていった。

 永田は言う。
「僕は決して目立つプレーヤーではないし、プレーに華やかさがあるわけでもない。でも、地味でも目立たなくても、全然構わないんです。とにかく、自分に求められている仕事をして、チームに貢献すること。今はそのことしか考えていません」

 目立たなくていい。及川HCが認めてくれた自分の強みを出し、少しでもチームの勝利に貢献すること。リオでやるべきことは、それだけだ。

<永田裕幸(ながた・ひろゆき)>

1984年6月25日、鹿児島県生まれ。高校まで野球部に所属。就職後も草野球を続けていた。しかし、23歳の時にスノーボードでジャンプに失敗し、脊椎を損傷。車椅子生活となる。入院中、リハビリの一環として行った車椅子バスケを知り、退院後に埼玉ライオンズに加入。現在は主将を務めている。日本代表としては、2014年に世界選手権、アジアパラ競技大会、2015年にはアジアオセアニアチャンピオンシップに出場した。リオは初めてのパラリンピックとなる。

(文/斎藤寿子)

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