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パラコラム

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「ロンドンでの悔しさをバネに、いざ夢の舞台へ」 ~陸上・大西瞳~

ロンドンでの悔しさをバネに、リオの舞台へのぞむ大西(撮影:越智貴雄)

ロンドンでの悔しさをバネに、リオの舞台へのぞむ大西(撮影:越智貴雄)

 たとえどんなに悔しい思いをしても、その時の気持ちを長年持ち続けるのはたやすいことではないだろう。だが、大西瞳は4年前のロンドンパラリンピックで味わった「補欠選手」という屈辱を片時も忘れず、リオデジャネイロパラリンピックの切符をつかみ取った。
 ロンドンからの4年間は順風だったわけではない。右肩上がりに伸びていた100mのタイムが2014年にぴたりと止まり、スランプに陥った。「その時期が結構長かったので焦りました」と振り返る大西。ようやく浮上のきっかけをつかんだのは、今年の春だった。4月31日、5月2日の2日間で行われた「日本パラ陸上競技選手権大会兼リオパラリンピック日本代表選手選考会」(鳥取コカ・コーラウエストスポーツパーク)で、T42(ひざ上切断等のクラス)の女子100mに出場した大西はようやく自己ベストを更新。17秒32の日本記録をマークした前川楓に、わずか100分の1秒差で優勝を譲ったものの、復調に向けて確かな手応えを感じ取った。
 そして迎えた6月4日、「IPC公認2016ジャパンパラ陸上競技大会」(新潟デンカビッグスワンスタジアム)では16秒90のアジア新記録で優勝。日本人初となる17秒切りでリオデジャネイロパラリンピックの初代表入りをほぼ確実にした。「まさかあそこで16秒台が出るとは、自分でも驚きました」と大西。長いスランプのトンネルを抜け、光を見た瞬間だった。

「IPC公認2016ジャパンパラ陸上競技大会」では16秒90のアジア新記録で優勝。日本人初となる17秒切りでリオデジャネイロパラリンピックの初代表入りを決めた(撮影:越智貴雄)

「IPC公認2016ジャパンパラ陸上競技大会」では16秒90のアジア新記録で優勝。日本人初となる17秒切りでリオデジャネイロパラリンピックの初代表入りを決めた(撮影:越智貴雄)

孤独な練習では仲間の頑張りが刺激に

 大西にコーチはいない。驚かれる方もいるだろうが、たとえパラリンピックに出場するトップアスリートであっても、障害者スポーツでは独自に練習を行っている選手がまだ多い。また練習時間の確保も課題で、大西も平日は目黒区役所に勤めているため、夜や休日の時間を練習に当てている。
「それでも私は恵まれているほう」と言う大西。公務員は基本的に定時で就業するが、民間企業に勤めている選手は練習がままならないからだ。同じくリオデジャネイロパラリンピック出場を勝ち取ったT47(片側前腕部の障害等のクラス)男子100mの多川知希を大西は例に挙げる。
「多川選手は大手民間企業に勤めていて残業も多いので、何人かの選手で行っている平日の練習会にほとんど出てこられません。だから少しの時間も惜しんで自宅の周りを走ったり、坂道をダッシュしたりしています。私と同じコーチのいない境遇で、常に高いモチベーションで練習に励む多川選手を見ていると、『よし、自分も負けられないぞ!』と闘志が湧いてきます」
 そう話す大西の幅広いライフワークもまた、彼女を成長させた要因の一つだ。大西は障害者がテーマのバラエティ番組「バリバラ」(NHK Eテレ)のMCを務め、障害に関する見識を広げるとともに、自身が愛用する鮮やかなハイビスカス柄の生活用義足を惜しげもなく披露している。そうすることで義足に対する世間の認知・理解を広めたいと考える。
 また、自身が走るきっかけとなった義足ランナーの陸上クラブ「ヘルスエンジェルス」では、走り始めの初心者に親身になって走り方を教える。
「私の義足を見てくれた人が『あんな義足を履きたい』と、私の義足を作ってくれている技師装具師の臼井二美男さんを訪ねるケースが少なくないんですよ」と大西。義足づくりのエキスパートとして知られる臼井の生活用義足を履いたのを機に、走ることに興味を持ち、ヘルスエンジェルスに入会する人もいるそうだ。かつての大西がまさにそうだった。

「IPC公認2016ジャパンパラ陸上競技大会」では16秒90のアジア新記録で優勝。電光掲示板に映し出された記録を確認し、喜ぶ大西(撮影:越智貴雄)

「IPC公認2016ジャパンパラ陸上競技大会」では16秒90のアジア新記録で優勝。電光掲示板に映し出された記録を確認し、喜ぶ大西(撮影:越智貴雄)

義肢装具士と一体で義足を改良

 鉄道弘済会義肢装具サポートセンターで義足製作を手がける臼井と大西の出会いは2001年にさかのぼる。厚い信頼関係で結ばれた二人はリオデジャネイロオリンピック出場を叶えるべく、大西の義足の太もも部分にあたるソケットと「ひざ継ぎ手」と呼ばれる、膝のアライメントの装着角度を大幅に改良してきた。
「まず昨年の冬にソケットを作り直しました。海外の強豪選手の走りを映像で繰り返し見て研究し、強化合宿の時にコーチに相談して、どういう角度でアライメントをつけたらいいかを考えました。それをもとに臼井さんに相談し、コネクタの縦位置をスライドさせたのです」
 息の合った二人は、「あまり迷っても良くない」という大西の思い切りの良さと、どんな時も選手の要望を優先しながらベストな方法を探る臼井の技術と熱意によって、わずか2回程で調整を終えたという。
 義足の陸上競技は世界のレベルがどんどん上がり、体格で劣る日本人は苦戦を強いられている。身長158cmと世界的に見れば小柄な大西もパワーでは敵わないため、選手本人の努力はもとより、義足の技術支援で大きくカバーしている。「臼井さんがいなければ、今の自分はない」と大西が断言するように、選手と義肢装具士は一体なのだ。
「パラリンピックという大きな目標があったからこそ、ここまで頑張ることができました。リオでは16秒台を出したジャパンパラの走りを再現することが必須です。体を反らさずブレない走り。それを意識して練習しています」と日本を発つ直前に聞かせてくれた大西。待ち望んだ夢の大舞台はすぐそこだ。

(文/高樹ミナ)

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