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技術の可能性と限界を示す!ハイテク・アシスト機器の祭典『サイバスロン』の意義

慶應大学理工学部のパイロットをつとめた、パラリンピアンの野島弘さん(撮影:越智貴雄)

互いを知り、語り合う場に

 うなり声のようなモーター音を響かせながら、選手を乗せた車いすがゆっくりと階段を昇降していく。最終関門の扉にたどり着くと、搭載されたロボットアームがドアを開閉。ゴールラインを通過すると、会場が拍手に包まれ、エンジニアたちが選手のもとに駆け寄った。

 5月5日、『川崎市スポーツ・文化総合センター(カルッツかわさき)』で開催された、アシスト機器の競技会『サイバスロン車いすシリーズ日本』の模様である。

「障がい当事者にとっての、日常生活における実用的な技術開発の促進」をコンセプトとして、スイス連邦工科大学チューリヒのロバート・リーナー教授が創設した同競技会は、2016年にスイスで第1回大会を開催。その際、『脳コンピューターインターフェース』、『機能的電気刺激バイク』、『電動義手』、『電動義足』、『電動外骨格』、『電動車いす』の6競技が実施され、日本も含む25カ国からチームが参加した。

 2020年にも同国で第2回の開催が予定されており、今年は本大会に至るまでのシリーズ戦が行われる。今大会はそのうち、電動車いす部門に特化して行われた。障害物の間を縫うスラロームや、階段昇降、ドアの開閉など、日常生活を想定した6つの課題を、制限時間(8分)で取捨選択しつつゴールを目指す。クリアした課題の合計得点で競われ、同点の場合はタイム差が適用される。

 8チームが出場し、スイスのHSR Enhanced(ラッパースビル応用科学大学)が優勝。3位には日本勢最上位で、Fortississimo(慶應義塾大学理工学部)が入った。

競技を見守った創設者のロバート教授はこう話す。

「サイバスロンは、大学や研究機関による基礎研究を披露する場という要素が強く、実際に製品として応用されるまでには時間がかかると思います。その意味では、ちょうどスタート地点にあたると言えるでしょう。他方で、障害の有無に関わらず、人々が互いを知り、また技術者同士が語り合う場でもあるのです」

サイバスロン創設者のロバート教授(撮影:越智貴雄)

学生にとっても貴重な経験

 ロバート教授の言葉にもある通り、今大会に参加した8チームの内6つは、大学発信のチームとなっている。例えば、スイスチームはラッパースビル応用科学大学の職員と学生、さらに大学の研究機関、東京大学のチームは研究開発面で提携するトヨタ自動車とのタッグといった具合だ。さらに各チームはマシンに搭乗するパイロットをスカウトし、開発、操縦訓練をともにし、準備を進めてきた。

「学生の貢献が非常に大きいです。彼らが車いすの基盤システムを開発して、研究機関の技術者がそれを引き継ぎ、競技レベルまで向上させます。我々のチームは2016年に立ち上がって、創設メンバーがほぼ全員残っており、さらに約20名の学生が学期ごとに有志で参加し、論文にまとめて卒業していきます。エンドユーザーとしての障害のある方と協同で開発ができるという意味で、学生にとっては貴重な経験だと思っています」

 と、優勝したスイスチームのリーダーであるクリスチャン・ベルメス教授が話せば、3位に入った慶應大チームの石上玄也准教授もこう続けた。

「大学職員と学生、パイロットが一丸となって取り組んできました。ユーザーさんと直接コミュニケーションをとりながらものづくりをした経験は、彼らが社会人になってからも生きてくるのではないかな、と」

ロシアチームの車椅子は、製品化されている(撮影:越智貴雄)

製品化チーム、技術者の矜持

 上述の6チームとは別に、残りの2チームは、既に製品化した電動車いすで競技に出場していた。

 スイスチームと決勝を競ったロシアチームのリーダーであるイワン・ネヴゾロフさんは、チーム名でもある『Caterwil』という企業の代表兼メインエンジニアを務めている。社員は12名。車いす開発のきっかけは、障害のある友人との会話にあったという。

「ある日、友人が言いました。『車いすの人にとっては、階段が最大の障害なんだ』と。我々の地元であるロシアのノボシビルスクは、街のアクセシビリティが良くありません。彼が言うには、階段があることによって、独立した立場でいることができない、これを解決する機械は無いものか、ということでした。技術者としての私はその言葉に突き動かされました」

 同じく技術者である妻と自宅ガレージで開発に励み、4年間かけて製品化にこぎつけた。現在では欧州とアジアの一部で販売している。試行錯誤を経て完成した車いすは、キャタピラと車輪をスイッチで切り替えるシステムを採用し、階段や不整地、傾斜地も難なく越えてゆく。パイロットのユーリ・ラーリンさんは、頸部骨折により四肢にまひがある。普段の生活からこの車いすを使用しており、各ポイントをスピーディかつスムーズにクリアしていった。

 もう1チームは香港の『B-FREE HK』。リーダーのアラン・リーさんは、「『バリアフリー(Barrier Free)』と『自由になる(Be Free)』という意味を込めました」と話す。元々は日本で漫画家のアシスタントをしていたというが、障害があり自宅から出られない友人の為に車いすの開発を決意したという。元々、工学の素養があり、香港に帰国後、独学で開発を行った。今では2タイプの電動車いすを欧州とアジアで販売している。

 パイロットとして出場したのは日本人の大枝恵一さん。埼玉県在住で、アランさんとは友人同士だ。昨年9月に『B-FREE』を取り寄せ、「遊び用」として他の車いすと使い分けているという。

「神社に行く時などに、普通の車いすでは行けませんので、これで階段を上がったり下りたりしています。今回の出場にあたって、日本で持っているのが僕だったので、パイロットをすることになりました」

 最終関門のドア開閉は、開発時のコミュニケーションにミスがあり、ロボットアームの装着が間に合わずクリアはならなかったものの、「その他の課題については苦にならなかった」と大枝さんは話す。

「今回、競技の合間に上肢障害のある人にも試しに乗って貰ったのですが、それなりに操縦もできるし、安定している。遊び心もあって良い車いすだと思います」(大枝さん)

 サイバスロンの目的の一つとされているのは、日常生活への技術応用の素地を作ること。“勝負”に敗れはしたものの、その点において、両チームは一歩先をゆく存在でもあると言えるのかもしれない。

表彰台に上るそれぞれのパイロットとチーム(撮影:越智貴雄)

“技術”と“心”の両輪で

 一方、今回のサイバスロン参加に伴う来日で、海外チームのメンバーはいくつかの障壁を感じることもあったという。

 ロシアチームのイワンさんは、パイロットのユーリさんと行動する中で、「羽田空港からのバスと、とある歴史的建造物には車いすではアクセスすることができなかった」と話した。

「場所によって異なるのかもしれませんが、基本的に公共の設備はとても良いと思います。ただホテルの床がカーペットだったことと、部屋が小さく、車いすで過ごすにはやや不便さがありました。それから、地下鉄ではスペースが少なく、人の邪魔になってしまっているようであまり居心地が良くありませんでした…。また乗車の際に誰かにスロープを持ってきてもらって乗る必要があるのは気になりました」

 そう話すのはスイスチームのパイロットであるフロリアン・ハウザーさんだ。

 自国では高層ビルの建設に携わっているフロリアンさん。上述の意見の一方で、自身の勤務環境を例にとり、「すべての場所をアクセシブルにしようとすると、費用面で問題があるのでそれは難しいかもしれません。中でも、自分がアクセスをする環境の中では工夫をしたり、仕事仲間にサポートをしてもらったりしています」と語った。

 サイバスロンの理念は、技術の可能性に光をあてると同時に、「その限界を示す」ともうたっている。そこで浮き彫りになる“課題”は、物理的なバリアであり、また人の心にあるバリアでもあるのかもしれない。というのも、技術が直面する課題は、当事者の周囲の人が手を貸すことで解消するものであるかもしれないからだ。

 慶應大チームのパイロットとして出場した元冬季パラリンピック選手の野島弘さんは言う。

「このような大会が開催されること自体がまず大切。というのは、順位に関係なく、互いの国の良いところ、悪いところを全員が共有することがこの大会の一番の目的なのだろうと考えているからです。ゴールは無限にあります。どのようなゴールに導くのかは、一人ひとりの考え方にかかっていると思っています」

(取材・文:吉田直人)

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