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パラコラム

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「気持ち悪さ」こそが生きる原動力になる──澤田智洋×越智貴雄対談

さまざまな個性を認める「ダイバーシティ(多様性)」、ハンディキャップを持つ人が社会参加する「インクルージョン(包摂)」。最近よく聞く言葉だけど、「権利を守ろう」と説教されているようで、何だか息苦しさを感じてしまう……なかにはそう感じる人もいるのではないでしょうか。でも、難しく考える必要はないんです。マイノリティの人たちと共に生きることの意味とは何か。『マイノリティ・デザイン 弱さを生かせる社会をつくろう』の著者で、視覚障害のある子どもを持つコピーライターで世界ゆるスポーツ協会代表理事の澤田智洋さんと、21年間パラスポーツを撮影取材し義足女性の写真集『切断ヴィーナス』を撮影したフォトグラファーの越智貴雄さんに多くの人に知られていない〝もう一つの世界〟を語ってもらいました。(Part3)*対談は全3回

越智:2000年のシドニーパラリンピックで初めてパラスポーツの撮影をした時、「こんな素晴らしい世界があるんだ!」と思ったんです。それで、帰国した後に新聞などでいろんなところに写真を発表したり、記事を書いたりした。「何でこんな素晴らしい世界があることをみんな知らないんだ!」と、ずっと思ってました。

澤田:『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』というベストセラーを出した哲学者の近内雄太さんと、最近対談をしたんです。

 私たちは既にたくさんのものを受けとっている。だから、今度は贈与すべき側にもまわるべきだというお話がありました。その最たるものがサンタクロース。誰も見返りを求めてやっているわけではない。ギブ・アンド・テイクではない。ギブだけ。それが贈与。

越智:なるほど。

澤田:たとえば、親はサンタとして子どもに贈与するだけ。後はどうなるかはわからない。ただ、贈与された子どもが大人になって、気づく。自分に子どもができたなら、かつて親がしてくれたことと同じように「じゃあ今度は自分がサンタクロースやろうか」と。これが贈与の一番理想的な形なんです。双方向に行かずに、遠くに向かっている一つの矢印の方向に進む。

 じゃあ、なぜ親はサンタクロースになって子供に贈与するかというと、理由の一つが「なんとなく気持ち悪い」なんです。人間って、誰かにもらったものを別の人にパスしないと気持ちが悪い。だから贈与する。越智さんも、そういう経験ないですか?

越智:気持ち悪いというか、こんなに面白い世界を誰も知らないというのはもどかしいというのはずっと感じてます。

 パラリンピックはこれまで10大会取材をしているんですけど、ふだんのパラスポーツの国際大会って記者もカメラマンもほとんど集まらない。以前はプレスで来ているのが僕一人なんてこともありました。

澤田:世界で1人!

越智:だから、2006年のパラ陸上の世界選手権アッセン大会(オランダ)でもプレスがほとんどいなくて、IPCのオフィシャル映像に、いつも僕が撮影している姿が映り込んでいて、地元のTVで日本のニュースと共に「今日の越智さん」という映像が流れていたそうで、現地の人に毎日いじられていました。

 でも、その大会で両脚義足のオスカー・ピストリウスに出会ったんです。オスカーは100メートル、200メートル、400メートルで三つの金メダルをとりました。

 あまりにも圧倒的に強いから、競技が終わると地元の子供達が少しずつ集まるようになったんです。競技場といっても、原っぱにトラックがある程度のものですよ。そこに、噂を聞きつけた地元の人が日を追うごとにどんどん集まってきて、200メートルの決勝の後には、サインを求める長蛇の列ができて、オスカーは1時間半もかけて丁寧に応じていました。

 その時に僕は、その街でヒーローが生まれた瞬間に出会ったと感じました。

2006年のパラ陸上の世界選手権で短距離3冠のオスカー・ピストリウス

澤田:オスカー・ピストリウスから、何かを受け取ったわけですね。

越智:その大会後にオスカーと一緒にランチご飯を食べたんですけど、彼が見ていた世界はまったく違った。その時から「オリンピックに出る」と言っていました。

 彼の目で見ていたものを聞いて、これは「多くの人に知ってもらわないといけない!」と思って、すぐに日本のメディアに100社ぐらい電話とメールをしたんです。「世界ではこんなにすごいことが起きているんだ」って。でも、誰も相手にしてくれませんでした(笑)。

澤田:受け取ってしまったけど、なかなか次に手渡せない。これはストレスですよね。

越智:ものすごいストレスです。こんなにすごい人がいるのに、何で共有しないかなと。もっと、世の中楽しくなるのにって思ってました。

澤田:臼井さんと出会ったことで、そのもやもやの突破口にはなったんですか?

越智:臼井さんのすごいところは、義足ユーザーのやりたいことを一番に考え、社会とどう結びつけるかについて、ひたすら考えているんです。執念です。

 2012年ロンドン大会が終わった後に、臼井さんの作った義足をはいているアスリートたちのポートレートを撮っていきたいと話をしたんです。その時、臼井さんから、日本では今でも特に女性の場合、義足を隠さなければいけないと思って暮らしているっていう実態がある。それは、自分自身というよりも、家族や親戚がそうさせていることも多いという話を聞いて、じゃあ臆さず堂々と義足を見せている人たちを写真にとっていこうとスタートしたんです。

澤田:ロンドンパラは盛りあがりましたよね。そんなに人が入っていたんですか。

越智:やっぱり影響がありましたよね。特に、チャンネル4というイギリスの公共放送が作ったCM「スーパーヒューマン」が話題になったんです。

澤田:僕、あの広告のグラフィックが好きなんですよ。ロンドンオリンピックが終わった直後に始まったキャンペーンがすごかった。いろんなパラ選手が出演して、最後にすでに閉幕してしまったオリンピックに向けて出した言葉が「Thanks for the Warm-Up(ウォームアップをありがとう)」。

越智:後にも先にも、ロンドンパラほど盛りあがった大会はありませんでした。パラに対して世界の見方が変わり始めた瞬間でした。

 ロンドンに負けてられないと、写真集を出して、ファッションショーもやった。そのあと、いろんな方から「ショーをやってほしい」というお話は来るようになったんです。

澤田:町おこしでファッションショーをやりたいというのもありましたよね。

石川県の中能登町の町おこしとして開催した切断ヴィーナスショー。地元の繊維・衣装を使用した演出

越智:石川県の中能登町ですね。僕の中では、「町おこしと切断ヴィーナス」という組み合わせに「やってみたい」と反応してしまった。地方の小さな街で義足女性のファッションショーを開いたらどんな反応があるかなと思って。開催する前はかなり心配していたんですけど、本番の会場では涙を流しながら見てくれたお客さんもいました。

澤田:それが、本当は東京パラリンピックの開会式が開かれるはずだった昨年8月25日のショーにつながったわけですね。

越智:その日にショーをやろうと思ったのは、7月に入ってから。まずは澤田さんに電話を……。

澤田:この時は開催まで1カ月半ぐらいあったから、時間はありました(笑)

越智:さすがに無理かなと思ったんですけど、澤田さんしかいないから。

 でも1回目と違うのは、それまで13回やった切断ヴィーナスショーを見て、「ショーに出たい」と思ってくれる人たちが増えてきたことです。演出の面では何か変わりましたか?

澤田:まったく違いました。東京パラリンピックの開会式だった日にショーを開催すること、モデルたちもショーに出た経験が積み重なっていること、そして新しくモデルになりたいという人が入ってきて、切断ヴィーナスの歴史も新しくなろうとしていた。その三つの文脈があったから、複雑になったことはたしかです。1回目のショーは「義足の女性を見てほしい」というシンプルなものでしたから。

越智:なるほど。

澤田:それで、最初は一人ひとりの物語性に深く入ろうかなと思ったんです。越智さんの写真も使って、人物に焦点を当てる。ただ、それだと説明的になってしまうんですよね。もっと思考レベルを上げないとといけないなと思って、「義足の女性が」ではなくて「人は何ができるか」というメッセージが発信できればなと思ったんです。

 とはいっても、みなさん歩んできた人生は違う。実際に会場に下見に行ったときに、思ったより照明が暗かった。それで、コンセプトのイメージをあの世でもこの世でもない「その世」にしようと思ったんです。

越智:ショーに物語性を出すには、司会を入れたほうがいいんじゃないかという話もあったけど……。

澤田:司会が入ると「では、みなさま……」とやらないといけませんからね。思いっきり「この世」になってしまう(笑)。

「あの世」でも「この世」でもない。そうなると、弔いをする光のようなものが必要となる。じゃあ、その色は何かなと思ったら「ゴールド」だなと。それも、金ピカに輝いている金ではなくて、生活に密着している「金継ぎ」のようなゴールド。そこから「WE ARE GOLD」(私たちはだれもが輝いている)というキーメッセージを考えました。パラリンピックの「金メダル」にもかけています。みんなが、この地球という星の上で表彰台に立っている。

2020年8月25日に高輪ゲートウェイで開催された切断ヴィーナスショー

越智:本番当日のショーで写真を撮っていると、2000年に初めてパラリンピックで見た時と同じものを感じたんです。なぜ、僕はパラリンピックを撮り続けているかというと、単純明快に「すごいものを見てきたから」。それと同じものを感じました。

澤田:でも、これも僕の意志は何も入っていないんです。これまでの切断ヴィーナスショーに関わってきた人たちのことを考えていたら、自然とアイデアが出てきた。

 それで、切断ヴィーナスの歴史にとって、やっぱり臼井さんが重要な存在だから、当日に無理にお願いしてショーに出てもらったんです。

 突然だったけど、出演してもらって正解でした。ずっと義足を作り続けてきて、その積み重ねが20秒で伝わった。義足ユーザーのために何十年と寄り添っている人のメッセージが伝えられたのではと思います。

越智:開催するたびに変化があるんですよね。

澤田:おそらくそれはヴィーナスの可能性ですよね。

 切断ヴィーナスはまず、「人」という柱があって、その周りに壁や床を作っている。人間という命の柱が中心。でも、普通の仕事は売り上げとかの数字が真ん中に来ちゃう。だから、満員電車の中で「自分は何のために働いているんだろう」と考え込んでしまう。それを、一人の人間を起点にして仕事を作っていくと、やりがいが出て、仕事もユニークになる。

 だって、辛い経験をして、それを乗り越えた切断ヴィーナスを人間中心の視点で演出したら、どう転んでもユニークな仕事になってしまうんですよ。でも、それは障害者だからできたわけではないんです。健常者でも、その人を中心にして何かを作ろうと思えば、ユニークになっていくはずなんです。

越智:「健常者」という言葉と「障害者」という言葉に境目はないですよね。

澤田:どの国の言葉も、それぞれに不完全だと僕は思っています。よく、「日本語は雨を示す表現が何個もあって、英語は少ない。日本語の方がきめ細かく手描写力がある」と言う人がいますけど、そんなことはありません。

 たとえば、明治維新の時に「ソサエティー」や「ラブ」という言葉に、日本語で対応できる言葉はなかった。あとは、日本語で「〇〇的」という言葉があるけど、それも明治時代に入ってきた言葉なんです。「〇〇ティック」という英語が「〇〇的」になった。そう考えると言葉って面白いですよね。英語もフランス語も不完全で、もちろんそれは日本語も同じ。だったら、今使っている言葉が腑に落ちないなら、新しく作ればいい。

越智:切断ヴィーナスという言葉を臼井さんが作って、ありがたいことに写真集はいろんなメディアに取りあげていただきました。でも、部数は3000部。3000人ぐらいにしか見てもらうことしかできない。こんなに魅力的な人たちがいるのに、知っている人が3000人しかいないなんて「もったいないな」と思っていたんです。

 そこでファッションショーを行い、「切断ヴィーナス」という言葉から生まれたプロジェクトが、今ではいろんなものに発展していった。昨年8月のショーも、メディアで大きく取りあげられたことで、本物のファッションモデルとして活動を始めた人も出てきました。

澤田:こんなことをいろんな人が実践していると、ひょっとしたら50年後ぐらいに「障害者」に変わる新しい言葉がポンと生まれるかもしれない。

「障害者」っていう大きいカテゴリーから新しい言葉を作るのではなくて、目の前にいる人のために言葉を編んでいく。その結果として新しい言葉が生まれてくる。今はそう考えているんです。

【プロフィール】

澤田智洋(さわだ・ともひろ)
1981年生まれ。言葉とスポーツと福祉が専門。幼少期をパリ、シカゴ、ロンドンで過ごした後、17歳で帰国。2004年に広告代理店に入社し、高知県の「高知家」などのコピーを手掛ける。 2015年にだれもが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」を設立。著書に『ガチガチの世界をゆるめる』(百万年書房)、『マイノリティデザイン 弱さを生かせる社会をつくろう』(ライツ社)

越智貴雄(おち・たかお)
1979年、大阪生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。写真家。2000年からパラスポーツ取材に携わり、2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を立ち上げる。写真集『切断ヴィーナス』『あそどっぐの寝た集』(白潤社)、著書に『チェンジ!』(くもん出版)など。義足の女性によるファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども多数開催している。

(文:土佐 豪史)

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