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「今のところ自分の限界は見えない」――8m48cm。レームが抱くパラアスリートとしての矜持

8m48cmの世界記録を出しガッツポーズを見せたレーム(撮影:越智貴雄)

 1センチの“大きな一歩”だ。7月8日のジャパンパラ陸上競技大会(於・正田醤油スタジアム群馬)で、男子走り幅跳び(T64=下腿義足使用)の世界記録を樹立したドイツのマルクス・レーム。同大会で記録した8m47cmは、自身の記録(8m40cm)を約3年ぶりに更新するものであった。その快記録の余韻がまだ残る8月25日、母国開催のパラ陸上ヨーロッパ選手権で、彼は再び輝きを放った。世界記録をさらに1cm更新する8m48cm。悪条件下、絶妙のタイミングをものにしたレームは、再びの大跳躍をやってのけた。

8m48cmの世界記録を出したブレードジャンパーのレーム(撮影:越智貴雄)

悪条件下での快記録

 ドイツ・ベルリンで開催されているパラ陸上ヨーロッパ選手権は25日、T64(下腿義足使用)男子走り幅跳びが行われ、ドイツのマルクス・レームが8m48cmの世界新記録で優勝を飾った。トラックを舞う風、断続的に降る小雨。さらに、夏季らしからぬ肌寒さは、温まった体を硬直させる。2ヶ月連続のワールド・レコードは、そんな悪条件下で誕生した。

「風の条件が悪いことは頭に入れていたけれど、向かい風もあって、最初は助走の調整に戸惑った。でも、トレーナーから『助走はすぐに調整できる。踏切板を強く踏めば遠くへ跳べる』と助言を貰った。最後の跳躍で全てがピタリと合ったよ」

 そうレームが振り返るように、計6回行う試技のうち、2回目の失敗跳躍(6m15cm)を除いて7m75cm、8m00cm、8m02cm、8m11cmと、徐々に伸びていく記録は、理想の跳躍に体の動きが適合していくさまを表しているようだった。そして迎えた最終跳躍。観客の手拍子が背中を押す。力強い助走からふわりと宙に浮くと、体を極限まで前屈させ、砂場を飛び越えんばかりの勢いで着地した。手応えを感じたレームは、立ち上がると勢いよく右腕を振り下ろした。観客のどよめきは、世界記録が掲示されるとたちまちスタンディングオベーションへと変わり、祝福や記念撮影、サインを求める人々がスタンド最前列へ駆け寄っていった――。

 前月開催されたジャパンパラ陸上でも8m47cmの世界記録をマークしていたレーム。自身が「今季の目標でもあった」と話す世界記録更新を既に達成し「今大会に向け、トレーニングのモチベーションを維持するのが大変だった」とも言う。

 天候とメンタル、双方のコンディションが決して良いとは言えない中で叩き出した、圧巻の記録であった。

2016年、IAAFは、義足装着は助走は不利だが、跳躍時は有利であると判断。現在、水面下での協議や検証は進行中(撮影:越智貴雄)

新たなルールにより断念した五輪出場という夢

 2003年、14歳の時にウェイクボード中の事故で右足膝下を切断。スポーツ好きのレームは「跳ぶことが好きだった。最初は趣味みたいなものだったけど」と、事故に遭う前から走り幅跳びにも取り組んでいたという。足を切断してからは暫く距離を置いていた走り幅跳びを再開すると、2012年のロンドン・パラリンピックで優勝し、脚光を浴びる。

 2014年の『ドイツ陸上競技選手権』では、健常者の選手に混じって出場し、優勝。この時、レームに敗れた選手の間から「カーボン繊維製の義足によるジャンプはアンフェアではないか」と抗議の声が上がったが、彼の優勝は正式に認められた。しかし、同年の『ヨーロッパ陸上競技選手権』への出場が、上述の理由により棄却されると、2015年のドイツ陸上競技選手権では、最も良い記録(8m11cm)をマークしたにも関わらず、記録が認められなかった。そんな境遇を尻目に、以降もレームは記録を伸ばし続ける。同年、カタールで開催されたパラ陸上世界選手権では8m40cmをマーク。グレッグ・ラザフォード(英国)がマークしたロンドン五輪の優勝記録(8m31cm)を上回る大ジャンプを見せた。この頃、レームは五輪出場への意志を公に示している。

 レームの意志と併存する「アンフェアではないか」という論調を受け、国際陸上競技連盟(IAAF)はルールの制定に動く。2016年のリオデジャネイロ五輪開催を前に、五輪参加の条件として、「義足に有利性がないことを選手自身が証明すること」という条文を加えたのだ。

 レームは専門家による検証を行い、五輪出場資格の獲得へ向けた証明を試みるが「義足の装着は助走時は不利だが、跳躍時は有利である」という検証結果に留まり、IAAFの承認を得ることはできなかった。自身の快進撃によって生まれた新たなルールが足枷となり、五輪への出場は断念せざるを得なかったのである。

五輪に出場しパラとの架け橋になりたい話すレーム(撮影:越智貴雄)

パラリンピックとオリンピックの架け橋に

 今回のヨーロッパ選手権に向けては、これまでのレームの活躍や、7月の日本での世界記録更新も相まって、ドイツ国内でも大手メディアを中心に多くの報道がなされており、彼自身の意志に反して五輪出場が叶わなかった経緯も改めて紹介されていた。中には、スポーツ仲裁裁判所(CAS)への申し立ての可能性や、レーム自身によるIAAFを牽制するような発言についても触れられており、依然として水面下での協議や検証は進行中のようだ。昨年(2017年)も、ロンドンでの世界陸上競技選手権に合わせて、レームは再びIAAFの説得を試みたが、出場には至らなかった。

 しかしレームは、五輪出場の夢を捨ててはいない。

「(五輪に)出場したい。理由はオリンピックとパラリンピックの架け橋になりたいから。でも、メダルが獲れるかどうかは僕にとって重要ではない。僕がオリンピックに出ることで、ハンディキャップがあっても何かを成し遂げられるということを、多くの人に伝えられると思う。その結果として、より多くの人にパラリンピックに関心を持ってもらえる。それが僕のモチベーションになっているんだ」

 今大会の競技終了後、ミックスゾーンのインタビューでの言葉である。

コーチと同僚から見たレーム

「五輪チャンピオンを上回る記録を保持し、五輪への出場を目指すも、現時点ではその望みを受け入れられていない義足のロング・ジャンパー」。レームをひとつの側面から描写すると、そんな紹介になるのかもしれない。

 しかし、そのようなセンセーショナルな話題だけではなく、一個人としてレームの存在を見ると、紛れもないトップアスリートとしての像が見えてくる。悪条件下でもハイパフォーマンスを発揮するメンタリティや、義足に無駄なく体重を乗せ、爆発的な跳躍力へ転換する身体能力である。それらの要素が、義足という身体的特徴と結びつき、圧倒的な記録を生んでいるとも言えよう。

 2008年の9月からレームのコーチを務めているSteffi Neriusさんにも話を聞くことができた。彼女は言う。

「義足に関して色々なことを言われていますが、マルクスのこの数年の進化は彼のアスリートとしての才能と努力によるところが大きいと思います。私が彼と知り合った時は、5m60cmしか跳べていませんでした。義足に関する様々な議論や調査を除いても、彼の進化の軌跡は意義のあるものだと思います」

 2012年のロンドン・パラリンピック以降、レームは同じモデルの義足を使い続けているという。それはすなわち、彼が心身の研鑽を怠らず、進化を遂げてきたことの証左でもあるだろう。

 レームはその圧倒的なパフォーマンスゆえ、同じドイツ代表選手にも好影響を及ぼしている。今大会で2位に入り、7m71cmと8mに肉薄したフェリックス・シュトレング(ドイツ)は「マルクスは、またしても世界記録を更新し、不可能を可能にできるということを証明した。8m50cmに達するのも時間の問題だと思うよ」と敬服しつつ「マルクスと切磋琢磨して自分も強くなりたい。僕にもポテンシャルはあるはずだ」と話した。レームの背中を追って記録を伸ばしてきたシュトレングが、8mの大台に乗せるのもまた、時間の問題なのかもしれない。

競技後、笑顔のレーム(撮影:越智貴雄)

「極限まで挑戦したい」

 世界記録更新の3日前、8月22日に、レームは30歳の誕生日を迎えていた。節目の年に世界記録更新という花を添えて、彼は今シーズンを終えようとしている。

「僕がパラ陸上の幅跳びを再開した頃の世界記録が7m以下だったことを考えると、自分でもその進歩に驚く時がある。今のところ、自分の限界は見えないので、極限まで挑戦したい気持ちが強い。健常者のアスリートに嫉妬されるくらい遠くに跳びたいと思っているよ。でも、今夜は盛大に祝うと思う。だから、明日の表彰式では、僕の充血した目をアップで映さないで欲しいな(笑)」

 冗談交じりにそう話し、“ブレード・ジャンパー”は笑った。

(取材・文/吉田直人 通訳/中津卓也)

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