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パラコラム

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映し出されたスポーツの原風景 車椅子ソフトボール

言葉が通じなくても、スポーツの力で簡単に国境を越える。遠山くん(右)と米国人選手(撮影:越智貴雄)

 10月7、8日、東京で初めて車椅子ソフトボールの大会が開催された。「中外製薬2017車椅子ソフトボール大会in東京」(東京臨海広域防災公園特設会場)だ。参加したのは、東京、埼玉、神奈川、群馬、東海、関西、広島、九州からの10チームに加えて、海外からはアメリカ代表チームが参戦。計11チームが、3つのディビジョンに分かれて熱戦が繰り広げられた。障害のある人たちだけで行ってきた「障がい者スポーツ」として長い歴史を刻んできた発祥の地・米国とは異なり、日本では「障がいの有無にかかわりなく誰でも参加することができるスポーツ」として、独自の発展ルートを開拓してきた車椅子ソフト。だからこそ、きっかけや競技への思いは実にさまざまで、会場にはダイバーシティの世界が広がっていた。

試合前、エンジンを組み力を込める北九州シルバーウィングスの選手たち(撮影:越智貴雄)

ゼミ生の熱心な広報活動による広がり

 2013年から毎年7月に北海道で開催されている「全日本車椅子ソフトボール選手権大会」。今年、念願の「日本一の座」に輝いたのが、「北九州シルバーウィングス」のもう一つのチーム「九州選抜」だ。今回の東京大会では、米国代表にこそかなわなかったものの、それでも国内屈指の強豪としての実力を存分に示した。

 北九州は、北九州市立大学を母体としてチームが結成され、指揮官であり、同大硬式野球部コーチでもある山本浩二監督のゼミ生たちが中心となって活動している。当初はゼミ生で構成され、チームには障がいのある選手が皆無に等しかった。しかし、それでは「本末転倒」とばかりに、ゼミ生たちが立ち上がり、地元の施設や障がい者スポーツの他競技の大会を訪れたり、SNSで情報を発信するなど、認知拡大を図ってきた。

 その地道な活動によってチーム入りをし、今や戦力として欠かすことのできない選手たちも少なくない。もともと車いすテニスをしていたという世良高志、佐藤春樹、平田眞一の3人はその代表例だ。聞けば、ゼミ生は何度もテニスの大会に足を運び、熱心に話しかけてきたという。北九州からはるばる広島で開催の大会にまで行っていたというのだから、その真剣さは本物だ。

バッターボックスに向かう世良。車椅子ソフトについて「今は面白くて仕方ない」と話す(撮影:越智貴雄)

 特に、ケガで車いす生活になる前は草野球が趣味だったという世良は、車椅子ソフトの存在が嬉しかったという。
「ソフトボールはテニスと違って、思い切り大きな声が出せるでしょ?やっぱり、どちらかというと、こっちの方が自分の性に合っていますね(笑)。最初は本当にできるのかなと思ったんですけど、意外に片手で打てることもわかって、今は面白くて仕方ないですよ」

埼玉A.S.ライオンズの遠山勝元くん(撮影:越智貴雄)

米国代表の粋なはからい

 世良のように野球経験者もいれば、それまで一度もベースボール型スポーツをしたことがなかった選手もいる。埼玉A.S.ライオンズの遠山勝元くん、小学6年生もそのひとりだ。もともと体を動かすことが大好きな遠山くんは、小学校低学年からは車いすテニス、それに加えて昨年からは車いす陸上の大会にも出場している。そんな中、車いすソフトに興味を持ったのは、テレビでプレーをしている中学生の姿を見たことがきっかけだったという。

「子どもの自分にもできるんだなと思ったことと、楽しそうだなと思ったんです」
 実際にやってみると、テニスや陸上などの個人競技にはない、団体競技ならではのチームプレーの楽しさがあり、今、とても熱中している。

 今大会で一番の思い出は、予選リーグでの米国代表戦。捕手を務める遠山くんの胸元に、大柄な米国人選手の打球がで飛んできて、しっかりと捕球したことだ。
「打った球が、自分のところにいきなりドンと来て、ビックリした。自分でもどうやって捕ったのかわからなかったけど、みんなが『おーっ!』って拍手してくれて、嬉しかった」

米国代表チームからサインを求められた遠山勝元くん(撮影:越智貴雄)

 彼の最大の武器は、テニスや陸上で磨いてきた「スピード」だ。ランナーで出塁した時のすばしっこさは、将来性十分。そんな遠山くんに期待を寄せているのは、国内にとどまらない。今大会、最後の試合を終えた遠山くんを待っていたのは、米国代表の選手だった。英語はまったく話せないが、それでも「雰囲気だけで」海外選手との交流を楽しんだ。

「あとで聞いてみたら、『将来、君はすごいプレーヤーになるから、今のうちにサインが欲しいんだ』って言っていたみたい(笑)。サインなんてないから、自分の名前と背番号を書きました」

 そう嬉しそうに話す遠山くんは、米国代表チームのTシャツを着ていた。聞けば、今大会決勝でランニングホームランを打つなど、攻守にわたって大活躍をしたブレンドン・ダウンズからもらったのだという。彼が昨年の全日本選手権でのMVPプレーヤーだということを告げると、遠山くんは「うそ!すごい!」と喜びを爆発させた。

 そのことをダウンズに伝えると、彼は嬉しそうに笑顔を浮かべながらこう語ってくれた。
「お互いにスポーツを愛する者として気持ちを共有したかったんだ。国は違うけれど、いつも君のことを見ているよ、という気持ちで彼にTシャツをあげたんだ。彼が喜んでくれているのは、僕もすごく嬉しいよ」

 たとえ言葉が通じなくても、簡単に国境を越え、心が通じ合う――遠山くんと米国人選手たちとの姿は、それを物語っていた。

攻める東海UNITED DRAGONS(撮影:越智貴雄)

実感した「障がいの有無にかかわりなく一緒に楽しめる」スポーツ

 アテネ五輪女子ソフトボール銅メダルの高山樹里監督率いる東海UNITED DRAGONSは、今年結成したばかりの若いチームだ。メンバーの中には、やはり車いすテニスや車いす陸上の選手が少なくない。

 そんな中、自ら加入を熱望した健常者もいる。高校教諭の杉村清孝だ。車椅子ソフトの存在を知ったのは、偶然だったという。

「福祉科の生徒たちにいろいろな世界を知ってもらいたいと思った時に、部活に入っている生徒も多いので、『障がい者』と『スポーツ』の関わりについて話をしたいなと思ったんです。そこで、インターネットで車いすバスケについて調べていたら、偶然見つけたのが車椅子ソフトでした。自分自身がもともと野球をしていたので、バスケよりも、ソフトボールの方がとっつきやすいなぁと思ったんです」

 早速、東海UNITED DRAGONSの体験会に参加してみると、想像とは少し違っていたという。

「正直、健常者と障がい者が一緒になってやるとは言っても、やっぱり差が出てくるのかなと思っていました。でも、やってみると、実は障がい者の方が巧かったりして、本当に一緒になって楽しめるスポーツだということがわかりました」

 授業で車椅子ソフトを紹介すると、興味を持つ生徒が多いという。今ではチームの体験会に生徒が参加することもあり、その経験を通して、広い視野を持ってもらいたいと願っている。

親しみやすいハードルの低さが魅力の車椅子ソフト(撮影:越智貴雄)

親しみやすい「ハードルの低さ」

 今回、大会初出場を果たしたのが、チーム広島だ。実は広島市には「SARIRE」というチームが結成され、練習会などの活動を行なっている。今回は、その「SARIRE」の一部メンバーが出場したかたちとなった。

「SARIERE」は、広島大、広島県立大、広島国際大の3つの大学の学生たちが中心となって活動している。昨年10月から練習会を始め、今年5月にチーム名「SARIRE」をSNSで発表した。

 発起人は、県立大4年生の友田教仁だ。彼は健常者だが、もともと車いすテニスをしており、大会にも出場していたという。きっかけは、授業で障がい者スポーツを知ったことだった。
「僕は理学療法士を目指していて、授業で障がい者スポーツやパラリンピック競技のトレーナーという存在を知ったんです。それで障がい者スポーツに興味を持つようになりました」

 幼少時代からテニスをしていた友田が、まず最初に興味を持ったのが車いすテニス。見学に行ったところ、誘われるかたちで自らもプレーするようになり、健常者が出場することのできる大会にも参加した。

 そんなある日、車いすテニスで知り合ったひとりが、友田にこう話しかけてきた。
「この間、キャッチボールをしたんですけどね、車椅子ソフトボールというスポーツがあって、面白そうなんだよね」

 すぐさまインターネットで動画を見てみると、友田にも興味がわいてきた。
「おもしろうそうですね。じゃあ、自分たちもチームを作りましょうか」
 そんな2人での会話が、チーム結成のきっかけだった。現在、練習会には少なくとも10人は集まるといい、多い時には30人にものぼる。

 友田自身が車椅子ソフトボールを体験してみて思ったのは、「ハードルの低さ」だった。
「車いすテニスは、結構ハードルが高いんです。ヒッティングの技術も難しいし、それに加えてチェアワークもあるので、テニス経験者の自分でも難しくて、スポーツをしてきていない人たちにはとっつきにくい部分があるかなと。でも、車椅子ソフトは『打つ』『走る』と一つ一つの動作が別々になっているので、テニスよりはやりやすいんです。それに、野球のルールはほとんどの人が知っているので、親しみやすい。そういうハードルの低さが、この競技のいいところだなぁと感じています」

スポーツが生み出すつながりを感じる車椅子ソフト(撮影:越智貴雄)

「SARIRE」は今、来年3月に予定されている「北九州車椅子ソフトボール大会」でのチームデビューを目指し、練習が行なわれている。東京大会に参加したメンバーがその経験を持ち帰り、デビュー戦に向けた日々を送るつもりだ。

 さまざまな「壁」を超えてスポーツが生み出す「人」と「人」とのつながり――東京大会の会場には、そんなスポーツの原風景が映し出されていた。

(文・斎藤寿子)

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