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超人烈伝

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「リオで始まる新たな歴史」 ~パラトライアスロン・秦由加子~

 2016年リオデジャネイロパラリンピックで初めて正式競技として行われるパラトライアスロン。スイム(750メートル)、バイク(20キロ)、ラン(5キロ)の合計タイムで順位を競う過酷な競技だ。そのパラトライアスロンに魅了され、日本人女子のエースとして、リオへの出場権を獲得したのが秦由加子だ。

もともと水泳選手だった秦由加子はスイムが得意だ(撮影:越智貴雄)

もともと水泳選手だった秦由加子はスイムが得意だ(撮影:越智貴雄)

水泳からトライアスロンへ

 千葉市にある稲毛インターナショナルスイミングスクール。8年前、秦とパラトライアスロンを引き合わせ、彼女の人生を大きく変えた場所だ。

 もともと水泳選手だった彼女は、さらなる高みを目指し、出勤前の早朝に練習できる環境を求めて、同クラブに通うようになったのは2008年のことだった。そこで気になる人たちがいた。同スクールを拠点とするトライアスロンクラブのメンバーだ。

「一緒に水泳を練習した後、トライアスロンクラブの人たちは、バイクやランの練習に行くんです。みんな楽しそうで、すごくまぶしく映りました。そんな姿を見ていたら、『私もやってみたいな』と思ったんです」

 パラトライアスロンの存在を知ったのも、この頃だった。同クラブのメンバーから「この間の大会で、義足で走っていた人を見かけたよ」ということを聞き、障がいの有無に関係なくトライできることがわかったのだ。

パラトライアスロン、ゴール直前、笑顔の秦由加子(撮影:越智貴雄)

パラトライアスロン、ゴール直前、笑顔の秦由加子(撮影:越智貴雄)

 そして、パラトライアスロンへの気持ちに火をつけたのが、あるスポーツ専門誌の表紙を目にしたことだった。そこには競技用義足を履き、ポーズを決める米国人選手の姿があった。ひと目見て、その女性に目を奪われた。
「なんて、美しいんだろう……」
 鍛え上げられた筋肉と自信に満ちた表情に魅了された。

「雑誌でパラトライアスロンの選手の姿を見た時は、アスリートとしての美しさに衝撃を受けました。それで、私もトライアスロンをやってみたいという思いが強くなったんです」
 その後、2012年ロンドンパラリンピックへの挑戦を終えた秦は、トライアスロンに転向することを決意した。

秦が強化してきたバイク(撮影:越智貴雄)

秦が強化してきたバイク(撮影:越智貴雄)

目指すは体とバイクの一体化

 トライアスロンを始めて4年。徐々に世界トップ選手たちとの距離も縮まってきた。秦の強みは何といってもスイムだ。常にトップタイムをたたき出し、他の追随を許さない。うまく波に乗りながら、力みのない泳ぎで進行方向へと進むという感覚をつかんでからは、さらにスピードが増した。リオでは、そのスイムでいかにタイムを稼ぎ、バイク、ランへとつなげるかが勝敗のカギを握る。

 しかし、世界の“鉄人”には後半のランに強い選手が少なくない。そのためバイクで距離を縮められ、最後のランでかわされるという悔しさを、これまで幾度となく味わってきた。

 そこで秦が強化してきたのが、バイクだ。彼女によれば、最も差が開くのが、カーブなのだという。いかにスピードを落とさず、かつミスなくカーブを曲がり、直線に入った時に、いかに早くトップスピードにもっていくことができるかがカギを握る。その感覚と技術を体にしみこませるには、練習を重ね、経験を積むしかない。

「このテクニックを磨いていかなければ、世界との差は縮まりません。体とバイクとが一体化して、落車することなく、なおかつ攻める走りをしたい」

 13歳の時に骨肉腫を患い、右足を切断して以降、秦は10年間スポーツができなかった。その空白を埋めるかのように、彼女は今、トライアスロンに夢中になって取り組んでいる。リオでも屈託のない、さわやかな笑顔でゴールする秦に会えるはずだ。

<プロフィール>

秦由加子(はた・ゆかこ)
1981年4月10日千葉県生まれ。マーズフラッグ・稲毛インター所属。13歳の時に骨肉腫を発症し、右大腿部より切断した。2007年、24歳の時に10歳まで習っていた水泳を再開。2010年からは強化指定選手として2012年ロンドンパラリンピックを目指したが、出場権を獲得することはできなかった。13年、パラトライアスロンに転向。14、15年と世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会で連覇を達成した。

(文/斎藤寿子)

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