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パラコラム

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「厳しい試合こそ、ニコニコ挑む」-親友がパラリンピックに出るそうで 平昌パラリンピック

韓国戦の直後に笑顔を見せる上原大祐(撮影:越智貴雄)

 双眼鏡越しに見たその男は、いつも通りだった。何かを企んでいるかのように舌をペロリと出し、両手を何度も突き上げ、平昌五輪スタジアム中の視線を集めようとしているかに見えた。2018年3月9日、平昌パラリンピック開幕式。49カ国中33番目に登場した日本選手団の中で、上原大祐(36)は一際目立っていた。

 上原大祐(以下:大ちゃん)とは4年前に、いわゆるビジネス会食の場で出会った。「元パラリンピック選手で面白い人がいるから紹介したい」と上司から誘われ参加したその場で、大ちゃんはワインを水のように次々飲み干し、「ガッハッハ!」と耳をつんざくような大音量で笑い、「これ、かけていいですよ!」とパラアイスホッケー選手として獲得した銀メダルを頼んでもいないのに首にかけてくれる。豪快で明るくて、ルート66のように「どこまでも真っ直ぐな人」だなという印象を持った。

 その後大ちゃんとの親交は続き、会うほどにこのエネルギーの塊のような男に惹かれていった。大ちゃんはNECの社員としてパラスポーツ推進を通じた社会形成を行いながら、自らが代表を務めるNPO法人D-SHiPS32では障害のある子供たち向けのスポーツイベントを主催するなど、多岐にわたる活動をしている。「そんなに活動してよく体調崩さないね」と尋ねたところ、「意外と崩してる・・」と返ってきたので彼もスーパーマンじゃないのだと妙に安心したのを覚えている。

車椅子でも伸び伸びと過ごした中学校時代(撮影:越智貴雄)

 
 大ちゃんは1981年12月に長野県で生まれた。生まれつき二分脊椎という障害があって歩けなかったが、お母さんの鈴子さん曰く「超がつくほど活発」で毎日泥だらけになって学校から帰ってきたそうだ。鈴子さんの子育てのモットーは「やめなさい、よりやりなさい」。自転車だろうがアイススケートだろうが、大ちゃんがやりたいと思ったことは何でもやらせた。そんな大ちゃんがパラホッケーと出会ったのは大学生の頃。ある車椅子メーカーの社長から誘われ、長野サンダーバーズというチームに入るとメキメキと頭角を表し、そのままの勢いで2006年トリノパラリンピックに出場。2010年バンクーバーパラリンピックでは準決勝のカナダ戦で値千金の決勝ゴールを決め、銀メダル獲得の立役者となった。その後惜しまれながらも引退し、私が出会った頃はアスリートではなくソーシャルイノベーターとしての上原大祐に変身していた。

 「もう一度ホッケーをやってみようと思う」と聞いたのは2017年の春であった。理由は「挑戦する楽しさ、スポーツの力、夢に向かうワクワク感を、特に障害のある子供たちに届けたい」からだという。実に大ちゃんらしい動機だ。ただ私は、大ちゃんは自分自身のためにも再挑戦するのだと思った。引退してから戦う場所がリンクから社会というフィールドに変わり、理不尽なことにも沢山直面し、葛藤を繰り返していたのも知っていたからだ。大ちゃんはパラアイスホッケーを通じて、もう一度自分自身を見つめ直したいと思ったのではないだろうか。

 パラアイスホッケーは、下肢に障害のある人でも楽しめるようにと1960年代に福祉国家スウェーデンで生まれた競技だ。選手はそり(スレッジ)に乗りながら、両手のスティックを鮮やかに使いこなしながら氷上を滑り、パックを操る。体当たり(ボディチェック)が認められているので、「氷上の格闘技」とも呼ばれている。日本代表はソチの出場を逃すも、大ちゃんの復活もあり見事平昌パラリンピックへの出場を決めた。

 そして本日3月10日、大ちゃんたちは平昌パラリンピック初戦を迎えた。相手は世界ランキング3位の韓国(ちなみに日本は7位)。1月に日本で開催した「2019ジャパン・パラアイスホッケーチャンピオンシップ」では0-5と大敗を喫した相手だ。さぞかしナーバスになっていると思いきや、試合前日の9日夜にこんなメッセージが来た。「今回の大会はものすごく厳しい大会になると思うので、だからこそ俺はニコニコやりますよ」。

相手から激しいボディチェックを受ける上原大祐(撮影:越智貴雄)

 試合は、1-4で負けた。日本は最後まで粘りを見せ、終盤は大ちゃんのアシストから1点をもぎ取ったが及ばなかった。一番最後までリンクに残り、会場中の日の丸を掲げたファンに丁寧に挨拶をする大ちゃんは、どこか晴れやかな表情を浮かべていた。最後に、バスに乗り込む前の大ちゃんにインタビューをした。

–お疲れ様でした。今日はどんな人が応援に来てたの?

(大ちゃん)会社の人と、前に講演した保育園の人、車椅子の男の子、とにかくあちこちから来てくれて嬉しかった。

–ブログにも書いていたと思うけど、現役を離れて4年の間に大ちゃんはあちこち動き回って、色々な人と新しい関係性を築いたわけだよね。その集大成としてのパラリンピック、という気がしました。

(大ちゃん)そう。あと日本でもみんな集まって見てくれてたみたい。ゆめちゃんっていう子はクラス中の友達を家に集めて、みんなが興奮したみたいで「家が壊れそう」ってお母さんから連絡が来た(笑)

–今日結果としては負けてしまったけれど、「パラリンピックの役割」について考えさせられました。大ちゃんのプレイがきっかけでみんなが集まったり、元気になったりしているし、大ちゃん自身も、自分がやってきたことが可視化されて新たな自信につながっているのかなと。

(大ちゃん)今までの大会は自分の首にメダルを下げることが目的だったけど、一度現役を退いてから本当に色々な人と繋がれたので、また復帰したことで、みなさまにスポーツって楽しいなとか、アイスホッケーって迫力があるなとか、パラリンピックって盛り上がるなとか、そういう気づきを日本全国に散らばすことができたんじゃないかなと思います。

–パラリンピックはゴールではなく、多様なきっかけなんだなということに改めて気づきました。特に障害のある子どもたちにとっては、忘れられないきっかけになるんじゃないでしょうか。

(大ちゃん)うん。世界にチャレンジするのはワクワクするし、やりがいもあるし、次はみんなが主役になる番だよって伝えたいな。

–最後に。明日のアメリカ戦にはどう挑む?

(大ちゃん)そうだね、王者に胸を借りるという感じかな。絶対的なスピードと力を体感することで、チーム全体が「あ、ここを目指さなくちゃダメなんだ」という次につながる糧になる試合にしたいと思います。

 ニコニコしながら答えてくれた大ちゃん。彼がここ数年、色々な人とつながってきたからこそ、今回のパラリンピックが大勢の人にとって価値のあるものになっていると改めて感じた。2020年パラリンピック成功の鍵は、みんながパラリンピック選手とそれまでに友達になっておくこと、なのかもしれない。明日のアメリカ戦も、みんなにどんなきっかけをくれるのか。楽しみである。

(文:澤田智洋)

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