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パラコラム

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それでも「障害者」という言葉が必要な理由──澤田智洋×越智貴雄対談

(右)世界ゆるスポーツ協会代表理事の澤田智洋さん(左)20年以上、パラスポーツを撮影取材してきた、フォトグラファーの越智貴雄さん

さまざまな個性を認める「ダイバーシティ(多様性)」、ハンディキャップを持つ人が社会参加する「インクルージョン(包摂)」。最近よく聞く言葉だけど、「権利を守ろう」と説教されているようで、何だか息苦しさを感じてしまう……なかにはそう感じる人もいるのではないでしょうか。でも、難しく考える必要はないんです。マイノリティの人たちと共に生きることの意味とは何か。『マイノリティ・デザイン 弱さを生かせる社会をつくろう』の著者で、視覚障害のある子どもを持つコピーライターで世界ゆるスポーツ協会代表理事の澤田智洋さんと、21年間パラスポーツを撮影取材し義足女性の写真集『切断ヴィーナス』を撮影したフォトグラファーの越智貴雄さんに多くの人に知られていない〝もう一つの世界〟を語ってもらいました。(Part2)*対談は全3回

越智:澤田さんは「障害者」という言葉をどう思いますか? 僕は、この言葉が世の中に分断を生んでいる側面があるんじゃないかなと思うのですが。

澤田:すごく難しいですね。僕はコピーライターなので、「障害者に変わる言葉を作ってくださいよ」ってたまに言われるんですよ。

越智:「障がい者」とか「障碍者」とか、いろいろと言い換えられていますが、なかなか定着はしてませんよね。

澤田:そうなんです。でも、僕は「障害者」という言葉があってもいいと思ってるんです。

 たとえば、病気や事故で「障害者」になると、障害者手帳を発行してもらえる。それでいろんなサービスや給付を受けられる。行政や自治体の目線に立つと、「誰を支援すべきか」が明確になるので、そういう意味でこの言葉も必要。

 同時に、「障害者」という言葉がはまらない人が増えているのも事実。その場合は「切断ヴィーナス」のようなまったく新しい言葉を作っていくしかないんですよね。

越智:たしかに、「切断ヴィーナス」という言葉ができた経緯も、そんな感じでした。スポーツ義足製作の第一人者で義肢装具士の臼井二美男さんと話をしていた時に、義足の女性たちの名称についていろんな案があったんです。いろんな案が出るなかで「切断」「女子」「義足」というワードがあったんですけど、その時に臼井さんが「女性はみんなヴィーナスだよ〜」と言ったんです。

澤田:ヴィーナスにはそういう意味が込められていたんですね。

越智:それで「切断」と「ヴィーナス」という言葉をくっつけた。最後は「事実と事実を掛け合わせよう」と。

切断ヴィーナスの名前は物議も醸し出したが、その由来は「現実×現実」

澤田:でも、「切断ヴィーナス」っていう言葉ができて、越智さんが写真集を出した時にはけっこう批判があったんですよね?

越智:今でもありますよ。でも、当事者にとっては「現実×現実」だから、そんなに違和感はないんです。

 批判の多くは、義足の人たちについて世間の人が知らないからきていると思うんですよね。「そんな名前を付けてかわいそう」みたいな。

澤田:「本人が認めている、あるいは望んでいる」というのは大切。僕は、息子が目が見えないことがわかった時、「かわいそう」というよりも「どうしよう」という感じでした。これからどうやって育てたらいいのか、まったくわからなかった。

 でも、世の中の人は違うんです。近所の小児科で診察を受けた時、息子が「こっちを見て」と言われてもできない。すると、お医者さんから「かわいそう」って言われたんです。それに僕は違和感があって、「あ、この人は息子を見て『かわいそう』って思うんだ」って。

越智:医師でも言うんですね。「障害者=かわいそう」と。

澤田:でも、僕は目の見える子どもを育てたことがないから、目の見えない子どもを育てることは普通。親としては、息子のことを「かわいそう」とは思わない。

越智:僕もそれは同じなんですよ。2014年に切断ヴィーナスの写真集を出した時、モデルを引き受けてくれた11人の女性たちは、みんな自分の義足を誇らしく、「カッコいい」と思っていることで共通していたんです。メガネと一緒で、本人にとってはファッションアイテムの一つでしかない。

澤田:写真集の反応はどうだったんですか?

越智:反応は三つありました。一つ目は、秋葉原の書店で平積みされたんです。サブカルチャーとしてのサイバーパンクのようなイメージで受け取った人もいたんでしょうね。

 二つ目は当事者からの反応。足を切断した人、あるいはこれから切断しなければいけない人。そういう方から「力になった」という声をいただきました。

 後は、「どう捉えていいかわかならい」という人。おそらく、9割ぐらいの人は「わからない」だったと思います。

澤田:書店によって置かれている棚がまったく違いましたよね。

越智:写真集のところもあれば、障害者のカテゴリーに置かれていることもあって。書店の店員さんに聞いたら「どこに置いてあるかわからない」って(笑)

澤田:平野啓一郎さんの小説に『形だけの愛』という作品があるんですけど、これは、片足を失った女性が徐々に義足を受け入れていく物語なんです。

 切断ヴィーナスに登場したモデルたちも、「切断」という言葉を受け入れている。一方で、病気や事故などで義足になってからまだ時間の経っていない人から見ると、ショッキングかもしれない。当事者ではない人はなおさらです。

越智:義足の女性たちは、それまで義足を隠すしかなかったんですよね。それを「見せたい」と思う人たちが集まって、グラフィックにしようとなった。その結果として、切断ヴィーナスという言葉が生まれた。

澤田:どんな新しいものも、戸惑いから始まりますから。iPhoneですら、最初はみんな戸惑いながら使っていたのと同じです。

今では、パラリンピックがメディアでスポーツとして取り上げられるのが当たり前になってきた

越智:パラリンピックの選手たちも、ほんの数年前までは、新聞で取りあげられる時はスポーツ面ではなく、社会面の福祉のコーナーでした。

 それも今では変わってきました。パラアスリート達が「障害者」という枠におさまらない人たちだということも、少しずつ広まってきたんでしょうね。

澤田:言葉ってどんどんイメージが溜まっていくんです。ブランドが成長していく。人々の間でブランドイメージが共有されると、「パラリンピック」という言葉で「あー、あのことね」という感じで自然と話が進んでいくようになる。

 一方で、悪い面もあります。言葉によってイメージが固定されてしまう。たとえば、ニュースで「パラリンピック」というキーワードを聞いた瞬間に、「あ、障害者がやるスポーツのことね。自分には関係ない」と思って、その面白さを知ろうとしない人も出てくる。

越智:それはありますね。

澤田:こうなったら、また新しい言葉を作るしかない。それで臼井さんは「切断した女性」と「ヴィーナス」という言葉をくっつけた。エッジが立って、パンクでカッコいい。

越智:モデルになってくれた彼女たちは、いろんなことを乗り越えて、写真集に出ようと決心した。それは撮影をしててもわかるんですよ。

澤田:「障害者」という大きな集合体から発想するのではなく、目の前にいる「義足の女性たち」から「切断ヴィーナス」という言葉ができた。それが大切で、その人の「唯一無二性」を見つめた言葉をていねいに編んでいくことが必要じゃないでしょうか。

越智:「マイノリティ・デザイン」だ。

澤田:その作業を繰り返していくなかで、また新しい言葉が出てくるかもしれない。でもそれは誰もコントロールできないと思うんです。

PART3へ続く・・・

(文:土佐 豪史)

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